芝野忠男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/03 06:18 UTC 版)
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芝野 忠男(しばの ただお、1938年6月21日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手であり、主に遊撃手を守った。右投右打。
経歴
神奈川県立鎌倉高等学校から1957年に大洋ホエールズに入団。豪快なバッティングが魅力であり、2年目の1958年には90試合に出場し4本の本塁打を放っているが、気の弱さと恵まれた家庭の育ちで野球をやらなくても生活に困らないという欲のなさが災いし、伸び悩んだ。
それでも1960年に三原脩監督が就任した際は二塁手のレギュラーとして当初は期待されたが、結局近藤昭仁が二塁手に定着し、1962年には一軍出場がないまま同年限り退団した。
背番号
- 45 (1957年 - 1958年)
- 28 (1959年 - 1962年)
関連項目
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