1999年の横浜ベイスターズとは? わかりやすく解説

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1999年の横浜ベイスターズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/11 05:17 UTC 版)

1999年の横浜ベイスターズ
成績
セントラル・リーグ3位
71勝64敗 勝率.526[1]
本拠地
都市 神奈川県横浜市中区
球場 横浜スタジアム
球団組織
オーナー 中部慶次郎
経営母体 マルハ
監督 権藤博
スローガン
LET'S PLAY AGAIN!
« 1998
2000 »

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1999年の横浜ベイスターズ(1999ねんのよこはまベイスターズ)では、1999年横浜ベイスターズの動向をまとめる。

この年の横浜ベイスターズは、権藤博監督の2年目のシーズンである。

概要

前年、権藤監督1年目で38年ぶりのセ・リーグ優勝と日本一を達成したチームは、球団史上初の連覇達成を期待されたが、開幕6連敗を喫する。マシンガン打線の好調を投手陣が無駄にするなど、投打のアンバランスが現れ開幕ダッシュには失敗。それでも5月以降は巻き返し、7月には広島阪神を抜いて3位に浮上。しかし、打線は好調でも先発陣が打ちこまれる試合は相変わらず続き、11年ぶり優勝の中日に10ゲーム差を付けられて、3位でシーズンを終えた。

打撃陣は、円熟期のロバート・ローズはじめ、前年まで2年連続首位打者の鈴木尚典、大ベテラン駒田徳広、切り込み隊長の石井琢朗、2番の波留敏夫などが打ちまくって、リーグ打率は中日・巨人をしのぎ.294の1位で、本塁打も前年の100本から140本へと増えた。

一方、投手陣のチーム防御率は、前年の3.49から4.44へと大幅に低下した(この年の防御率1位は中日の3.39)[2]先発川村丈夫(17)と斎藤隆(14勝)が2人で31勝を挙げ、前年は故障でシーズンの大半を離脱していた福盛和男三浦大輔と並んで9勝を挙げたが、前年に13勝(斎藤とともにチーム最多勝利)を挙げた野村弘樹は故障でわずか7試合登板・1勝に終わる。救援陣も、守護神の佐々木主浩防御率1.93・19セーブを記録したが、シーズン途中で故障のため戦線離脱。中継ぎ陣は、プロ初勝利を含む6勝(22セーブ・防御率2.16)を挙げた森中聖雄を除き、多くの投手が前年より成績を落とした[注 1]。斎藤隆・川村・三浦の先発3人の開幕から5月末までの勝敗は計7勝11敗、6月から連覇が絶望的になった9月26日までが31勝6敗の成績という成績であり、彼らの5月までの低迷がV逸の一因として挙げられている[3]。また前年に活躍した戸叶尚も前半戦で1イニング6四球のセ・リーグワースト記録を記録し、6月に出場選手登録を抹消されると、V逸が確定する前日の9月29日に対巨人24回戦(横浜スタジアム)で2勝目を挙げるまで一軍に復帰できなかった[4]。翌30日の対巨人25回戦(横浜スタジアム)で、当時3位のチームは2位の巨人相手に2対1で勝利したが、当時1になっていた中日の優勝マジックナンバーの対象チームは巨人だったため、この勝利により横浜は自軍のV逸を確定させる結果となった。権藤は同年の横浜について、先発投手から抑えまで投手陣に故障者が続出したことにより、前年は1点差で勝てていた試合を1点差で落とすようになったことがV逸の原因であると分析している。同日終了時点では66勝58敗、勝率.532という成績で、優勝した中日(79勝51敗、勝率.608)と10ゲーム差、2位巨人(73勝58敗、勝率.557)とは3.5ゲーム差で、中日には10勝15敗と大幅に負け越し、巨人にも12勝13敗、4位のヤクルト(60勝66敗、勝率.476)相手にも10勝13敗と負け越していた一方、5位の広島(53勝75敗、勝率.414)には16勝9敗、最下位の阪神(54勝77敗、勝率.412)には18勝8敗と大幅に勝ち越していた[5]

シーズン終了後、ロッテ自由契約になった小宮山悟を獲得。一方で佐々木がフリーエージェント (FA) の権利行使を宣言してMLBシアトル・マリナーズへ移籍し、チームは転換期を迎える。

横浜ベイスターズの当年及び近年のシーズン成績
最終成績














開幕時監督
1999 レギュラー敗退 3位 71 64 0 .526 10.0 . 権藤博
1998 日本一 優勝 79 56 1 .585 -4.0 . 権藤博
1997 レギュラー敗退 2位 72 63 0 .533 11.0 . 大矢明彦
1996 レギュラー敗退 5位 55 75 0 .423 22.0 . 大矢明彦
1995 レギュラー敗退 4位 66 64 0 .508 16.0 . 近藤昭仁
1994 レギュラー敗退 6位 61 69 0 .469 9.0 . 近藤昭仁
1993 レギュラー敗退 5位 57 73 0 .438 23.0 . 近藤昭仁
1992 レギュラー敗退 5位 61 69 1 .469 8.0 . 須藤豊
1991 レギュラー敗退 5位 64 66 1 .492 10.0 . 須藤豊
1990 レギュラー敗退 3位 64 66 3 .492 24.0 . 須藤豊
1989 レギュラー敗退 6位 47 80 3 .370 36.5 . 4.57 古葉竹識

