韓国人選手およびコーチングスタッフとは? わかりやすく解説

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韓国人選手およびコーチングスタッフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:11 UTC 版)

起亜タイガース」の記事における「韓国人選手およびコーチングスタッフ」の解説

房水源バン・スウォン) (在籍年度1982 - 1989記念すべきヘテ創立試合開幕投手務め最初アウト奪った金應龍キム・ウンヨン監督在籍年度1983 - 2000全盛期ヘテ・タイガース率いた監督ヘテ時代韓国シリーズ9回優勝、4連覇2連覇以上2回などの業績残した物足りない親会社支援にも関わらず選手団一手掌握してスター選手にまで鉄拳を辞さず、今まで韓国プロ野球きっての名将として称えられている。 監督として韓国プロ野球通算最多勝利記録保持者であり、2007年シーズン終了の時、同リーグ唯一の1000監督でもある。 これらの業績のため、ヘテ時代のほとんど(1983年 - 2000年)は彼が監督務めブランク無し18年指揮をとったのも現在まで1チームにおける監督在任韓国プロ野球史上最長記録である。 その実績を買われて、三星ライオンズ2001年から招聘2002年球団を初の韓国シリーズ優勝導き20年来の悲願遂げさせるなど、チーム変えてその手腕を発揮した2004年シーズン最後に韓国シリーズ10優勝監督の名誉を手に、監督職から勇退2005年から2010年まで三星ライオンズ球団社長務め2013年より2014年までハンファ・イーグルス監督就任金奉淵キム・ボンヨン、在籍年度1982 - 1988韓国プロ野球初代ホームラン王1983年シーズン夏場交通事故重傷負ったが、 その年の韓国シリーズ見事に復活チーム初優勝に導く。 好打者並んでいた1980年代ヘテ・タイガース打線中でも4番の座を譲らなかった中心打者であった金城漢キム・ソンハン、在籍年度・選手1982 - 1995コーチ・監督1996 - 2004ヘテ時代チーム代表した打者韓国プロ野球初年度1982年)は総員15人というチーム台所事情から投手打者二刀流強いられ投手としては10勝をあげ、打者として69打点打点王になる珍記録を残す。またこの年本塁打13打っているがこれは2014年現在韓国プロ野球唯一韓国以外でもメジャーリーグベーブ・ルース日本プロ野球大谷翔平のみが達成している「同一年での10勝かつ10本塁打」である。 その二刀流生活は85年まで続いたが、選手層厚さを増すにつれ、ファースト定着して打者専念。「打法」という独特のフォームから繰り出す勝負強い打撃見せた1991年日韓スーパーゲームの第1戦で伊良部秀輝からホームラン打ち東京ドームホームラン記録した最初韓国出身選手になる。 最多本塁打3回最多打点2回のタイトル獲得また、韓国プロ野球初のシーズン30本塁打記録樹立した現役時代功績によって、引退後チームコーチ経て2001年金応龍三星ライオンズ去った後を継いで監督就任。 しかし、監督になってからは、現役時代比べてチーム戦力低下して思うよう成績あげられない中で、所属選手を殴る傷害事件起こし物議を醸した。これが引き金になって2004年シーズン途中監督職から退任その後母校郡山商高監督経て、現在は韓国のスポーツ専門ケーブルチャンネルのMBC-ESPNで解説務めた2009年ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表ヘッドコーチ務めた2013年より2014年までハンファ・イーグルス首席コーチ金茂宗(キム・ムジョン、在籍年度1983 - 1988日本名木本茂美広島東洋カープ在籍していた在日韓国人選手1983年から88年まで捕手として在籍し3度韓国シリーズ出場し優勝貢献5度オールスター戦出場し1986年オールスター戦ではMVP受賞朱東植(チュ・ドンシク、在籍年度1983 - 1984日本名宇田東植日本ハムファイターズ阪神タイガース在籍していた在日韓国人投手1983年から84年まで在籍し通算16勝をあげた。 李順喆イ・スンチョル在籍年度1985 - 1997俊足巧打リードオフマンとしてヘテ全盛期支えた選手1985年入団。同じ年に入団した宣銅烈押しのけてその年の新人王選ばれるタイトル最多盗塁3回李鍾範台頭とともに影を潜め現役最後の年三星トレードされた。 