W25レコルトワーゲン(1936年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「W25レコルトワーゲン(1936年)」の解説
1936年10月の挑戦ではW25にホイールまで覆った流線形のボディを架装し、V型12気筒のM25DABエンジン(5,577cc)を搭載した車両を用意し、国際B級(5,001 - 8,000cc)の記録更新に挑んだ。この挑戦には、W25ショートカーの失敗によって惨憺たる結果となった同年のグランプリレースの苦い記憶を払拭する意味合いがあった。 この車両を開発するにあたって、翌年のアヴスレンネンがより高速化したものになることがわかっていたことから、流線形ボディはアヴスレンネンと速度記録挑戦の両方に良い相乗効果をもたらすという車両開発上の思惑があったとされている。後から見れば、1936年のW25レコルトワーゲン、1937年アヴスレンネンのW125ストリームライナー(ブラウヒッチュ車)、1937年10月のW125レコルトワーゲンの間に相互作用があったことは明らかだが、初めからそうなるよう計画されていたのかは定かではないとも言われている。 この頃からグランプリレースにおけるライバルのアウトウニオンもメルセデス・ベンツの車両と同様に流線形のボディをまとった車両で速度記録を狙うようになり、競争が過熱することになる。
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