シネマジャパネスクとは? わかりやすく解説

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シネマジャパネスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 07:06 UTC 版)

奥山和由」の記事における「シネマジャパネスク」の解説

シネマジャパネスク(CINEMA JAPANESQUE)は、奥山和由中心となって進められプロジェクトで、従来全国画一的なブロックブッキングと異なる、邦画新し製作・興行体制構築目指すというものであった1億前後低予算作った映画を、3~4館ほどのシネマジャパネスク専用上映館基本に、作品規模テイストに応じて上映館の数を臨機応変変化させるというものだったまた、CS放送チャンネル衛星劇場」のオリジナルコンテンツ製作の側面持たせるため、「衛星劇場」の名称は「シネマジャパネスク」に変更された。解任事件により1997年10ヶ月間のみの短命プロジェクトとなってしまったが、奥山の前面指揮によって有望な若手監督による数多く邦画製作され日本映画界のプロ達の投票によって選出される1997年第7回日本映画プロフェッショナル大賞では功績評価され特別賞受賞している。 プロジェクト第1作となる『傷だらけの天使』(監督阪本順治)は、2作目として製作された『うなぎ』はカンヌで最高賞のパルムドール賞受賞した話題性もあり、興行的に貢献したそれ以降の作品は、『東京夜曲』(監督市川準)、『CURE』(監督黒沢清)、『バウンス ko GALS』(監督原田眞人)、そして翌年カンヌ国際映画祭正式出品となったフラワーズ・オブ・シャンハイ』(監督侯孝賢)など、世界各国映画祭多くの賞を受賞したが、興行的には振るわなかった。 1998年1月奥山解任劇をもって「シネマジャパネスク」は終焉迎えた当時プロジェクト内で撮影進行完成上映間近になっていた映画撮影中止上映延期になり、CS放送の名前は再び「衛星劇場」に戻された。『ルーズボーイ』などお蔵入りになったままの作品もある。また、後に無事上映され映画からは「製作総指揮:奥山和由」のクレジット外され奥山色は一掃された。

※この「シネマジャパネスク」の解説は、「奥山和由」の解説の一部です。
「シネマジャパネスク」を含む「奥山和由」の記事については、「奥山和由」の概要を参照ください。

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