1966年の近鉄バファローズ では、1966年の近鉄バファローズ の動向をまとめる。
この年の近鉄バファローズは、岩本義行 監督の2年目のシーズンである。
概要
当年及び近年のシーズン成績
年
成績
リーグ
勝
敗
分
率
平均得点
打率
本塁打
本塁打率
盗塁
防御率
平均失点
開幕時監督
1966
レギュラー敗退
6位
48
82
3
.369
.
岩本義行
1965
レギュラー敗退
6位
46
92
2
.333
.
岩本義行
1964
レギュラー敗退
6位
55
91
4
.377
.
別当薫
1963
レギュラー敗退
4位
74
73
3
.503
.
別当薫
1962
レギュラー敗退
6位
57
73
1
.438
.
別当薫
1961
レギュラー敗退
6位
36
103
1
.259
.
4.94
千葉茂
1960
レギュラー敗退
6位
43
87
1
.331
.
千葉茂
1959
レギュラー敗退
6位
39
91
3
.300
.
千葉茂
1958
レギュラー敗退
6位
29
97
4
.230
.
加藤久幸
1957
レギュラー敗退
6位
44
82
6
.349
.
芥田武夫
1956
レギュラー敗退
5位
68
82
4
.453
.
芥田武夫
パールス時代の1954年 以来Aクラスから遠ざかるチームはこの年からユニフォームをロサンゼルス・ドジャース 風のデザインに一新。ホーム用は「Buffaloes」の字体が変更され、ビジター用は「KINTETSU」ロゴがゴシック体になった(この年採用の新ロゴは藤井寺球場 最終年の1996年 まで使用)。また画家の岡本太郎 がデザインした猛牛マークが5年ぶりにユニフォームに戻るなど、イメージチェンジが図られたが評価が二分され、特にビジター用は「高校野球みたいだ」と揶揄されることもあった。ドラフト会議が前年から導入されたことを受け、チームは後の300勝投手・鈴木啓示 を2位で指名。鈴木は5月末に初勝利をあげると、1年目から10勝をあげる活躍を見せた。チームは4月を最下位で終えると、同じく開幕ダッシュに失敗した阪急 との最下位争いがしばらく続いた。しかし8月以降は大きく負け越して最終的に3年連続の最下位。結局優勝の南海 に31ゲーム、4位東京 に13ゲームもの大差をつけられた。打撃陣は4番の土井正博 を除いてふるわずチーム打率はリーグ5位で、安打・得点もリーグ最下位。ユニフォーム変更もチームのカンフル剤にはならず3年連続の最下位で終わり岩本監督はわずか2年で辞任。後任にはチーム生え抜きの小玉明利 が選手兼任ながら監督に就任した。
レギュラーシーズン
1966年パシフィック・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
最終成績
1位
西鉄
--
南海
--
南海
--
南海
--
南海
--
南海
--
2位
東映
1.0
東映
4.5
西鉄
1.0
西鉄
1.5
西鉄
3.5
西鉄
4.0
3位
南海
1.0
西鉄
5.0
東映
2.0
東映
3.5
東映
5.5
東映
9.0
4位
阪急
3.5
東京
8.0
東京
8.5
東京
10.5
東京
12.0
東京
18.0
5位
東京
4.5
近鉄
10.5
阪急
10.5
阪急
13.0
阪急
14.5
阪急
22.0
6位
近鉄
5.0
阪急
11.0
近鉄
11.0
近鉄
13.5
近鉄
21.5
近鉄
31.0
[ 1]
オールスターゲーム1966
できごと
選手・スタッフ
[ 2] [ 3]
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代