『NHK紅白歌合戦』
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1958年の『第9回NHK紅白歌合戦』で、紅組司会を初めて務めた。現存している映像の中から、江利チエミと淡谷のり子の歌の音声の紹介の時には、黒柳の曲紹介の音声も一緒に紹介された(後の声と比べると高い声をしている)。当初、番組側は当時常連出場歌手の楠トシエを紅組司会に起用する予定だったが、当時は歌手兼司会が認められておらず、歌手としての出場を希望した楠が紅組司会の打診を断った。楠に続いて打診を受けた黒柳は「歌手の方と付き合いが乏しい」と拒否したが、番組側の説得に応じる形で最終的に引き受けた。なお、この時の黒柳の年齢は25歳であり、当時の紅白における最年少司会記録であった。 1958年当時は、テレビ各局で、紅白と同様に外部の大型劇場を借り切っての歌謡番組が大晦日の「目玉プログラム」として編成されていたため、出場歌手の大半が紅白の放送が始まる時点でまだ会場に到着していないという異常事態が起きている。その混乱ぶりから、黒柳は松島詩子の出番の際に、誤って「渡辺はま子さん」と紹介してしまうミスを犯している(しかし後年、『徹子の部屋』に松島がゲスト出演した際に、黒柳はこの件につき謝罪したところ、当の松島本人はすっかりこの時の黒柳のミスのことを忘れていた)。 1980年には、『ザ・ベストテン』、『徹子の部屋』、『音楽の広場』の司会ぶりを買われ、22年ぶりに「第31回NHK紅白歌合戦」の紅組司会に起用された(司会返り咲きまでの当時の最長インターバル記録となっていた)が、その際、黒柳は紅組司会を受ける条件として、「紅白の番組構成に私の意見を取り入れて欲しい」と要望。これが「1980年代最初の紅白なのでフレッシュな内容にしたい」と考えていたNHK側の思惑と合致しての司会起用だった。なお、これは後に自身が更新するまで紅白における司会返り咲きの最長ブランクだった。この年は、宝くじの抽選会で使用されているものと同仕様のルーレットを使用して、本番の中で攻守を決めるという異例の構成が採られたが、これも黒柳の「自身の意見を取り入れて欲しい」という要求を与して考え出されたものであるとされる。 翌1981年の「第32回NHK紅白歌合戦」についても同年、著書『窓ぎわのトットちゃん』が350万部を超す大ベストセラーを記録し、「トットちゃんブーム」が起こったことあり、紅組司会を続投した。以後、1983年の『第34回NHK紅白歌合戦』まで連続して紅組司会を務めた。 そのうち、黒柳が最後に紅組司会を務めた第34回では、当初紅組司会に当時放送中で高視聴率(最高60%)を記録していた連続テレビ小説『おしん』の出演者である田中裕子(ヒロイン)か泉ピン子(ヒロインの母親役)を据える計画があったという。しかし最終的には1度は完全にリストから消えていた黒柳が続投することとなった(4年連続起用)。黒柳は司会発表会見で「週刊誌では『気くばり先生』(鈴木健二。当時NHKアナウンサー)と『おしん』と書かれていたようで…。新鮮味に欠ける私で申し訳ありません」と述べた。一方、『窓ぎわのトットちゃん』が大ベストセラー(この時点で563万部)になっていた黒柳と、『気くばりのすすめ』が300万部突破のベストセラーを記録していた鈴木のベストセラー作家同士の両組司会として話題にもなった。 1984年の『第35回NHK紅白歌合戦』も当初は引き続き黒柳の紅組司会起用で決定しかけていたが、この年9月に黒柳が「もう今年が引き時では」と辞退を申し入れる。結局、白組司会の鈴木は続投したが、紅組司会はこの年紫綬褒章を受章し、黒柳とも親交がある森光子に交代となった。 2015年の『第66回NHK紅白歌合戦』では総合司会を担当、32年ぶりの司会復帰となった(先述の司会返り咲きまでの最長インターバル記録を自身が更新)。黒柳の年齢は82歳であり、第35回で紅組司会を務めた森の64歳という記録を抜いて史上最年長司会となるほか、70代以上の人物が司会を担当するのは史上初。NHKアナウンサー以外の女性が総合司会を務めるのは史上初であり、またNHKアナウンサー以外の女性が組司会と総合司会の双方を経験するのも初めて。 1955年の『第6回NHK紅白歌合戦』・1963年の『第14回NHK紅白歌合戦』・1969年の『第20回NHK紅白歌合戦』・1989年の『第40回NHK紅白歌合戦』・2017年の『第68回NHK紅白歌合戦』には応援ゲストとして、2014年の『第65回NHK紅白歌合戦』・2020年の『第71回NHK紅白歌合戦』にはゲスト審査員として、2016年の『第67回NHK紅白歌合戦』にはVTRゲストとして出演している。その他、1970年の『第21回NHK紅白歌合戦』、1979年の『第30回NHK紅白歌合戦』、1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』でも紅組司会の有力候補に挙がっていたとされる。
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