その後三星ライオンズLGツインズコーチ経て2004年LGチーム監督就任結局2年連続6位の後、2006年最下位沈みシーズン途中6月辞任形式退団2007年金城漢とともにMBC-ESPNの解説者として活躍した2008年ウリ・ヒーローズヘッドコーチ就任したが、同年限り退団2009年ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表打撃コーチ務めた2012年より2014年まで起亜タイガース首席コーチ宣銅烈在籍年度1985 - 1995元中ドラゴンズ前身ヘテ時代在籍金正洙(キム・ジョンス、在籍年度1986 - 1999レギュラーシーズンでの活躍比べて韓国シリーズ強かったいわゆるシリーズ男の左腕投手。 現在まで韓国シリーズ最多勝利記録保持者で、その活躍ぶりから、「秋のカササギ」というニックネームつけられた。 SKワイバーンズ在籍時の2003年には韓国シリーズ出場し41歳での韓国シリーズ最年長登板記録保持している。同年限り現役引退韓大化(ハン・デファ、在籍年度1986 - 1993大学卒業してプロ入り3年間はOBベアーズ在籍していた。強打三塁手として活躍金大鉉(キム・デヒョン、在籍年度1986 - 1988) かつて先発ローテーション担っていたが、交通事故死亡李強喆(イ・ガンチョル、在籍年度1989 - 19982001 - 2005宣銅烈高校後輩で、宣銅烈とともにチーム支えてきたサイドスロー投手安定感抜群で、10年連続ケタ勝利記録先輩宣銅烈でさえできなかった離れ業であり、今も韓国プロ野球記録として残っている。 1999年フリーエージェント三星ライオンズ移籍したが、故障ヘテ時代のような投球ができず、精彩を欠く2001年シーズン途中トレード古巣復帰以後中継ぎ2005年まで現役続けた現役引退後指導者になり、ネクセン、起亜投手コーチ歴任し2019年よりKTウィズ監督趙啓顯チョ・ゲヒョン在籍年度1989 - 1997高校時代剛速球投手として名を馳せたが、プロ入ってからは、多種変化球駆使する技巧派投手転身1990年代前半抑え転身した宣銅烈代わりローテーションエースになる。 1993年1994年2年連続最多勝利1995年最優秀防御率タイトル獲得正面から相手打者睨みながらワインドアップに入る投球姿勢から「闘鶏」というニックネームつけられた。 またLGツインズ相性がよく、「LGキラー」の別名も持つ。 1994年チームLGツインズ相手に7勝11敗と負け越したが、7勝のうち6勝を一人挙げたこともあった。 1997年シーズン終了後三星ライオンズトレードされた。その後2000年斗山ベアーズ移籍2001年現役引退した。 その後指導者の道を歩み三星ライオンズ斗山ベアーズなどの投手コーチ歴任している。 2008年北京オリンピック韓国代表の投手コーチ務めた李昊星イ・ホソン在籍年度1990 - 2001ファンから「人差し指で釘を打ち込め怪力を持つ」と称され打撃で、主力打者として活躍また、2001年にはプロ野球選手協議会2代目会長として活動引退後実業家として結婚式事業競馬関連事業を行うも失敗終わり2005年には不動産投資に絡む詐欺容疑で逮捕された。 2008年2月内縁関係にあった女性と3人の娘が失踪する事件関与したとして指名手配されたのち、同年3月10日漢江入水自殺遂げた金相辰キム・サンジン在籍年度1996 - 1998将来エース候補1996 - 1997年韓国シリーズ連覇貢献した投手だったが、1999年胃癌のため22歳若さ死去張盛好(チャン・ソンホ、在籍年度1996 - 2010) 入団1年目から主力打者として活躍し、独特の一本足打法で、2002年には首位打者となる。 2005年FA行使し残留したが、その後出場機会減り2009年オフ2度目FA行使したものの、高額年俸ネックとなり起亜残留となった本人トレード要請により、2010年3対3大型トレードハンファ・イーグルス移籍2012年2000本安打を達成馬海泳(マ・ヘヨン、在籍年度2004 - 2005通算200本塁打上の大砲として2003年オフ三星ライオンズから巨額FA移籍したが、年齢による衰え期待応えられなかった。 2005年シーズン終盤2軍落ちすると首脳陣批判繰り広げこの年オフ4年契約2年目終了時点LGツインズトレードされた。 全炳斗チョン・ビョンドゥ在籍年度2005 - 20082008年シーズン途中SKワイバーンズトレードされる鄭珉台チョン・ミンテ在籍年度2008) 元読売ジャイアンツかつては現代ユニコーンズエースとして活躍。 