「レース部門」の設立とウーレンハウトの登場
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「「レース部門」の設立とウーレンハウトの登場」の解説
W25ショートカーの失敗を受けて、ダイムラー・ベンツは1936年半ばに参戦体制の見直しを図る。ノイバウアーが率いるメルセデスチームの意見を車両開発に反映させやすくするため、レースチームと中央設計本部のエンジニアたちを直結した「レース部門」(Rennabteilung)が新たに設立された。レース部門は組織系統としては車両テスト部門の責任者のフリッツ・ナリンガーの直下となり、レース用車両の開発はレース部門が主導し、車両の開発、製造からテストまで担い、中央設計本部はそれに必要な支援を行うという形に体制が改められた。 レース部門の責任者には、この年30歳になる若いルドルフ・ウーレンハウトが抜擢され、結果的にこの人事はダイムラー・ベンツのレーシングカー開発の歴史においてひとつの転換点(ウーレンハウト時代の始まり)をもたらすことになったと評価されている。 レース部門はW25ショートカーの分析が最初の仕事となり、1936年8月にカラツィオラとブラウヒッチュを招集してニュルブルクリンクでテストを行い、二人が日程を終えた後は、ウーレンハウトが自らW25のステアリングを握ってテスト走行を行った。ウーレンハウトは自らテスト走行することによってドライバーたちが報告していた問題の原因を探り当て、車体の剛性不足に根本的な原因があることを突き止めたことから、最終的には「新型車を開発したほうが良い」という結論をナリンガーとノイバウアーに報告することとなる。
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