1970年の読売ジャイアンツ では、1970年の読売ジャイアンツ における動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、川上哲治 監督の10年目のシーズンであり、V9 の6年目のシーズンである。
概要
投手陣では5月18日の広島 戦で渡辺秀武 がノーヒットノーランを達成するなど自己最高の23勝を挙げて高橋一三 ・堀内恒夫 と3本柱を形成するなど好調で、それ以外には3年目の山内新一 がセットアッパーとして頭角を現しリリーフながら8勝をあげ、9月には倉田誠 が台頭し、9月の12勝9敗のうち4勝を倉田が稼いだ。先発3本柱に加え山内・倉田の救援陣の活躍でチーム防御率は前年の3.31から2.46と大きく改善され、打撃陣では王貞治 ・長嶋茂雄 が中心となって打ちまくりリーグ1位の131本塁打を記録するも、チーム打率が前年の.263から.240と低下した。開幕から大型連敗がなく(最多連敗は4連敗)、また5連勝以上を6回記録するなどチームは死角なしだったが、9月17日からの2週間で4連敗含め2勝6敗で足踏みする間に阪神 が急接近。10月に13勝5敗と大きく勝ち越して何とか逃げ切り、10月22日の中日 戦に勝って中日球場 で6連覇を達成。対戦成績は阪神に12勝13敗1分、大洋 には11勝14敗1分と負け越したものの、広島に貯金11、中日に貯金9、ヤクルト に貯金16をそれぞれ稼いだ。特にヤクルト戦には相性がよくホームで13連勝を記録したほか、7月7日から同一カード11連勝を記録した。日本シリーズ では常連の阪急 に代わって濃人渉 監督率いるロッテ との対戦となったが、ロッテの強力打線を封じ込めて4勝1敗で破り6年連続の日本一も達成した。
レギュラーシーズン
1970年セントラル・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
9月終了時
最終成績
1位
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
2位
広島
0.5
阪神
0.5
広島
5.5
大洋
5.5
阪神
3.5
阪神
3.0
阪神
2.0
3位
阪神
2.0
広島
2.0
大洋
6.0
阪神
6.0
大洋
6.0
大洋
4.5
大洋
10.0
4位
ヤクルト
3.0
大洋
5.5
阪神
7.0
広島
8.0
広島
10.0
広島
10.5
広島
15.0
5位
中日
3.0
中日
6.5
中日
11.5
中日
16.5
中日
14.5
中日
19.0
中日
23.5
6位
大洋
3.5
ヤクルト
9.5
ヤクルト
15.0
ヤクルト
21.0
ヤクルト
29.0
ヤクルト
35.0
ヤクルト
45.5
[2]
日本シリーズ
1970年 日本シリーズ
日付
試合
ビジター球団(先攻)
スコア
ホーム球団(後攻)
開催球場
10月27日(火)
第1戦
ロッテオリオンズ
0 - 1
読売ジャイアンツ
後楽園球場
10月28日(水)
第2戦
ロッテオリオンズ
3 - 6
読売ジャイアンツ
10月29日(木)
移動日
10月30日(金)
第3戦
読売ジャイアンツ
5 - 3
ロッテオリオンズ
東京スタジアム
11月1日(日)
第4戦
読売ジャイアンツ
5 - 6
ロッテオリオンズ
11月2日(月)
第5戦
読売ジャイアンツ
6 - 2
ロッテオリオンズ
優勝:読売ジャイアンツ(6年連続14回目)
[1]
オールスターゲーム1970
できごと
選手・スタッフ
監督
一軍コーチ
二軍監督・コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
[4]
表彰選手
王貞治(一塁手、9年連続9度目)
長嶋茂雄(三塁手、13年連続13度目)
高田繁 (外野手、2年連続2度目)
ドラフト
出典
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代