針木康雄
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針木 康雄(はりき やすお、1931年11月11日 - 2012年2月14日)は、日本の経済評論家。株式会社経営塾会長。
来歴・人物
1957年、財界研究所に入社。雑誌『財界』編集長、主幹などを務めたが、1983年退社。1987年株式会社経営塾を設立。翌年雑誌『月刊経営塾(のち月刊BOSS)』を創刊(改題後の2019年に休刊。最終号は7月号)。
一方では政界や財界などの人物による勉強会である『経営塾フォーラム』を主宰するなど、幅広い活動も行っていた。
2012年2月14日、急性心不全のため死去[1]。月刊BOSS編集長の関慎夫によると『夜、自宅で就寝したまま亡くなった』とのことである[2]。80歳没。
脚注
- ^ 針木康雄氏が死去 経営評論家 日本経済新聞2012年2月15日閲覧
- ^ 針木康雄逝去 BOSSの独り言 2012年2月15日付
針木康雄
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経営評論家の針木康雄は「昔からプロ野球球団にはワンマンなオーナーはいたが、立場をわきまえている人は余計なことは言わなかった。経営の責任者にとって最も重要なのが人事権なのに、昔の人が人事に口を出すのは最悪だ。そういう会社は現場の団結力が失われてだめになる」と述べている。
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