1958年の南海ホークス では、1958年の南海ホークス の動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人 監督の13年目のシーズンである(当時は山本一人)。
概要
当年及び近年のシーズン成績
年
成績
リーグ
勝
敗
分
率
平均得点
平均失点
開幕時監督
1958
レギュラー敗退
2位
77
48
5
.616
鶴岡一人
1957
レギュラー敗退
2位
78
53
1
.595
鶴岡一人
1956
レギュラー敗退
2位
96
52
6
.649
山本一人
1955
日本シリーズ敗退
優勝
99
41
3
.707
山本一人
1954
レギュラー敗退
2位
91
49
0
.650
山本一人
1953
日本シリーズ敗退
優勝
71
48
1
.597
山本一人
1952
日本シリーズ敗退
優勝
76
44
1
.633
山本一人
1951
日本シリーズ敗退
優勝
72
24
8
.750
山本一人
1950
レギュラー敗退
2位
66
49
5
.574
山本一人
1949
レギュラー敗退
4位
67
67
1
.500
4.90
4.96
山本一人
1948
リーグ優勝
優勝
87
49
4
.640
4.23
2.82
山本一人
立教大学 の先輩である大沢啓二 (のちの日本ハム 監督)の誘いで杉浦忠 が入団したこの年、チームは2年間優勝から遠ざかったうっぷんを晴らすべく前年まで2連覇の西鉄 に11.5ゲーム差を付けるなど、8月までは順調に首位を走り、3年ぶりの優勝は目前だった。しかし、杉浦に疲れが見え始めた9月以降はチームも成績が急降下。杉浦の負担を軽くできる投手は皆川睦雄 を除けば不調で、さらにBクラスチームへの取りこぼしもあり、最終的に西鉄の3連覇を許して2位に終わった。シーズン終了後、鶴岡監督は夫人の実家である山本家から籍を抜き、登録名も本名の鶴岡一人に復した。対戦成績は西鉄に11勝13敗2分と健闘したものの、西鉄が復調した8月以降はわずか2勝しかできなかった。それ以外では東映と最下位の近鉄 に大きく勝ち越したが、例年得意だった阪急 に13勝12敗1分と苦戦し、9月21日の26回戦に勝ってようやく勝ち越しを決めた。
レギュラーシーズン
1958年パシフィック・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
最終成績
1位
南海
--
南海
--
南海
--
南海
--
南海
--
西鉄
--
2位
西鉄
1.0
西鉄
3.5
阪急
5.5
阪急
6.5
阪急
3.0
南海
1.0
3位
東映
3.0
阪急
4.0
西鉄
6.5
西鉄
10.5
西鉄
3.0
阪急
4.5
4位
大毎
5.0
大毎
4.5
大毎
9.5
大毎
12.5
大毎
13.5
大毎
16.0
5位
阪急
7.5
東映
7.5
東映
12.5
東映
17.0
東映
14.0
東映
22.0
6位
近鉄
10.5
近鉄
19.5
近鉄
29.0
近鉄
37.5
近鉄
38.5
近鉄
49.5
オールスターゲーム1958
できごと
選手・スタッフ
[ 2]
表彰選手
脚注
注釈
^ 1955年に一塁手部門で受賞しており、通算3度目。
出典
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。