藤間林太郎
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ふじま りんたろう
藤間 林太郎
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生誕 | 原田 林太郎(はらだ りんたろう) 1899年12月25日 ![]() |
死没 | 1969年12月24日または12月25日 |
国籍 | ![]() |
職業 | 俳優 |
活動期間 | 1920年代 - 1969年 |
著名な実績 | 劇映画(現代劇・時代劇、サイレント映画・トーキー)、テレビ映画 |
藤間 林太郎(ふじま りんたろう、1899年12月25日 - 1969年12月24日[1]または12月25日[2])は、日本の大正から昭和にかけての俳優。無声映画時代のスターの一人。本名は原田 林太郎(はらだりんたろう)。藤田まことの父。
来歴・人物
東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区麹町)出身。1918年に早稲田大学予科一年修了(中退)。
創作劇場、宝塚国民座などで新劇の経験後、無声映画に転身。最初は国際活映に所属、「灰燼」(1920年)でデビュー。その後は転々とし最後はフリーであった。
俳優の藤田まことは次男である。藤田によると読書家かつ蔵書家で、藤間の蔵書を売って生活費を捻出したこともあったという[3]。
出演
- 阪妻追善記念映画 京洛五人男 (1956年、松竹)
脚注
参考文献
- 藤田まこと『年をとるのも悪くない』飛鳥新社、1991年。ISBN 4-87031-101-1。
- 藤田まこと『最期』日本評論社、2006年。 ISBN 4-535-58488-5。
関連項目
- 何が彼女をさうさせたか
- 林きむ子 異父姉
外部リンク
固有名詞の分類
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