1959年の大洋ホエールズ では、1959年の大洋ホエールズ の動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、森茂雄 球団社長が1年だけ、監督を務めたシーズンである。
概要
前年オフ、西鉄 の三原脩 監督が退団し大洋の監督に就任するという情報が明らかになり、ライオンズファンの猛反対で結局三原監督は留任、仕方なく森球団社長が監督に就任する事となった。森監督は三原が扱いやすくなる様にとチームを若手編成する事とし、その結果この年中央大学 から入団した桑田武 内野手が31本の本塁打を打って「本塁打王 」を獲得、同時に王貞治 (巨人 )・村山実 (阪神 )・江藤慎一 ・板東英二 (以上中日 )・北川芳男 (国鉄 )といった強敵を抑えて「新人王 」を獲得した。投手陣はチーム防御率3.47で最下位だったが、5連覇の巨人や2位の阪神とならびリーグ1位の49完投を記録した。チームは最下位にはなったものの、翌年 の初優勝への基礎が出来上がり、そしてオフ、予定通り三原監督が大洋監督に就任した。この年からユニフォームはオレンジと黒が主体となり、1962年 まで続くことになる。
大洋ホエールズの当年及び近年のシーズン成績
年
成績
リーグ
勝
敗
分
率
平均得点
打率
本塁打
本塁打率
盗塁
防御率
平均失点
開幕時監督
1959
レギュラー敗退
6位
49
77
4
.389
.
森茂雄
1958
レギュラー敗退
6位
51
73
6
.411
.
迫畑正巳
1957
レギュラー敗退
6位
52
74
4
.413
.
迫畑正巳
1956
レギュラー敗退
6位
43
87
0
.331
.
迫畑正巳
1955
レギュラー敗退
6位
31
99
0
.238
.
藤井勇
1954
レギュラー敗退
6位
32
96
2
.250
.
4.81
永沢武夫
1953
レギュラー敗退
5位
52
77
1
.403
.
4.78
小西得郎
1952
レギュラー敗退
4位
58
62
0
.483
.
4.72
小西得郎
1951
レギュラー敗退
6位
40
64
4
.385
.
5.74
中島治康
1950
レギュラー敗退
5位
69
68
3
.504
.
5.44
渡辺大陸
レギュラーシーズン
1959年セントラル・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
9月終了時
最終成績
1位
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
2位
中日
4.0
国鉄
4.5
国鉄
9.5
大阪
10.5
大阪
12.0
中日
13.5
大阪
13.0
3位
国鉄
5.5
中日
8.5
大阪
11.0
国鉄
12.5
中日
13.5
大阪
13.5
中日
4位
広島
8.0
大阪
9.5
広島
15.0
中日
17.0
国鉄
14.0
国鉄
14.5
国鉄
15.5
5位
大阪
8.5
大洋
10.5
中日
18.0
広島
17.5
広島
16.0
広島
16.5
広島
17.0
6位
大洋
10.0
広島
12.0
大洋
18.5
大洋
20.5
大洋
22.5
大洋
26.0
大洋
28.5
[ 1]
オールスターゲーム
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
脚注
注釈
出典
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1953年開幕直前に松竹ロビンス と球団合併