チーム成績

レギュラーシーズン

オーダー変遷
開幕:4/2 5/1 6/1 7/2 8/1 9/1
1 石井琢朗 石井琢朗 石井琢朗 石井琢朗 石井琢朗 石井琢朗
2 波留敏夫 波留敏夫 波留敏夫 波留敏夫 波留敏夫 波留敏夫
3 鈴木尚典 鈴木尚典 鈴木尚典 鈴木尚典 鈴木尚典 鈴木尚典
4 ローズ ローズ ローズ ローズ ローズ ローズ
5 駒田徳広 駒田徳広 駒田徳広 駒田徳広 駒田徳広 駒田徳広
6 中根仁 佐伯貴弘 ポゾ ポゾ 中根仁[注 2] 佐伯貴弘[注 3]
7 進藤達哉 ポゾ 中根仁[注 4] 佐伯貴弘 進藤達哉 進藤達哉
8 谷繁元信 谷繁元信 谷繁元信 谷繁元信 谷繁元信 川﨑義文
9 三浦大輔 戸叶尚 福盛和男 斎藤隆 斎藤隆 福盛和男

[6]

1999年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 中日 -- 中日 -- 中日 -- 中日 -- 中日 -- 中日 --
2位 巨人 5.0 阪神 2.5 巨人 2.0 巨人 5.0 巨人 3.0 巨人 6.0
3位 阪神 広島 5.0 阪神 4.5 横浜 8.0 横浜 8.5 横浜 10.0
4位 広島 6.5 ヤクルト 広島 4.5 ヤクルト 11.5 ヤクルト 13.5 ヤクルト 15.0
5位 ヤクルト 巨人 7.0 横浜 5.0 阪神 12.5 阪神 15.0 広島 24.0
6位 横浜 7.0 横浜 7.5 ヤクルト 8.0 広島 14.0 広島 20.0 阪神 26.0


1999年セントラル・リーグ成績
順位 球団 勝率
優勝 中日ドラゴンズ 81 54 0 .600 --
2位 読売ジャイアンツ 75 60 0 .556 6.0
3位 横浜ベイスターズ 71 64 0 .526 10.0
4位 ヤクルトスワローズ 66 69 0 .489 15.0
5位 広島東洋カープ 57 78 0 .422 24.0
6位 阪神タイガース 55 80 0 .407 26.0


オールスターゲーム1999

  • ファン投票
選出なし
  • 監督推薦
斎藤隆
川村丈夫
佐々木主浩
島田直也
谷繁元信
石井琢朗
ローズ
鈴木尚典

選手・スタッフ

[7]

表彰選手

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
ローズ 首位打者 .369 初受賞
打点王 153打点 6年ぶり2度目
石井琢朗 盗塁王 39個 2年連続3度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
ローズ 二塁手 3年連続5度目
石井琢朗 遊撃手 3年連続3度目
ゴールデングラブ賞
選手名 ポジション 回数
駒田徳広 一塁手 7年連続10度目
進藤達哉 三塁手 3年連続3度目

ドラフト

網掛けの選手は逆指名による入団

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 田中一徳 外野手 PL学園高 入団
2位 木塚敦志 投手 明治大学 入団
3位 村西哲幸 投手 比叡山高 入団
4位 鈴木寛樹 投手 掛川西高 入団
5位 南竜介 投手 報徳学園高 入団
6位 七野智秀 内野手 PL学園高 入団
7位 中野渡進 投手 三菱自動車川崎 入団
8位 八馬幹典 内野手 三菱自動車京都 入団

脚注

注釈

  1. ^ 島田直也(前年60試合登板・5勝7敗1セーブ・防御率2.36)は39試合登板・0勝4敗4セーブ・防御率5.36五十嵐英樹(前年40試合登板・5勝2敗1セーブ・防御率2.61)は24試合登板・0勝3敗2セーブ・防御率5.40阿波野秀幸(前年50試合登板・4勝1敗・防御率4.67)は40試合登板・2勝8敗1セーブ・防御率6.32横山道哉(前年53試合登板・4勝4敗・防御率3.09)は43試合登板・4勝3敗2セーブ・防御率4.93関口伊織(前年42試合登板・4勝5敗・防御率4.10)は一軍登板なし。
  2. ^ 偵察メンバーの福盛和男から交代。
  3. ^ 偵察メンバーの斎藤隆から交代。
  4. ^ 偵察メンバーの横山道哉から交代。

出典

  1. ^ 年度別成績 1999年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年9月22日閲覧。
  2. ^ マシンガン打線はセ・リーグ記録のチーム打率.294も3位に沈む――プロ野球最強打線を振り返る
  3. ^ 『神奈川新聞』1999年9月27日朝刊A版スポーツ17頁「1999Bフルマーク 「2けた」狙う三浦結果出ず」(神奈川新聞社 真野太樹)
  4. ^ 『神奈川新聞』1999年9月30日朝刊スポーツB版13頁「1999 ☆Bフルマーク 苦しんだだけ 1勝の喜び大」(神奈川新聞社 鈴木昌紹)
  5. ^ 『神奈川新聞』1999年10月1日朝刊B版スポーツ面16頁「1999 ☆Bフルマーク 最後まで全力 V逸つぐないに」(神奈川新聞社 鈴木昌紹)
  6. ^ 『2000 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、1999年。ISBN 4-583-03622-1 
  7. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。 ISBN 978-4-583-10668-7 



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