1981年の南海ホークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/08 03:39 UTC 版)
| 1981年の南海ホークス | |
|---|---|
| 成績 | |
| パシフィック・リーグ5位 年間5位:53勝65敗12分 勝率.449 後期6位:24勝33敗8分 勝率.421 前期5位:29勝32敗4分 勝率.475 |
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| 本拠地 | |
| 都市 | 大阪府大阪市浪速区 |
| 球場 | 大阪球場 |
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| 球団組織 | |
| オーナー | 川勝傳 |
| 経営母体 | 南海電気鉄道 |
| 監督 | ドン・ブレイザー |
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1981年の南海ホークス(1981ねんのなんかいホークス)では、1981年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
このシーズンの南海ホークスは、ドン・ブレイザー監督の1年目のシーズンである。
概要
| 年 | 成績 | リーグ | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 平均得点 | 平均失点 | 開幕時監督 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1981 | レギュラー敗退 | 5位 | 53 | 65 | 12 | .449 | D.ブレイザー | ||||
| 1980 | レギュラー敗退 | 6位 | 48 | 77 | 5 | .384 | 広瀬叔功 | ||||
| 1979 | レギュラー敗退 | 5位 | 46 | 73 | 11 | .387 | 広瀬叔功 | ||||
| 1978 | レギュラー敗退 | 6位 | 42 | 77 | 11 | .353 | 広瀬叔功 | ||||
| 1977 | レギュラー敗退 | 2位 | 63 | 55 | 12 | .534 | 野村克也 | ||||
| 1976 | レギュラー敗退 | 2位 | 71 | 56 | 3 | .559 | 野村克也 | ||||
| 1975 | レギュラー敗退 | 5位 | 57 | 65 | 8 | .467 | 野村克也 | ||||
| 1974 | レギュラー敗退 | 3位 | 59 | 55 | 16 | .518 | 野村克也 | ||||
| 1973 | 日本シリーズ敗退 | 優勝 | 68 | 58 | 4 | .540 | 野村克也 | ||||
| 1972 | レギュラー敗退 | 3位 | 65 | 61 | 4 | .516 | 野村克也 | ||||
| 1971 | レギュラー敗退 | 4位 | 61 | 65 | 4 | .484 | 野村克也 | ||||
広瀬叔功前監督の辞任を受け、1980年の途中まで阪神の監督だったブレイザーが野村克也元監督の解任以来4年ぶりにチームに復帰。さらに打撃コーチに前巨人コーチの与那嶺要、大リーグからバーニー・シュルツ投手コーチを招聘し、首脳陣を外国人で固めた。前年に使用して最下位の原因となった縦縞ユニフォームや赤ツバ帽子の廃止など、1978年の最下位転落以来低迷するチームの立て直しを図るが、ブレイザー監督の「考える野球」は他球団に研究されるなど苦戦が続いた。前期は門田博光や名取和彦とのトレードで西武から移籍したジム・タイロンがチームを引っ張り、前期は5位ながらも借金3で終了。後期以降の勝率5割に期待がかかったが、近鉄の復調で最下位に転落。結局ブレイザー監督1年目は53勝65敗12分の5位に終わったが、借金が前年の29から12と大きく減り翌年に期待を持たせる結果となった。投手陣ではこの年入団の山内和宏と山内孝徳に加え、エースの山内新一も含めて「山内トリオ」を形成(背番号も3人で合わせている)し防御率こそ4.37で最下位だったものの、前年の5点台後半からはやや改善された。山内和・山内孝はこの年以降エースとして活躍し、弱い時代の南海を支えることになる。対戦成績は優勝の日本ハムに4勝18敗4分と相性が悪く、特に後期は同一カード9連敗を喫し日本ハム優勝のアシスト役になってしまった。
チーム成績
レギュラーシーズン
| 1 | 三 | 藤原満 |
|---|---|---|
| 2 | 中 | 久保寺雄二 |
| 3 | 左 | メイ |
| 4 | 右 | タイロン |
| 5 | 指 | 門田博光 |
| 6 | 一 | 小田義人 |
| 7 | 遊 | 定岡智秋 |
| 8 | 二 | 河埜敬幸 |
| 9 | 捕 | 黒田正宏 |
| 投手 | 山内新一 | |
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| 順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
| 優勝 | 日本ハムファイターズ | 68 | 54 | 8 | .557 | -- |
| 2位 | 阪急ブレーブス | 68 | 58 | 4 | .540 | 2.0 |
| 3位 | ロッテオリオンズ | 63 | 57 | 10 | .525 | 4.0 |
| 4位 | 西武ライオンズ | 61 | 61 | 8 | .500 | 7.0 |
| 5位 | 南海ホークス | 53 | 65 | 12 | .449 | 13.0 |
| 6位 | 近鉄バファローズ | 54 | 72 | 4 | .429 | 16.0 |
*優勝は前後期優勝チームによるプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1981
- 選出選手及びスタッフ
| ファン投票 | 監督推薦 |
|---|---|
| 選出なし | 藤田学 河埜敬幸 藤原満 門田博光 |
できごと
- 4月1日 - 西武のジム・タイロンを名取和彦との交換トレードで獲得。これに伴い在籍外国人選手がタイロンの他、カルロス・メイ・高英傑・李来発の4名となったため、李を急遽「練習生」選手へ降格、同時に高も一軍登録抹消となる。これに激怒した高は「約束が違う」と退団を表明するが、4月11日に永井球団代表らの説得で残留。
選手・スタッフ
表彰選手
| リーグ・リーダー | |||
|---|---|---|---|
| 選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
| 門田博光 | 本塁打王 | 44本 | 初受賞 |
| 最高出塁率 | .431 | 初受賞 | |
| 藤原満 | 最多安打 | 154本 | 5年ぶり2度目 |
| ベストナイン | ||
|---|---|---|
| 選手名 | ポジション | 回数 |
| 門田博光 | 指名打者 | 初受賞[注 1] |
| ダイヤモンドグラブ賞 | ||
| 選手名 | ポジション | 回数 |
| 藤原満 | 三塁手 | 5年ぶり2度目 |
ドラフト
| 順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 1位 | 金城信夫 | 投手 | 兵庫・市川高 | 入団 |
| 2位 | 赤星鉄治 | 捕手 | 九州産交 | 入団 |
| 3位 | 矢野実 | 投手 | 大丸 | 入団 |
| 4位 | 藤本博史 | 内野手 | 天理高 | 入団 |
| 5位 | 岡本光 | 投手 | 松下電器 | 拒否 |
| 6位 | 川本和宏 | 投手 | 天理高 | 入団 |
脚注
注釈
- ^ 外野手部門で3度受賞しており、通算4度目。
出典
| セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 広島東洋カープ | 優勝 | 日本ハムファイターズ | 2位 | 阪急ブレーブス |
| 3位 | 阪神タイガース | 4位 | ヤクルトスワローズ | 3位 | ロッテオリオンズ | 4位 | 西武ライオンズ |
| 5位 | 中日ドラゴンズ | 6位 | 横浜大洋ホエールズ | 5位 | 南海ホークス | 6位 | 近鉄バファローズ |
| :日本一 :後期優勝・日本シリーズ出場 :前期優勝(パ・リーグ) | |||||||
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