1980年のナショナルリーグ西地区優勝決定プレイオフとは? わかりやすく解説

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1980年のナショナルリーグ西地区優勝決定プレイオフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/29 21:59 UTC 版)

1980年のナショナルリーグ西地区優勝決定プレイオフは、1980年10月6日ヒューストン・アストロズロサンゼルス・ドジャースの間で行われたナショナルリーグ西地区優勝決定戦である。

概要

1980年のナショナルリーグ西地区は、残り3試合でドジャースがアストロズに3連勝して92勝70敗で並び、ナショナルリーグでは地区制導入後初となるプレイオフが開催された。また地区制導入以前の3戦2勝制から1試合決着に改められた。

試合はアストロズが4回までに7点を挙げて7-1で圧勝、NLCSへ進出した。

試合結果

表中のR得点H安打E失策を示す。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
アストロズ 2 0 2 3 0 0 0 0 0 7 12 1
ドジャース 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 6 2
  1. 勝利ジョー・ニークロ (20-12)  
  2. 敗戦:デーブ・ゴルツ (7-11)  
  3. 本塁打
    HOU:アート・ハウ10号2ラン(3回ゴルツ)
    LAD:なし
ドジャースは前日までの3連戦でドン・サットンジェリー・ロイスバート・フートンと先発3本柱を使い切ってしまい、先発はここまで7勝のゴルツ。また前日に決勝2ランを放ったロン・セイも負傷のためスタメンから外れた。初回アストロズは先頭テリー・プールが2塁手デイビー・ロープスの失策で出塁すると、続くイーノス・カベルの中前打でブールは3塁へ。1死後4番ホセ・クルーズの3ゴロを、セイに代わり3塁を守るミッキー・ハッチャーが本塁へ送球するも捕手ジョー・ファーガソンが捕球できずブールが生還。続くシーザー・セデーニョの2ゴロでカベルが生還し2点目。さらに3回には2死1塁からハウに2ランが飛び出し4-0となり、ゴルツはこの回で降板。4回にもクルーズの犠飛とハウの2点適時打で7点差。一方ドジャースはその裏にリック・マンデイの適時打で1点を返すと、6回にも2死満塁とニークロを攻めるがデレル・トーマスが中飛に倒れ得点できず。ドジャースは6回から9月にメジャーデビューしたばかりのフェルナンド・バレンズエラ、8回からこの年の新人王スティーヴ・ハウを投入して味方の反撃を待ったが、打線はニークロを攻略できず、9回もマウンドに上がったニークロは最後はジャック・パーコンテを1飛に打ち取り、2年連続となる20勝目を完投で飾った。



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