1957年の南海ホークスでは、1957年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の12年目のシーズンである(当時は山本一人)。
概要
一昨年の優勝のご褒美として実施されたハワイキャンプで選手が観光に明け暮れる失態を演じた反省から、鶴岡監督は「今年からキャンプは日本でやる」と宣言。前年2年ぶりに西鉄に優勝をさらわれたものの、前年正捕手となった野村克也や穴吹義雄、大沢啓二などの主力選手はこの年も主軸として打ちまくり、投手陣ではこの年ルーキーの木村保が新人王となり、前年限りで引退の柚木進に代わりエースにのし上がるなど若手が台頭。木村の21勝をはじめ、皆川睦雄が18勝、長光告直・田沢芳夫も2桁勝利をあげたが、それ以外の投手は勝ち星1桁に終わった。打撃陣は本塁打が前年の68本から98本へと倍増したが、盗塁数が前年から半減。チームは4月を首位の毎日から2ゲーム差の4位とまずまずの成績を残し、6月終了時点で首位を奪取。しかし、夏場に入り主力選手が息切れすると8月以降は西鉄に6ゲーム差を付けられ、最後は7ゲームの2位で終わりペナント奪回を逃した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1957年パシフィック・リーグ順位変動
| 順位 |
4月終了時 |
5月終了時 |
6月終了時 |
7月終了時 |
8月終了時 |
9月終了時 |
最終成績 |
| 1位 |
毎日 |
-- |
西鉄 |
-- |
南海 |
-- |
西鉄 |
-- |
西鉄 |
-- |
西鉄 |
-- |
西鉄 |
-- |
| 2位 |
西鉄 |
1.0 |
毎日 |
2.0 |
毎日 |
1.0 |
毎日 |
2.0 |
南海 |
6.0 |
南海 |
5.0 |
南海 |
7.0 |
| 3位 |
阪急 |
1.0 |
南海 |
3.0 |
西鉄 |
3.0 |
南海 |
2.5 |
毎日 |
6.5 |
阪急 |
6.5 |
毎日 |
8.0 |
| 4位 |
南海 |
2.0 |
阪急 |
4.5 |
阪急 |
4.0 |
阪急 |
6.0 |
阪急 |
10.5 |
毎日 |
8.0 |
阪急 |
8.0 |
| 5位 |
東映 |
4.5 |
東映 |
6.5 |
東映 |
6.5 |
東映 |
7.5 |
東映 |
19.0 |
東映 |
20.5 |
東映 |
28.0 |
| 6位 |
大映 |
5.5 |
大映 |
13.0 |
大映 |
14.5 |
大映 |
14.5 |
大映 |
27.5 |
近鉄 |
35.5 |
近鉄 |
38.5 |
| 7位 |
近鉄 |
7.0 |
近鉄 |
近鉄 |
20.0 |
近鉄 |
23.5 |
近鉄 |
35.5 |
大映 |
36.5 |
大映 |
43.5 |
オールスターゲーム1957
できごと
選手・スタッフ
|
|
| 監督 |
|
| コーチ |
|
| 二軍監督 |
|
| 投手 |
|
| 捕手 |
|
| 内野手 |
|
| 外野手 |
|
[2]
表彰選手
脚注
注釈
出典
|
|
| 1930年代 |
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| 1940年代 |
|
| 1950年代 |
|
| 1960年代 |
|
| 1970年代 |
|
| 1980年代 |
|
| 1990年代 |
|
| 2000年代 |
|
| 2010年代 |
|
| 2020年代 |
|
| 1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |