『ニュースステーション』のメインキャスター (1985年 - 2004年)
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「久米宏」の記事における「『ニュースステーション』のメインキャスター (1985年 - 2004年)」の解説
1985年10月7日 - テレビ朝日の夜の大型ニュースショー番組『ニュースステーション』がスタート。メインキャスターを務める。フランクな司会ぶりは民放の報道番組に変革をもたらし、賛否両論を呼んだ。この間、引き続き『がん戦争シリーズ』など単発番組の司会は務めた他は、ほぼ『ニュースステーション』に専念。『おしゃれ』の終了と同時に、完全にこの番組一本となった。 1989年10月10日 - 『ニュースステーション』の企画「ジャイアンツエイド'89」での公約を守り、プロ野球読売ジャイアンツ優勝を受けて丸坊主でない坊主になる。さらに11月3日、1989年の日本シリーズを制した時の公約に従い、他局である日本テレビの夕方に放送されていた徳光和夫がメインキャスターのニュース番組『NNNニュースプラス1』に出演し『読売ジャイアンツ、バンザイ!』と叫んだ。この一件は翌日の朝のワイドショーでも話題として採り上げられた。さらに、当時リクルート事件などで頻用されていた「ケジメ」という言葉が、この一連の出来事を伝える際にも使われるようになり、その結果、1989年版の現代用語の基礎知識流行語部門で「ケジメ」という言葉が銀賞を獲得した時、その言葉の代表例として、久米の名前が表記された。 1990年代前半 - 正確な時期は不明なものの、この頃に左頬の鼻と口のあいだ付近にあったほくろを切除している。これは当時の映像ではっきりとなくなっているのを確認することができる。 1990年 - 日本女性放送者懇談会20周年特別賞を受賞する。 1990年4月 - TBSラジオの特別番組『大沢悠里のそれ行け!ラジオ天国』に出演。パーソナリティの大沢悠里、永六輔とラジオをテーマに鼎談を行う。 1990年5月 - ニュースステーションのキャスターとしての業績に対し、第27回ギャラクシー賞・テレビ部門個人賞を受賞。 1993年7月1日 - 視力低下に伴いこの日より本番中常時眼鏡を着用する一時降板する1999年まで一貫して枠のない眼鏡を着用していたが2000年1月4日の復帰以降、最終回までラフな眼鏡を着用していた。 1994年9月24日 - ほぼ5年ぶりの日本テレビ出演となった『スーパースペシャル'94・久米宏の道徳の時間』の司会を務める(視聴率25.3%)。なお、この道徳の時間はその後、1995年6月に第2弾、1996年2月に第3弾が放送された。視聴率の伸び悩みや日本テレビ側からの第4弾出演依頼を固辞したことなどにより、第3弾で、打ち切りになった。 1995年2月- TBSラジオの戦後50年特別番組『久米宏のトーク スクランブル』で10年ぶりにパーソナリティを務める。アシスタントには『ニュースステーション』共演者の小宮悦子を迎え、5時間の生放送を行った。 1996年10月 - 『ニュースステーション』でのインドのルポの中で、インド人がよどみない日本語で話をする映像を見て、「しかし、外人の日本語は片言の方がいいよね」と発言、直後から有道出人の猛烈な抗議を受ける。ただし大きな問題として表面化はせず。トニー・ラズロが代表を務める、一緒企画からも回答願を出されている。2006年12月1日になって、久米本人から有道に対し、当発言に対する謝罪のメールがあった。 1999年2月1日 - 『ニュースステーション』のダイオキシン問題に関する特集で埼玉県所沢市の葉物(実際には煎茶)から多く検出されたと伝えた。これにより、埼玉県所沢市産のホウレンソウなど野菜の価格が風評被害により暴落。その後、2004年6月16日にテレビ朝日が農家側に謝罪。1000万円で和解した。 同年10月6日 - 気力、体力の問題により『ニュースステーション』を降板。自身のウェブサイト、著書ではこの期間を「無職」としている。テレビ朝日は「休暇」としていた。 2000年1月4日 - 『ニュースステーション』に復帰。ヒゲ姿で登場した。写真入りで「久米ヒゲ復帰」などの見出しが新聞各紙を飾った。番組はリニューアルされ、ロゴがカタカナ表記から英字表記(『NEWS STATION』)に改められる。 2004年3月26日 - 『ニュースステーション』放送最終日。エンディングでは「今まで頑張った自分へのご褒美」と称してビールを飲みながら「本当にお別れです。さようなら!」と手を振り60歳を目前にして、18年半のメインキャスター生活にピリオドを打った。番組終了の際、他局でも「ニュースステーション終了」が取り上げられ、裏番組『筑紫哲也 NEWS23』の筑紫哲也が番組内でコメントするなど反響が大きかった。なお『ニュースステーション』終了後、テレビ朝日への直接の出演を一切行っていない。
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