ヘテ・タイガース時代(1982 - 2001)
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1982年プロ野球発足の時、オーナーの出身地である当時の全羅南道光州市(現・光州広域市)を本拠地に創設。初年度は選手構成にも苦しむほど貧しい戦力で苦戦を強いられた。結局1982年は4位に終わったものの、翌年の1983年、強打を前面にだしてMBC青龍を下して初優勝を飾った。 1985年までは打線に比べて投手力が劣り、再び優勝争いから遠ざかっていた。1985年後半宣銅烈の入団とともにチームの常勝球団に変貌し始めた。その後も、当時のルールだった地域優先ドラフトのおかげでフランチャイズの全羅南北道地域出身の優秀な選手たちを独占的に確保し、王者の戦力を保つことができた。その後、1986年から1989年にかけて韓国シリーズ4連覇と韓国初の連覇を達成。1996年から1997年にかけても韓国シリーズを連覇、2度目の連覇も韓国初だった。1983年から1997年の15年間、韓国シリーズに9回出場して、全て勝利している。 しかし、1997年シーズンオフに訪れたアジア通貨危機は一時代を築いた名門チームの運命を変えることになった。親会社のヘテグループはもともと食品事業を軸にしていて規模も小さく、ほかの球団の親会社と比べてチームへの支援は貧しい方だった。FA制度など存在しなかった当時の制度の下で、幾度も優勝を重ねた優秀な選手たちの年俸を極力押さえてチームを維持してきたが、この経済危機の影響で経営難に陥り、普段でも物足りなかったチームへの支援が断たれてしまった。それで、チームは主軸選手のトレードで得たトレードマネーで運営費に充てる事態にはまり、それまで築いてきた戦力はあっという間に解体されて弱体化の道を進むようになった。 チームを支えた選手たちがトレードやFAなどでチームを去り形骸化。最後の優勝からたった2年間で最下位候補の一角に成り下がった。そして、ついに18年間チームを指揮した金應龍(キム・ウンヨン)監督まで2000年シーズンの後三星ライオンズに移籍。戦える戦力を備える事のできなかったチームは、18年間チームを指揮して9度優勝に導いた名将に残留を嘆願することすらできないほどだった。金応龍が去った後は、かつてのチームの中心打者で当時コーチを務めていた金城漢(キム・ソンハン)が監督に就任。金城漢はチーム最初の生え抜き監督になる栄光を手にしたが、チームの前途は依然として暗いままだった。
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