国民栄誉賞を受賞とは? わかりやすく解説

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国民栄誉賞を受賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 04:33 UTC 版)

藤山一郎」の記事における「国民栄誉賞を受賞」の解説

1992年平成4年5月28日藤山は国民栄誉賞を受賞した。受賞理由は「正当な音楽技術と知的解釈をもって歌謡曲詠唱に独自の境地開拓した」、「長きに渡り歌謡曲通じて国民希望励まし与え美しい日本語の普及貢献した」というものであった池井優によると、藤山受賞決定づけたのは1992年3月28日土曜日19:30から20:55までNHK総合放送されテレビ番組幾多丘を越えて - 藤山一郎80歳、青春歌声』である。この番組見た衆議院議員島村宜伸当時自由民主党幹事長であった綿貫民輔国民栄誉賞授与の話を持ちかけたことで政府検討に入ることになったまた、NHKのアナウンサー出身参議院議員でかつて古賀政男国民栄誉賞受賞尽力した高橋圭三福田赳夫通じて政府働きかけ行った藤山は娘を通じて受賞打診され、受諾した当初授賞式4月25日予定されたがこの時藤山坐骨神経痛患い入院中で、退院後の5月28日延期された。授賞式会場首相官邸車椅子乗って現れ藤山中に入る車椅子から降りてをついて歩き東京音楽学校時代恩師クラウス・プリングスハイム指揮声楽家増永丈夫として日比谷公会堂独唱したベートーヴェンの『歓喜の歌』を伴奏なしで歌った数十年ぶりクラシック音楽増永丈夫大衆音楽藤山一郎披露したスポーツ選手を除く国民栄誉賞受賞者の中では最初存命中の受賞となった1996年上野恩賜公園内に設置された「日本スポーツ文化栄誉広場」には国民栄誉賞受賞者の手形が展示されており、藤山のものもある。 藤山は、国民栄誉賞以外にも、勲三等瑞宝章1982年春)、紫綬褒章1973年)、日本赤十字社特別有功章1952年)、NHK放送文化賞1958年)、社会教育功労章1959年)、日本レコード大賞特別賞1974年)などを受賞受章)している。

※この「国民栄誉賞を受賞」の解説は、「藤山一郎」の解説の一部です。
「国民栄誉賞を受賞」を含む「藤山一郎」の記事については、「藤山一郎」の概要を参照ください。

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