1932年のグランプリ・シーズンとは? わかりやすく解説

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1932年のグランプリ・シーズン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 08:31 UTC 版)

1932年のAIACRヨーロッパ選手権
ドライバーズチャンピオン
タツィオ・ヌヴォラーリ
前年: 1931 翌年: 1935
1932年のグランプリシーズン
前年: 1931 翌年: 1933

1932年のグランプリ・シーズンAIACRヨーロッパ・ドライバーズ選手権のタイトルが懸けられた二回目のグランプリ・シーズンである。アルファコルセタツィオ・ヌヴォラーリがヨーロッパ・チャンピオンに輝いた。ヌヴォラーリは3つのヨーロッパ選手権グランプリのうち2つに勝利した。選手権は5時間から10時間の長時間レースで構成された。

シーズン概要

1932年シーズンはフォーミュラ・リブレの規格で争われる最後のヨーロッパ選手権となった。昨年に引き続きブガッティアルファロメオの対決がシーズンの焦点となったが、6月のイタリアグランプリでアルファロメオが投入した新型アルファロメオP3英語版の前にブガッティ・タイプ51英語版は競争力を失った。選手権はアルファロメオの独壇場となり、この年開催された3つのグラン・エプルーヴを全勝した。ヌヴォラーリがイタリアグランプリとフランスグランプリを制し、ヨーロッパ・チャンピオンとなった。 一方で、悪化の一途をたどるドイツの経済状況はメルセデスのレース活動を中断に追い込んだ。前年にドイツグランプリをメルセデスで制したカラツィオラは1932年シーズンを前にアルファロメオに加入したが、カンパーリ、ヌヴォラーリらイタリア人ドライバーの反対に遭いファクトリーチームの一員としては認められなかった。[1] カラツィオラは当初、ドイツのナショナルカラーである白のアルファロメオをドライブすることになった。この状況はモナコグランプリでカラツィオラがヌヴォラーリに優勝を譲ることで終わりを告げた。[2]

ヨーロッパ選手権グランプリ

アルファロメオのタツィオ・ヌヴォラーリが1932年のモナコグランプリを制した。
Rd 開催日 レース サーキット ファステストラップ 優勝者 コンストラクター レポート
1 6月5日 イタリアグランプリ モンツァ・サーキット ルイジ・ファジオーリ タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
2 7月3日 フランスグランプリ ランス・グー タツィオ・ヌヴォラーリ タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
3 7月17日 ドイツグランプリ ニュルブルクリンク タツィオ・ヌヴォラーリ ルドルフ・カラツィオラ アルファロメオ 詳細


