1970年の阪急ブレーブス では、1970年の阪急ブレーブス における動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄 監督の8年目のシーズンである。
概要
前年まで3連覇を達成し、パ・リーグ 初の4連覇を目指したチームは日本万国博覧会 が阪急電鉄 沿線の吹田市で開催されたこともあり西本監督は「大阪万博の年を優勝で飾る」と宣言。しかし、投手陣の二枚看板で暗黒時代を支えたベテラン米田哲也 ・梶本隆夫 が開幕から成績不振に陥り、チームも5月までは首位の東映 から4.5ゲーム差の5位に低迷。東映の失速やロッテ が独走状態に突入した7月以降巻き返して近鉄 と3位争いを演じたが、ロッテや2位の南海 を捕まえることができず勝率5割に到達するのがやっとで、万博イヤーを優勝で飾れず4年ぶりのBクラスに終わった。カード別成績は優勝のロッテと相性が悪く9勝16敗1分と負け越し、ロッテ優勝の引き立て役となった。投手陣ではベテラン二人が衰えたものの、2年目の山田久志 が10勝をあげてローテ入りするも防御率が3.57のリーグ4位に転落。打撃陣では5月から1番打者となった福本豊 が2年目で初の盗塁王となり、前年ほとんど二軍で過ごした加藤秀司 は代打で出場機会を伸ばすなど若手が台頭し、翌1971年 のリーグ優勝につながった。
レギュラーシーズン
1970年パシフィック・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
9月終了時
最終成績
1位
東映
--
東映
--
ロッテ
--
ロッテ
--
ロッテ
--
ロッテ
--
ロッテ
--
2位
近鉄
1.5
ロッテ
0.5
東映
3.0
南海
9.5
南海
9.5
南海
12.0
南海
10.5
3位
ロッテ
2.5
近鉄
2.5
南海
5.5
近鉄
13.0
阪急
11.5
阪急
16.5
近鉄
13.5
4位
南海
3.0
南海
3.0
近鉄
8.5
阪急
13.0
近鉄
11.5
近鉄
阪急
16.5
5位
阪急
3.5
阪急
4.5
阪急
10.5
東映
13.0
東映
15.0
東映
22.0
東映
24.5
6位
西鉄
4.5
西鉄
10.5
西鉄
17.5
西鉄
23.5
西鉄
24.5
西鉄
32.0
西鉄
34.0
オールスターゲーム1970
できごと
10月16日 - 梶本隆夫 が西宮球場での対ロッテ24回戦に先発登板し、プロ通算800試合登板を達成[ 4] 。
12月22日 - ダリル・スペンサー を守備コーチとして復帰させると発表。
選手・スタッフ
監督
二軍監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
[ 5]
表彰選手
リーグ・リーダー
選手名
タイトル
成績
回数
福本豊
盗塁王
75個
初受賞
[ 1]
ドラフト
退団年は阪急を選手として最初に退団した年、最終年はNPBに選手として所属した最終年を示す
順位
選手名
位置
所属
退団年
最終年
通算成績
1位
小松建二
外野手
大昭和製紙
1976終
1980
246試合175打数32安打5本塁打10打点 打率.183
2位
今井雄太郎
投手
新潟鉄道管理局
1990終
1991
429登板274先発130勝112敗10S 防御率4.28
3位
小関康雄
投手
榛原高
入団拒否
所属なし
一軍公式戦出場なし
4位
細川安雄
捕手
高松商業高
1981終
1981
55試合34打数6安打0本塁打3打点 打率.176
5位
高須正義
内野手
土浦日本大学高
1972終
1972
一軍公式戦出場なし
6位
日高兼一郎
投手
宮崎・本庄高
入団拒否
所属なし
一軍公式戦出場なし
7位
福間納
投手
松下電器
入団拒否
1990
451登板14先発22勝21敗9S 防御率3.67
8位
大西忠
外野手
土浦日本大学高
1974終
1974
2試合2打数1安打0本塁打0打点 打率.500
9位
三宅昇
外野手
西濃運輸
1973終
1973
1試合1打数0安打0本塁打0打点 打率.000
出典
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
脚注
1936年から1946年までは「阪急軍」(1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。) 1947年から1988年までは「阪急ブレーブス」 1989年から1990年までは「オリックス・ブレーブス」 1991年から2004年までは「オリックス・ブルーウェーブ」(2004年オフに大阪近鉄バファローズ と球団合併) 2005年から「オリックス・バファローズ」