藤間勘章とは? わかりやすく解説

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藤間勘章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 22:01 UTC 版)

ふじま かんしょう
藤間勘章
生年月日 1916年1月5日
没年月日 (1998-03-17) 1998年3月17日(82歳没)
本名 加藤辰夫
出身地 旧満州
藤間式部(養女)
当たり役
三世清元梅吉作曲
清元「双面」
「藤乃顔見世」」
長唄楠公
三世清元梅吉作曲
清元瓢箪」ほか

藤間 勘章(ふじま かんしょう、本名:加藤辰夫、1916年1月5日 - 1998年3月17日)は愛知県名古屋市を中心に活動した、日本舞踊藤間勘右衛門藤間流日本舞踊家。旧満州出身。

経歴

4歳から日本舞踊を始める。1946年に旧満州から引き揚げる。1950年頃、名古屋市に居をうつす。名古屋で中京藤間一門会(勘右衛門派)を創設。1989年には初の立役に挑戦して成功、芸域を広げた。1998年2月1日、入院先から名古屋市で開催された門弟の会に駆けつけ、「山姥」を踊ったのが最後の舞台となった。

長く、中京藤間会会長として、亡くなるまで、中京地区の藤間流をまとめていた。主催の会「中京藤間をどり」(会場は御園座から中日劇場)では、毎回、創作舞踊を上演。「踊りの魔術師」「勘章マジック」と言われた。古典でも新演出をして、注目を集め、女形を中心に取り組む。中京五流舞踊公演は、第1回から亡くなる前年の1997年まで連続出演。

主な作品

  • 吉野山→佐藤忠信を女忠信で上演
  • 保名→「女保名」という外題で上演。芸者の扮装をしている。
  • 法界坊(双面)→通常は常磐津の曲を、清元梅吉作曲のものを上演。
  • 月→清元榮壽郎作曲の作品をアレンジ。
  • 素踊りを群舞による振付に再構成した。他多数

受賞

平成2年度名古屋市芸術賞芸術特賞(1991年)

家族

  • 長女(養子):藤間式部(日本舞踊家)

参考資料




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