1971年の読売ジャイアンツ では、1971年の読売ジャイアンツ の動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、川上哲治 監督の11年目のシーズンであり、V9 の7年目のシーズンである。
概要
前年6連覇を達成し、7連覇への期待がかかる巨人は開幕後の4月には12連勝を記録して開幕ダッシュに成功すると前半戦は2位のヤクルト に11.5ゲーム差をつけた。しかし7月以降は勝ち星が伸び悩み、8月は10勝13敗、終盤は9勝9敗と後半戦は平凡な成績に終わった。それでも中日 、阪神 、大洋 といったライバル球団を寄せ付けず最後は7連覇を達成。チームは最下位のヤクルトに16勝10敗と勝ち越したが、大洋には12勝11敗3分、阪神には12勝10敗4分と若干苦戦し、特に大洋には7月まで10勝4敗3分と勝ち越したものの、8月以降わずか2勝に終わった。投手陣では二枚看板の高橋一三 と堀内恒夫 が14勝をあげ、4年目で一軍ローテ入りした関本四十四 が10勝をあげたもののそれ以外の投手が成績を落とした。打撃陣では王貞治 が本塁打王・打点王の2冠、長嶋茂雄 が首位打者を獲得したものの王は打率が3割を切り、日本シリーズでの活躍を不安視されたが、チーム本塁打123本はリーグ2位で、149盗塁もリーグ1位を記録。日本シリーズ は1勝1敗で迎えた第3戦、9回裏に王が阪急 ・山田久志 から放った逆転サヨナラ3ランはそれまでの「阪急有利」の流れを変えるものだった。結局第4戦以降も巨人がモノにして、最後は前人未到の日本シリーズ7連覇を達成した。
レギュラーシーズン
1971年セントラル・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
最終成績
1位
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
2位
大洋
4.5
広島
4.5
広島
8.0
ヤクルト
10.0
大洋
10.0
中日
6.5
3位
阪神
6.0
大洋
7.5
ヤクルト
9.0
中日
12.0
広島
10.5
大洋
8.0
4位
ヤクルト
6.0
ヤクルト
9.5
中日
10.0
広島
12.5
中日
10.5
広島
8.0
5位
中日
6.5
中日
10.0
阪神
11.5
大洋
14.0
阪神
11.0
阪神
12.5
6位
広島
7.0
阪神
10.5
大洋
12.5
阪神
14.5
ヤクルト
12.0
ヤクルト
19.0
[2]
日本シリーズ
1971年 日本シリーズ
日付
試合
ビジター球団(先攻)
スコア
ホーム球団(後攻)
開催球場
10月12日(火)
第1戦
読売ジャイアンツ
2 - 1
阪急ブレーブス
阪急西宮球場
10月13日(水)
第2戦
読売ジャイアンツ
6 - 8
阪急ブレーブス
10月14日(木)
移動日
10月15日(金)
第3戦
阪急ブレーブス
1 - 3
読売ジャイアンツ
後楽園球場
10月16日(土)
第4戦
阪急ブレーブス
4 - 7
読売ジャイアンツ
10月17日(日)
第5戦
阪急ブレーブス
1 - 6
読売ジャイアンツ
優勝:読売ジャイアンツ(7年連続15回目)
[1]
オールスターゲーム1971
できごと
選手・スタッフ
監督
一軍コーチ
二軍監督・コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
[4]
表彰選手
王貞治(一塁手、10年連続10度目)
長嶋茂雄(三塁手、14年連続14度目)
柴田勲 (外野手、4年ぶり2度目)
高田繁(外野手、3年連続3度目)
ドラフト
出典
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代