大都映画とは? わかりやすく解説

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大都映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 08:41 UTC 版)

大都映畫株式會社(だいとえいが)は、1933年から1942年までの戦前から戦中にかけて東京市(現・東京都豊島区西巣鴨に存在した映画会社である。1928年に設立された河合映画製作社を前身にした新興の中小企業で低予算の娯楽作品を大量に製作し安価な入場料で当時の大手映画会社に対抗した。1942年に戦時統合で新興キネマ日活(製作部門)との3社が合併して大日本映画(大映)となって、大都映画はその歴史を閉じた。


注釈

  1. ^ 河合徳三郎の愛娘である三城輝子が主演。この男装の美剣士シリーズは大都映画のドル箱となった[6]
  2. ^ 殺陣が得意で颯爽とした立ち回りは有名である。1935年 - 1942年まで途中召集で3年間の空白があるが大都で出演作は62本である。その後同じ大都映画のスターであった水川八重子と結婚。戦後、劇団を作って地方回りを経て松竹そして東映に移り、テレビ時代劇「素浪人シリーズ」で不動の時代劇スターとなった。
  3. ^ 1915年生れ。大都の前身である河合映画に入社時は12歳であった。巨漢俳優大岡怪童との巨漢コンビで喜劇路線の柱となる。河合・大都での出演作品は200本を超える。
  4. ^ 1934年 - 1936年に大都映画に所属。
  5. ^ 1932年 - 1936年に大都映画に所属。その後松竹、東映の映画に出演。出演作品は140本に及ぶ。初代中村雁治郎の孫と結婚。その子が林与一である。
  6. ^ 1938年製作。小崎政房、吉村操の共同監督。水島道太郎主演。良心作として評価が高い[誰によって?]
  7. ^ 大都映画での看板女優。1941年に近衛十四郎と職場結婚した。近衛との間に生まれた子が松方弘樹目黒祐樹である。
  8. ^ 当時この巣鴨撮影所の面積は約6,800坪で、京都のマキノの太秦撮影所は2,800坪であった[7]

出典



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