W25ショートカーの失敗(1936年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「W25ショートカーの失敗(1936年)」の解説
詳細は「1936年のグランプリ・シーズン」を参照 ダイムラー・ベンツの技術部長でW25の設計者であるニベルが1934年末に急死し、技術部長としての地位はザイラーによって引き継がれた。 当時ダイムラー・ベンツの取締役で中央設計本部長という要職にあったザイラーは、レーシングカーの開発に専念することはできなかったため、W25のさしあたりの開発は中央設計本部のエンジニアたちに任され、ベンツ時代からニベルの片腕を務めていたマックス・ヴァグナーが車体の設計を行うこととなる。1936年に向けて従来の直列8気筒エンジンに代えてV型12気筒(V12)エンジンを搭載することになり、軽量化を求められたことから、ホイールベースを短縮することでその要望に応え、W25ショートカーが製作された。V12エンジンは大きすぎたことから搭載は見送られて、従来のM25Cエンジンの発展形である直列8気筒の「ME25エンジン」が搭載された。出力の増大やホイールベースの短縮により、リアサスペンションを従来のW25のスイングアクスル式サスペンションのままにした場合、コーナーで接地性に難が出るため、W25ショートカーではリアのみド・ディオン式に改められた。 この車両は要望通り軽量化されたことに加え、空力的に洗練されたボディ形状に改良されていることが売りであったが、ステアリングの振動、車体の揺れや衝き上げがひどい、レース中にハンドリング特性が悪化していくといった不具合があり、加えて、風の影響を受けやすく、ハンドリングが難しい車両になっていた。こうして、1936年のメルセデスチームは車両の戦闘力不足に苦しめられ、シーズン途中で残りのレースへの参戦を中止し、体制の立て直しを図ることになる。
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