角梨枝子とは? わかりやすく解説

角梨枝子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/22 23:39 UTC 版)

すみ りえこ
角 梨枝子
1952年頃
本名 角 泰枝(すみ やすえ)
生年月日 (1928-03-07) 1928年3月7日
没年月日 (2005-10-12) 2005年10月12日(77歳没)
出生地 日本広島県広島市翠町(現・南区
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1948年 - 1970年代
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角 梨枝子(すみ りえこ、1928年3月7日 - 2005年10月12日)は、日本の女優[1][2][3][4]

来歴・人物

本名は角 泰枝(すみ やすえ)[2][5]広島県広島市翠町(現・南区)出身[1][2][5]。父親は広島文理科大学数学教授だった[2]。五人姉妹の末女[2]広島文理科大学付属小学校[2]ー広島第一高女(現・広島皆実高校)を経て[2]、1945年、神戸女学院音楽部に進学したが[2]、同年8月帰郷したおり被爆したため中退[2][3]。1947年大阪音楽大学進学[2][5]。翌1948年、初代・ミスヒロシマに選定され[1][2][3][5]東宝からスカウトされて映画界入り[2][5]豊田四郎監督の『エデンの海』の主役に抜擢されるが[2]東宝争議により製作中止された[2][5]

同郷の杉村春子と親交があり、演技力をつけるため文学座の研究生として1年在籍[2][3][5]。1949年、千秋実の薔薇座入り[2][5]。同年、角の主演、豊田四郎の演出で『エデンの海』が新宿セントラル劇場で舞台化された[2][5]。同じ年に藤本真澄プロデューサーが設立した藤本プロ初の専属女優として迎えられ[2][3]、映画『妻と女記者』(新東宝)でデビュー[1][2][3]。『山の彼方に』の前後篇の主役に抜擢され[2]、新人スターとして華々しく売り出され、映画も大ヒットした[2]。1950年、東横映画に貸し出された『七色の花』(春原政久監督)では、杉村春子、原節子と共演[2]。日本人離れした抜群のプロポーションとエキゾチックな美貌で注目を集め、主演スターとなった[2][3]

向かって左から若山セツ子久我美子淡島千景、角梨枝子、原節子杉葉子(1951年)

藤本プロとの契約切れで、大映松竹が引き抜きにかかり[2]、1951年松竹に移籍[2][3][5]。『恋文裁判』等に主演し、1953年に主演した松竹第2回カラー映画夏子の冒険』(三島由紀夫原作)は年間トップ4に入る大ヒットになり高い人気を得た。1954年には東宝山の音』(成瀬巳喜男監督)に出演[3][4]。また、林芙美子原作の名作を映画化した東映放浪記』に主演[3][5]。原作のアナーキーな迫力は無かったが、ほのぼのとした明るさで代表作とした[2][5]。同年、新東宝に移籍し、『慈悲心鳥』に主演。

1956年には大映に移籍し[3][5]、『人情馬鹿』に主演[1]。1957年以降はに回り[2][5]、60年代半ばまで活躍。、大映で60本近い映画に出演した[3]。1962年、吉村公三郎監督が広島の原爆禍若尾文子主演で撮った『その夜は忘れない』では、被爆した女を鬼気迫る好演で見せた[2]。1965年にフリーになったとされるが[1][5]、大映の倒産前年、1970年の最後の大映社員名簿に契約女優として記載がある[6]テレビドラマザ・ガードマン』、『キイハンター』などに出演したが[1]、次第に仕事から遠ざかり、女優業を引退していた。1973年の東映『夜の歌謡シリーズ 女のみち』が最後の映画出演[2]

若原雅夫と灼熱の恋に燃え、伊豆の今井ヶ浜で二人っきりのバカンスを送ったこともあったが[7]、その後は実業家に嫁いで平々凡々の生活を送った[7]。自宅は目黒区東が丘にあった[2]

2005年10月12日、心不全のため東京都目黒区内の病院で死去。享年77。

主な出演作品

映画

テレビドラマ

  • グッド・バイ(1960年、KRテレビ
  • ザ・ガードマン大映テレビ室TBS
    第12話「夜は二つの顔」(1965年)
    第238話「女がライバルを殺す方法」(1969年)
    第266話「団地・マイホーム殺人」(1970年)
    第273話「怪談・ミイラ墓の幽霊」(1970年)
  • 愛よふたたび(1967年、フジテレビ系) - 野中初音
  • キイハンター(TBS、東映
  • プレイガール東京12チャンネル、東映)
    第42話「スリラー 血ぬられた女の館」(1970年) - 上原夫人
    第79話「スリラー 浴室の死美人」(1970年) - 丈子
    第104話「スリラー 死神からの脅迫状」(1971年) - 高瀬夫人
    第143話「スリラー 女は黙って嘘をつく」(1971年) - 淑子
    第192話「裸の女に手を出すな」(1972年) - 君子
    第228話「怪談 美女の亡霊が欲情に燃えた」(1973年) - 綾江
    第251話「なんで私を裸で殺すの?!」(1974年) - たき子
  • 徳川おんな絵巻(1970年-1971年、フジテレビ系)
  • 千葉周作 剣道まっしぐら(1970年-1971年、TBS)- お加代
  • 特別機動捜査隊NET、東映)
    第453話「狙え!事件記者」(1970年) - 絹子
    第506話「銭に生きる女」(1971年) - 弥生
    第518話「わが道を行く」(1971年) - 律子
    第582話「消えゆく灯」(1972年) - ちとせ
    第642話「女ざかりの女」(1974年) - 昌子
  • バーディー大作戦(TBS、東映)
    第25話「結婚サギ師の華麗な冒険」(1974年)
    第38話「結婚前夜! 吹雪の中の殺人」(1975年)
  • プレイガールQ(東京12チャンネル、東映)
    第6話「裸のままでさようなら」(1974年) - 戸村銀子
    第64話「女の勝負は裸で迫る」(1976年) - 八重

脚注

  1. ^ a b c d e f g 角梨枝子 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 俳優全集 1980, pp. 380–381, 角梨枝子 文・佐藤忠男
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 中島けん (2015年3月2日). “映画が中心のブログです! 大映宣伝部・番外編の番外 (53) 角 梨枝子さん”. gooブログ. goo. 2025年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月23日閲覧。
  4. ^ a b 帯津良一 (2022年6月24日). “帯津良一のときめき健康法 第6回 色気は何処から 帯津良一・86歳のときめき健康法”. コモ・レ・バ?. CONEX ECO-Friends. 2025年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月23日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「第四部 広島県人国記 音楽・芸能界 角梨枝子」『広島県風土記』旺文社、1986年、531頁。 
  6. ^ 中島けん (2017年9月18日). “映画が中心のブログです! 大映宣伝部・番外編の番外 (171) 契約俳優・監督・脚本家について(3)”. gooブログ. goo. 2022年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月23日閲覧。
  7. ^ a b “最前線記者覆面座談会 男優より女優の方がいまは幸せ? かつてのスクリーンのアイドル 原節子、折原啓子らどこでどうしている…”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 10. (1975年1月31日) 

参考文献

  • 尾崎秀樹編著『プロデューサー人生―藤本真澄映画に賭ける』(東宝出版事業部、1981年12月) 
  • 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年。 

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