1966年の阪急ブレーブス では、1966年の阪急ブレーブス の動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄 監督の4年目のシーズンである。
概要 前年球団初のリーグ優勝が期待されながらも4位に終わったチームは法政大学 の長池徳士 をドラフトで獲得して打撃陣の強化を図るが、それ以外の戦力は前年と不変だった。2年ぶりのAクラス入りが期待されたが、前年Bクラスの影響もあって近鉄 との最下位争いが続いた。8月以降は成績が上向いて東京 と4位争いを繰り広げるが、前年から順位を1つ落として5位で終了した。投手陣は先発四本柱のうち米田哲也 が25勝をあげて最多勝を獲得し、足立光宏 や石井茂雄 も2ケタ勝利を挙げるも梶本隆夫 が開幕から勝てず、防御率3点台ながらわずか2勝にとどまった。打撃陣は本塁打が前年の130本から89本とリーグ最下位に転落し、打率も.229でリーグ5位と過去2年間と違って貧打にあえいだ。シーズン終了後西本監督は秋季キャンプで「俺を辞任させるか続投させるかどうか、お前たちに一任する」として前代未聞の監督信任投票を行わせた。結果は「○」が多かったが「×」や白票も目立ち、西本監督は小林米三 オーナーに辞表を提出。しかし小林オーナーが「来シーズンも西本監督でいく」と発言して西本監督の続投が正式に決定し、翌1967年 の初優勝につながった。
チーム成績 レギュラーシーズン 1966年パシフィック・リーグ順位変動 順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績 1位 西鉄 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 2位 東映 1.0 東映 4.5 西鉄 1.0 西鉄 1.5 西鉄 3.5 西鉄 4.0 3位 南海 1.0 西鉄 5.0 東映 2.0 東映 3.5 東映 5.5 東映 9.0 4位 阪急 3.5 東京 8.0 東京 8.5 東京 10.5 東京 12.0 東京 18.0 5位 東京 4.5 近鉄 10.5 阪急 10.5 阪急 13.0 阪急 14.5 阪急 22.0 6位 近鉄 5.0 阪急 11.0 近鉄 11.0 近鉄 13.5 近鉄 21.5 近鉄 31.0
[1]
オールスターゲーム できごと 選手・スタッフ
監督 一軍コーチ 二軍監督・コーチ 投手 捕手 内野手 外野手
[2]
表彰選手 脚注 注釈
出典 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代 脚注
1936年から1946年までは「阪急軍」(1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。) 1947年から1988年までは「阪急ブレーブス」 1989年から1990年までは「オリックス・ブレーブス」 1991年から2004年までは「オリックス・ブルーウェーブ」(2004年オフに大阪近鉄バファローズ と球団合併) 2005年から「オリックス・バファローズ」