金應龍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 21:26 UTC 版)
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2006年
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基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
出身地 | ![]() 平安南道平原郡粛川面 |
生年月日 | 1940年4月8日(83歳) |
身長 体重 |
185 cm 100 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴
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監督・コーチ歴
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国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
選出年 | 1963, 1969, 1971 |
この表について
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キム・ウンヨン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김응용 |
漢字: | 金應龍 |
発音: | キムンニョン |
英語表記: | Kim Eung-Ryong |
金 應龍(キム・ウンヨン、朝: 김응용、1940年4月8日(旧暦3月1日) - )は、大韓民国の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。現役時代は、韓一銀行などの実業チームでプレーし、引退後はKBOリーグの複数チームの監督や野球大韓民国代表の監督を務めた。現在、韓国野球ソフトボール協会の会長を務める。
経歴
1940年、日本統治下の平安南道平原(現在は北朝鮮)で生まれ、釜山商業高校卒業後に渡米し、アメリカ合衆国ジョージア州のジョージアサザン大学を卒業[2]。
1983年から2000年まで18年間のプロ野球ヘテ・タイガースの監督を務め、9度の韓国シリーズ優勝を果たす。 2000年のシーズンが終わった後、金城漢に監督を渡し、ライバルチームサムスン・ライオンズ監督に就任する。2000年、韓国代表監督に選任され、銅メダルを導いた。2002年の韓国シリーズで再び優勝し、韓国シリーズ通算10回目の優勝を記録した。
2004年11月9日に、契約期間を1年残して退き、球団社長に昇進した。2010年末に社長を退き、サムスンのコンサルタントとして過ごした。2012年10月8日、ハンファ・イーグルスの新監督に就任した。しかし、ハンファは、2年連続最下位という成績を残し、2014年10月17日、2年契約満了でチームを去った。
詳細情報
背番号
- 39(1983年 - 1995年)
- 70(1996年 - 2004年、2012年 - 2014年)
脚注
- ^ “스카이데일리, 1천년 신라 망국의 왕 후손 ‘174만 본산’ 65억”. skyedaily.com (2016年5月2日). 2022年11月14日閲覧。
- ^ “Eung-ryong Kim”. Baseball Reference. 2020年8月30日閲覧。
関連項目
外部リンク
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