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近藤晴彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/20 00:50 UTC 版)

近藤 晴彦
基本情報
国籍 日本
出身地 静岡県焼津市
生年月日 (1936-04-27) 1936年4月27日
没年月日 (2018-01-30) 2018年1月30日(81歳没)
身長
体重
175 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1959年
初出場 1959年
最終出場 1960年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

近藤 晴彦(こんどう はるひこ、1936年4月27日 - 2018年1月30日[要出典])は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手

来歴・人物

静岡県焼津市に生まれる。静岡高等学校では1年生からレギュラーとなり、投手、外野手として活躍。1953年秋季中部大会に進むが、1回戦で岡崎高との乱打戦の末に敗退、春の選抜出場を逸する。翌1954年夏の甲子園県予選でも優勝候補筆頭と目されていたが、1回戦で浜名高に逆転負けを喫する。高校1年下のチームメートに捕手の種茂雅之がいた。

卒業後は早稲田大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1、2年生の時に2回の優勝を経験する。1956年春季リーグから外野手のレギュラーとなり、同季は長嶋茂雄に続く打撃ベストテン2位を記録。エース木村保を擁し、同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝で村山実らのいた関大に敗れる。1957年秋季リーグは病で戦列を離れるが、復帰後は再び中心打者として活躍する。

1959年に大洋ホエールズに入団[1]。強肩好打の外野手として期待され、1年目から一軍に定着。5月には先発出場を果たし、主に中堅手として55試合に起用された。翌1960年は出場機会が減るが、準レギュラーとして大洋のリーグ優勝、日本一に貢献。しかし打撃成績は低迷し、同年限りで現役引退する[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1959 大洋 55 64 58 10 12 1 0 1 16 2 1 0 3 0 3 0 0 12 1 .207 .246 .276 .522
1960 31 32 29 3 2 1 0 0 3 0 0 0 1 0 2 0 0 5 0 .069 .129 .103 .232
通算:2年 86 96 87 13 14 2 0 1 19 2 1 0 4 0 5 0 0 17 1 .161 .207 .218 .425

背番号

  • 7 (1959年 - 1960年)

脚注

  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、234ページ

関連項目

外部リンク




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