同球団解散後、新球団ウリ・ヒーローズとは契約せず、7000ウォン格安年俸起亜入団した。 しかし、肩の手術やリハビリのため2005年以降1勝もあげられず力の衰え顕著で、新天地でもほとんど2軍暮らし続き7月突如現役引退表明文鉉晶ムン・ヒョンジョン在籍年度2002 - 20102007年は、チームの左のリリーフとして活躍していたが、2008年結果出せ登板機会減り2010年シーズンオフ退団金炯哲(キム・ヒョンチョル、在籍年度2008 - 20102007年オフSKワイバーンズから移籍し代走要員として起用される。 しかし、極度打撃不振から抜け出せず、2010年10月6日自由契約孫正勳ソン・ジョンフン在籍年度2009 - 20102009年鳴り物入りして入団したが、2年間で1度1軍出場がなく退団金鍾国キム・ジョングク在籍年度1996 - 2010ヘテ時代から、李鍾範二遊間コンビ組み高い守備技術中心に活躍2010年オフ現役引退李大振(イ・デジン、在籍年度1993 - 20111990年代後半ヘテエースとして活躍したが、2000年ごろから故障悩まされ一時期打者にも転向した2009年個人通算100勝を達成2011年シーズン途中7月ウェーバー公示され、LGツインズへと移籍し2012年引退2014年より投手コーチとして起亜復帰朴相赫(パク・サンヒョク、在籍年度2009 - 2011外野手として入団する一度一軍出場できず解雇される李鍾範イ・ジョンボム在籍年度1993 - 19972001 - 2012元中ドラゴンズ。 走攻守そろった大型内野手として活躍し、「風の子(パラメアドゥル)」と呼ばれた金相賢(キム・サンヒョン、在籍年度2009 - 20132009年シーズン開幕後4月LGツインズより移籍しこの年本塁打打点打撃二冠王シーズンMVP受賞し起亜タイガースとしての初、ヘテ時代以来通算10度目の韓国シリーズ優勝貢献2013年5月トレードSKワイバーンズへ、2015年より特別指名受けてKTウィズ移籍した李容圭イ・ヨンギュ在籍年度2005 - 2013LGツインズから移籍し2005年より俊足好打主力外野手として活躍2013年11月FA行使してハンファ・イーグルス移籍宋恩範(ソン・ウンボム、在籍年度2013 - 2014金相賢などとのトレード入団するも、2年後FA行使してハンファ・イーグルス移籍した李大炯(イ・デヒョン、在籍年度20142014年LGツインズからFA入団したが、同年オフKTウィズから特別指名受けてわずか1年起亜去った崔煕渉チェ・ヒソプ在籍年度2007 - 2015) 元メジャーリーガー2015年限り徐在応と共に現役引退徐在応ソ・ジェウン在籍年度2008 - 2015) 元メジャーリーガー2015年限り崔煕渉と共に現役引退林昌勇イム・チャンヨン在籍年度1995 - 19982016 - 2018) 元東京ヤクルトスワローズヘテ・タイガース時代から在籍していた。 李杋浩イ・ボムホ在籍年度2011 - 2019元福岡ソフトバンクホークス。パワーヒッターとして活躍していたが、2019年7月に突然引退宣言朴倞兌(パク・ギョンテ、在籍年度2006 - 2019左腕中継ぎとして活躍したが、2014年以降成績落とし一軍出場機会がなかった2019年解雇された。 徐東旭(ソ・ドンウク、在籍年度2003 - 20052016 - 2019両打ち巧打内野ユーティリティ2005年トレード退団した2016年フリーエージェント復帰した尹錫珉ユン・ソンミン在籍年度2005 - 2013・2015 - 2019先発リリーフともに活躍した右腕2011年最多勝最優秀防御率最多奪三振などの個人タイトルレギュラーシーズンMVP受賞洪在浩(ホン・ジェホ、在籍年度2010 - 2013・2016 - 2019長年内野バックアップとして活動してきたが2019年戦力外になり解雇される安致弘アン・チホン在籍年度2009 - 20142016 - 2019レギュラー2塁手として活躍し2009年優勝にも貢献したが、FAロッテ移籍金周燦キム・ジュチャン在籍年度2013 - 2020ロッテからFA移籍し一塁外野活躍2016年4月15日球団史上初のサイクルヒット達成

※この「韓国人選手およびコーチングスタッフ」の解説は、「起亜タイガース」の解説の一部です。
「韓国人選手およびコーチングスタッフ」を含む「起亜タイガース」の記事については、「起亜タイガース」の概要を参照ください。

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