金彦任重とは? わかりやすく解説

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金彦任重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/08 04:51 UTC 版)

金彦 任重(金 永徳)
基本情報
国籍 韓国
生年月日 1936年1月27日
日本京都府
没年月日 (2023-01-21) 2023年1月21日(86歳没)
韓国
身長
体重
178 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1956年
初出場 1959年4月14日
最終出場 1963年7月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督

金彦 任重(かねひこ たかしげ、韓国名:김영덕金 永徳(キム・ヨンドク)、1936年[1]1月27日 - 2023年1月21日)は、在日韓国人プロ野球選手(投手、右投右打)[2][3]

現役時代は南海ホークスでプレーした。大韓民国に帰国後は、大韓民国のアマチュア野球球団やKBOリーグの球団で監督を務めた。

また、日本在住時、1958年に金彦任重とする前の名前として金彦 永徳を名乗っていた[4]

略歴

1936年1月27日、京都府に生まれる。

神奈川県逗子開成高等学校を経て、1956年南海ホークスに入団[2][3]。背番号は1[4]

プロ4年目の1959年に1軍デビューし6勝を挙げ、1963年まで通算67試合(158.2回)に登板した。通算成績は7勝9敗、防御率3.57[2]

1964年に大韓民国に帰国し、実業野球の大韓海運公社、クラウンビール、韓一銀行で活躍[1]。また韓一銀行時代の1970年に監督兼選手に就任し、指導者としてのキャリアをスタートした[1]

現役引退後はソウル特別市奨忠高校朝鮮語版天安市北一高等学校英語版の野球部の監督を務めた。また1971年アジア野球選手権大会では野球大韓民国代表のコーチを務めた。

1982年にこの年発足したKBOリーグOBベアーズの初代監督に就任[1]この年の韓国シリーズを制覇し、チームを初代王者へと導いた[1]1983年限りで退団した。

1984年からはサムスン・ライオンズの監督を務め、1985年に優勝へと導いた。1986年限りで退団した。

1988年、前年・前々年と最下位争いをしていたピングレ・イーグルスに「優勝請負人」として監督に招聘され、前年までとは違う好成績を残した。またこの年の4月7日にサムスン・ライオンズに勝利して、KBOリーグ史上初の通算300勝を挙げた監督となった。しかし、ピングレでは韓国シリーズに進出するものの準優勝に終わることも多く、最終的にはリーグ優勝を果たせず、1993年のシリーズをもって、戦績不振の責任を取り、契約切れとなって退団した。

1996年LGツインズの投手インストラクター、1997年よりLGツインズの2軍監督を務めたが、1998年をもって2軍監督の契約が更新されず、野球界から退いた。

2023年1月21日に韓国で死去した[5][1]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1959 南海 43 8 0 0 0 6 6 -- -- .500 417 102.0 93 8 19 1 2 54 2 1 45 35 3.09 1.10
1960 8 3 0 0 0 1 2 -- -- .333 98 23.2 19 3 11 1 2 6 0 0 9 9 3.38 1.27
1962 15 2 0 0 0 0 1 -- -- .000 136 32.0 39 4 5 1 0 15 0 0 23 19 5.34 1.38
1963 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 3 1.0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
通算:4年 67 13 0 0 0 7 9 -- -- .438 654 158.2 152 15 35 3 4 75 2 1 77 63 3.57 1.18

記録

背番号

  • 1(1956年-1960年)
  • 20(1961年-1963年)
  • 40(1982年-1983年)
  • 60(1984年)
  • 70(1985年-1987年)
  • 99(1988年-1993年)
  • 96(1997年-1998年)

出典

  1. ^ a b c d e f NPB南海ホークスでデビューした韓国プロ野球元監督が死去”. 中央日報日本語版 (2023年1月22日). 2023年1月23日閲覧。
  2. ^ a b c 金彦任重”. 日本野球機構. 2018年4月16日閲覧。
  3. ^ a b 金彦任重”. 週刊ベースボールonline. 2018年4月16日閲覧。
  4. ^ a b ホークス歴代背番号1 秋山監督は9年間”. 日刊スポーツ (2011年11月29日). 2018年4月16日閲覧。
  5. ^ ‘KBO 첫 우승 사령탑’ 김영덕 감독 별세”. sports. never.com (2023年1月21日). 2023年1月21日閲覧。

関連項目

外部リンク




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