1966年の大洋ホエールズ では、1966年の大洋ホエールズ の動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、三原脩 監督の7年目のシーズンである。
概要
前年4位から巻き返すべく、外国人をケン・アスプロモンテ と南海 から移籍のジョー・スタンカ に一新するが、自慢のメガトン打線 が沈黙し、またエースの秋山登 が衰えた投手陣も崩壊。5月1日には佐々木吉郎 が完全試合を達成するなど明るい話題もあったが、チームは開幕から最下位独走。一時はサンケイ と入れ替わって5位に座るも、最後は息切れして優勝の巨人 に37ゲーム、2位中日 には24ゲームも付けられるなどさんざんな1年となった。投手陣は高橋重行 ・稲川誠 ・小野正一 などがそれなりの成績を残したが、秋山は6勝8敗と負け越しに終わり、2ケタ勝利をあげたのは稲川だけでチーム防御率3.74のリーグ最下位。トップクラスの打撃陣はチーム本塁打が116本とまずまずだったものの、得点が巨人に100点以上つけられ428点のリーグ3位。最下位に終わった一方で、松原誠 のレギュラー定着が明るい話題だった。対戦成績ではV2の巨人に同一カード14連敗を喫するなど5勝21敗と相性が悪かった一方で、阪神 など3球団には13勝13敗の五分で健闘した。シーズン途中の6月6日には三原監督が検査入院のため休養するハプニングもあった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1966年セントラル・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
最終成績
1位
中日
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
2位
広島
0.5
中日
1.0
中日
1.0
中日
4.5
中日
6.5
中日
13.0
3位
サンケイ
1.0
広島
2.0
広島
7.0
広島
15.0
広島
21.0
阪神
25.0
4位
巨人
1.5
阪神
6.0
阪神
13.0
阪神
20.5
阪神
26.5
広島
32.0
5位
阪神
3.5
サンケイ
8.0
サンケイ
14.5
サンケイ
26.0
大洋
30.0
大洋
37.0
6位
大洋
5.5
大洋
10.0
大洋
18.5
大洋
27.0
サンケイ
33.0
サンケイ
[1]
オールスターゲーム
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
脚注
注釈
^ 偵察メンバーの渡辺政好と交代。
^ 偵察メンバーの辻善之と交代。
^ 偵察メンバーの平山佳宏と交代。
^ 偵察メンバーの高山勲 と交代。
^ 偵察メンバーの阿部成行 と交代。
出典
^ a b “年度別成績 1966年 セントラル・リーグ ”. 日本野球機構 . 2017年5月26日 閲覧。
^ 毎日新聞1966年5月2日13面「佐々木(大洋)が完全試合 プロ野球史上8人目の快挙」毎日新聞縮刷版1966年5月p37
^ 朝日新聞1966年6月7日13面「三原監督が健康診断に入院」朝日新聞縮刷版p171
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1953年開幕直前に松竹ロビンス と球団合併