非選手権グランプリ

黄色の背景はグラン・エプルーヴ

開催日 レース サーキット 優勝者 コンストラクター レポート
2月28日 スウェーデン冬季グランプリ レメン湖 オッレ・ベンストローム フォード 詳細
4月3日 チュニスグランプリ カルタゴ市街地コース アキーレ・ヴァルツィ ブガッティ 詳細
4月17日 モナコグランプリ モンテカルロ市街地コース タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
4月24日 ローマグランプリ リットリオ・サーキット ルイジ・ファジオーリ マセラティ 詳細
4月24日 オラングランプリ アーコル・サーキット ジャン=ピエール・ウィミーユ ブガッティ 詳細
4月30日 ブリティッシュ・エンパイア・トロフィー ブルックランズ ジョン・コッブ ドラージュ 詳細
5月8日 タルガ・フローリオ ピッコロ・マドニエ タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
5月8日 フィンランドグランプリ インタルハ公園 パーヴィクトル・ウィーデングレン メルセデス・ベンツ 詳細
5月15日 グランプリ・ド・フロンティエ シメイ市街地コース アルチュール・レガ ブガッティ 詳細
5月16日 プロヴァンストロフィー ニーム市街地コース スタニラス・チャイコフスキー ブガッティ 詳細
5月16日 ニームグランプリ ニーム市街地コース ブノア・ファルケット ブガッティ 詳細
5月22日 アヴスレンネン アヴス マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ メルセデス・ベンツ 詳細
5月22日 モロッコグランプリ アンファ市街地コース マルセル・ルー ブガッティ 詳細
5月29日 アイフェルレンネン ニュルブルクリンク ルドルフ・カラツィオラ アルファロメオ 詳細
5月29日 シルキュイ・ド・トルヴィリエ トロワ市街地コース ロバート・ゴーティエ ブガッティ 詳細
6月5日 ピカルディグランプリ ペロンヌ市街地コース フィリップ・エトンスラン アルファロメオ 詳細
6月19日 リヴィウグランプリ リヴィウ市街地コース ルドルフ・カラツィオラ アルファロメオ 詳細
6月26日 ロレーヌグランプリ ナンシー市街地コース ジャン=ピエール・ウィミーユ アルファロメオ 詳細
7月24日 ディエップグランプリ ディエップ市街地コース ルイ・シロン ブガッティ 詳細
7月31日 シルキュイ・ド・ニース ニース市街地コース ルイ・シロン ブガッティ 詳細
7月31日 コッパ・チアーノ英語版 モンテネーロ・サーキット タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
8月14日 コッパ・アチェルボ英語版 ペスカーラ・サーキット タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
8月14日 コマンジュグランプリ サン・ゴーダンス市街地コース ゴッフレード・ゼンデル アルファロメオ 詳細
8月17日 ラ・ボルグランプリ ラ・ボル市街地コース ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ ブガッティ 詳細
9月4日 チェコスロヴァキアグランプリ ブルノ市街地コース ルイ・シロン ブガッティ 詳細
9月10日 マウンテン・チャンピオンシップ ブルックランズ マルコム・キャンベル サンビーム 詳細
9月11日 モンツァグランプリ モンツァ ルドルフ・カラツィオラ アルファロメオ 詳細
9月11日 アンティーブ グランプリ ガループ市街地コース ブノア・ファルケット ブガッティ 詳細
9月25日 マルセイユ グランプリ ミラマ市街地コース レイモン・ソメール アルファロメオ 詳細
9月25日 ムンケミエニ・レース ムンケミエニ市街地コース パーヴィクトル・ウィーデングレン アルファロメオ 詳細

1932年のドライバーズランキング

順位 ドライバー ITA
FRA
GER
Pts
1 タツィオ・ヌヴォラーリ 1 1 2 4
2 バコーニン・ボルザッキーニ 3 2 3 8
3 ルドルフ・カラツィオラ NC 3 1 9
4 ルネ・ドレフュス 5 5 4 12
5 ルイ・シロン Ret 4 Ret 17
= アルベール・ディーヴォ 6 Ret 17
7 ルイジ・ファジオーリ 2 18
8 アメデオ・ルジェッリ 8 Ret 19
9 ジュゼッペ・カンパーリ 4 20
= ピエトロ・ゲルシ 7 20
= エウジェニオ・シエナ 9 20
= ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ 6 20
= ゴッフレード・ゼンデル 7 20
= ピエール・フェリクス 8 20
= アール・ハウ 9 20
16 マルセル・ルー Ret Ret Ret 21
= アキーレ・ヴァルツィ Ret Ret 21
= ルイジ・プレモーリ 10 21
= フィリップ・エトンスラン Ret 21
= マックス・フォーニ Ret 21
= ジャン=ピエール・ウィミーユ Ret 21
22 ルイジ・カステバルコ Ret 23
= ジャン・グピア Ret 23
= ハンス・レヴィ Ret 23
= パウル・ピーチュ Ret 23
順位 ドライバー ITA
FRA
GER
Pts
結果 ポイント
金色 勝者 1
銀色 2位 2
銅色 3位 3
レースの75%以上を消化 4
レースの50%以上 75%未満を消化 5
レースの25%以上 50%未満を消化 6
レースの25%未満を消化 7
失格 8
参加せず 8

参考文献

Etzrodt, Hans. “Grand Prix Winners 1895–1949 : Part 2 (1919–1933)”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 29 6月 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月4日閲覧。

Galpin, Darren. “1932 Grands Prix”. The GEL Motorsport Information Page. 2007年8月4日閲覧。

脚注

  1. ^ ノイバウア, アルフレッド 著、橋本茂春 訳『スピードこそ我が命』荒地出版社、1968年、45頁。 
  2. ^ カラツィオラ, ルドルフ 著、高斎正 訳『カラツィオラ自伝』二玄社、1969年、55-58頁。 



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