1972年の大洋ホエールズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/25 03:36 UTC 版)
| 1972年の大洋ホエールズ | |
|---|---|
| 成績 | |
| セントラル・リーグ5位 | |
| 57勝69敗4分 勝率.452[1] | |
| 本拠地 | |
| 都市 | 神奈川県川崎市 |
| 球場 | 川崎球場 |
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| 球団組織 | |
| オーナー | 中部謙吉 |
| 経営母体 | 大洋漁業 |
| 監督 | 別当薫(8月30日まで) 青田昇(8月31日から9月23日まで代行) 宮崎剛(9月24日まで代行) |
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1972年の大洋ホエールズでは、1972年の大洋ホエールズの動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、別当薫監督の5年目のシーズンである。
概要
アメリカからクリート・ボイヤーとジョン・シピンの新外国人コンビが入団、ロッテから江藤慎一をトレードし打線を強化したものの、チーム防御率一位の前年から一転し、先発投手陣が脆弱化したことから、チーム成績は低迷する。そんな中、阪神(村山実監督兼投手→金田正泰代行)、広島(根本陸夫監督→森永勝也代行)と監督途中交代が連続、大洋でも8月31日より別当監督が「優勝が絶望的になった」として休養し、青田昇ヘッドコーチが監督代行となるが、青田代行はいきなり7連敗し、9月23日まで1勝14敗2分と低迷した。翌24日からは宮崎剛二軍監督が「代行監督の代行」となり、結局5位で終わった。シーズン終了後、別当監督は戻らずにそのまま広島の新監督へ就任、大洋の新監督には青田ヘッドコーチが昇格した。
チームは優勝の巨人に13勝13敗、3位中日に14勝11敗1分と勝ち越すも、それ以外への取りこぼしも目立った。野村収が移籍した先発投手陣は平松政次の球威が低下し、坂井勝二、山下律夫の活躍こそあったものの、前年活躍した小谷正勝と鬼頭洋も成績を落としたことから、チーム防御率3.66はリーグ5位で27完投はリーグ最下位。一方で、ボイヤー・シピン・江藤など新加入のスラッガーが主軸となったことで、打撃陣は優勝の巨人に次ぐ2位の135本塁打を放ったが、44盗塁はリーグ最下位でちぐはぐさが目立った。
チーム成績
レギュラーシーズン
| 1 | 右 | 江尻亮 |
|---|---|---|
| 2 | 中 | 中塚政幸 |
| 3 | 一 | 松原誠 |
| 4 | 左 | 江藤慎一 |
| 5 | 二 | シピン |
| 6 | 捕 | 伊藤勲 |
| 7 | 三 | ボイヤー |
| 8 | 遊 | 松岡功祐 |
| 9 | 投 | 山下律夫 |
| 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1位 | 中日 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
| 2位 | 大洋 | 1.0 | 阪神 | 大洋 | 2.5 | 阪神 | 阪神 | 4.0 | 阪神 | 3.5 | ||
| 3位 | 巨人 | 2.0 | 大洋 | 1.5 | 阪神 | 3.0 | 大洋 | 4.0 | 大洋 | 8.5 | 中日 | 7.0 |
| 4位 | 広島 | 3.0 | 中日 | 5.0 | 中日 | 4.0 | 中日 | 5.0 | 中日 | 9.0 | ヤクルト | 14.5 |
| 5位 | 阪神 | 4.0 | 広島 | 7.5 | ヤクルト | 13.0 | ヤクルト | 8.5 | ヤクルト | 12.0 | 大洋 | 17.0 |
| 6位 | ヤクルト | 5.0 | ヤクルト | 10.0 | 広島 | 13.5 | 広島 | 12.5 | 広島 | 20.5 | 広島 | 24.0 |
| 順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
| 1位 | 読売ジャイアンツ | 74 | 52 | 4 | .587 | 優勝 |
| 2位 | 阪神タイガース | 71 | 56 | 3 | .559 | 3.5 |
| 3位 | 中日ドラゴンズ | 67 | 59 | 4 | .532 | 7.0 |
| 4位 | ヤクルトアトムズ | 60 | 67 | 3 | .472 | 14.5 |
| 5位 | 大洋ホエールズ | 57 | 69 | 4 | .452 | 17.0 |
| 6位 | 広島東洋カープ | 49 | 75 | 6 | .395 | 24.0 |
オールスターゲーム
| コーチ | 青田昇 | |||
|---|---|---|---|---|
| ファン投票 | 選出なし | |||
| 監督推薦 | 坂井勝二 | 平松政次 | 伊藤勲 | シピン |
| 補充選手 | 松原誠 |
できごと
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この節の加筆が望まれています。
|
- 8月31日
- 9月24日 - 監督代行の青田昇が胆石で入院。二軍監督の宮崎剛が代行に。
- 11月14日 - 監督に、この年監督代行を務めた青田昇が正式就任。
- 11月22日 - 横浜市に対し、本拠地を移転することを申し入れる。
選手・スタッフ
表彰選手
| リーグ・リーダー |
|---|
| 受賞者なし |
| ベストナイン | ||
|---|---|---|
| 選手名 | ポジション | 回数 |
| シピン | 二塁手 | 初受賞 |
| ダイヤモンドグラブ賞(新設) | ||
| 選手名 | ポジション | |
| シピン | 二塁手 | |
脚注
注釈
出典
| セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 阪神タイガース | 優勝 | 阪急ブレーブス | 2位 | 近鉄バファローズ |
| 3位 | 中日ドラゴンズ | 4位 | ヤクルトアトムズ | 3位 | 南海ホークス | 4位 | 東映フライヤーズ |
| 5位 | 大洋ホエールズ | 6位 | 広島東洋カープ | 5位 | ロッテオリオンズ | 6位 | 西鉄ライオンズ |
| :日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||
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