1958年の阪急ブレーブスでは、1958年の阪急ブレーブスの動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、藤本定義監督の2年目のシーズンである。
概要
藤本体制2年目のチームは球団創設23年目での初優勝が期待されたが、4月を5勝11敗1分で終える最悪のスタート。それでもこの年は前年後半にプロ入り初勝利をあげた秋本祐作が14勝4敗で最高勝率を獲得するなど、梶本隆夫や米田哲也に続く投手陣第三のエースが誕生した。秋本・梶本・米田ら投手陣の踏ん張り、ロベルト・バルボン・河野旭輝の俊足1・2番コンビ、中田昌宏、この年新人の本屋敷錦吾といった打撃陣の活躍で5月に16勝5敗1分と勝ち越して借金を返済。6月と7月と8月にそれぞれ5連勝を記録して3か月で貯金13を稼ぎ首位快走の南海をマークしたが、9月16日から1勝8敗と大きく負け越す間に2連覇中の西鉄が13連勝などで首位を奪還すると、チームは南海共々西鉄に引き離され、73勝51敗6分の貯金22ながらも3位に終わり藤本監督の悲願である優勝はならなかった。投手陣は秋本・梶本・米田らの活躍で53完投とリーグ1位で、防御率も西鉄・南海に次ぐ3位と好調だった。打撃陣はバルボン・河野らが走りまくってリーグ1位の176盗塁をマークするも、長打不足に泣き41本塁打はリーグ4位に終わった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1958年パシフィック・リーグ順位変動
順位 |
4月終了時 |
5月終了時 |
6月終了時 |
7月終了時 |
8月終了時 |
最終成績 |
1位 |
南海 |
-- |
南海 |
-- |
南海 |
-- |
南海 |
-- |
南海 |
-- |
西鉄 |
-- |
2位 |
西鉄 |
1.0 |
西鉄 |
3.5 |
阪急 |
5.5 |
阪急 |
6.5 |
阪急 |
3.0 |
南海 |
1.0 |
3位 |
東映 |
3.0 |
阪急 |
4.0 |
西鉄 |
6.5 |
西鉄 |
10.5 |
西鉄 |
3.0 |
阪急 |
4.5 |
4位 |
大毎 |
5.0 |
大毎 |
4.5 |
大毎 |
9.5 |
大毎 |
12.5 |
大毎 |
13.5 |
大毎 |
16.0 |
5位 |
阪急 |
7.5 |
東映 |
7.5 |
東映 |
12.5 |
東映 |
17.0 |
東映 |
14.0 |
東映 |
22.0 |
6位 |
近鉄 |
10.5 |
近鉄 |
19.5 |
近鉄 |
29.0 |
近鉄 |
37.5 |
近鉄 |
38.5 |
近鉄 |
49.5 |
[1]
オールスターゲーム
できごと
選手・スタッフ
|
監督 |
|
監督補佐 |
|
コーチ |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
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[2]
表彰選手
ベストナイン |
選手名 |
ポジション |
回数 |
バルボン |
二塁手 |
初受賞 |
脚注
注釈
出典
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1930年代 |
|
1940年代 |
|
1950年代 |
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1960年代 |
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1970年代 |
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1980年代 |
|
1990年代 |
|
2000年代 |
|
2010年代 |
|
2020年代 |
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脚注
1936年から1946年までは「阪急軍」(1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。) 1947年から1988年までは「阪急ブレーブス」 1989年から1990年までは「オリックス・ブレーブス」 1991年から2004年までは「オリックス・ブルーウェーブ」(2004年オフに大阪近鉄バファローズと球団合併) 2005年から「オリックス・バファローズ」
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