韓国人選手およびコーチングスタッフ
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「起亜タイガース」の記事における「韓国人選手およびコーチングスタッフ」の解説
房水源(バン・スウォン) (在籍年度1982 - 1989) 記念すべきヘテの創立初試合で開幕投手を務め、最初のアウトを奪った。 金應龍(キム・ウンヨン)監督 (在籍年度1983 - 2000) 全盛期のヘテ・タイガースを率いた監督。ヘテ時代の韓国シリーズ9回優勝、4連覇、2連覇以上2回などの業績を残した。 物足りない親会社の支援にも関わらず、選手団を一手で掌握して、スター選手にまで鉄拳を辞さず、今まで韓国プロ野球きっての名将として称えられている。 監督として韓国プロ野球通算最多勝利記録保持者であり、2007年シーズン終了の時、同リーグ唯一の1000勝監督でもある。 これらの業績のため、ヘテ時代のほとんど(1983年 - 2000年)は彼が監督を務め、ブランク無しで18年間指揮をとったのも現在まで1チームにおける監督在任の韓国プロ野球史上最長の記録である。 その実績を買われて、三星ライオンズが2001年から招聘。 2002年同球団を初の韓国シリーズ優勝に導き、20年来の悲願を遂げさせるなど、チームを変えてもその手腕を発揮した。 2004年シーズンを最後に、韓国シリーズ10回優勝監督の名誉を手に、監督職から勇退。 2005年から2010年まで三星ライオンズの球団社長を務め、2013年より2014年までハンファ・イーグルスの監督に就任。 金奉淵(キム・ボンヨン、在籍年度1982 - 1988) 韓国プロ野球初代ホームラン王。1983年シーズンの夏場、交通事故で重傷を負ったが、 その年の韓国シリーズで見事に復活、チームを初優勝に導く。 好打者が並んでいた1980年代のヘテ・タイガースの打線の中でも4番の座を譲らなかった中心打者であった。 金城漢(キム・ソンハン、在籍年度・選手:1982 - 1995、コーチ・監督:1996 - 2004) ヘテ時代のチームを代表した打者。 韓国プロ野球初年度(1982年)は総員15人というチームの台所事情から投手と打者の二刀流を強いられ、投手としては10勝をあげ、打者としては69打点で打点王になる珍記録を残す。またこの年は本塁打も13本打っているがこれは2014年現在韓国プロ野球唯一、韓国以外でもメジャーリーグのベーブ・ルースと日本プロ野球の大谷翔平のみが達成している「同一年での10勝かつ10本塁打」である。 その二刀流生活は85年まで続いたが、選手層が厚さを増すにつれ、ファーストに定着して打者に専念。「鴨尻打法」という独特のフォームから繰り出す勝負強い打撃を見せた。 1991年日韓スーパーゲームの第1戦で伊良部秀輝からホームランを打ち、東京ドームでホームランを記録した最初の韓国出身選手になる。 最多本塁打3回、最多打点2回のタイトルを獲得。また、韓国プロ野球初のシーズン30本塁打の記録も樹立した。 現役時代の功績によって、引退後はチームのコーチを経て、2001年、金応龍が三星ライオンズに去った後を継いで監督に就任。 しかし、監督になってからは、現役時代と比べてチームの戦力が低下して思うような成績をあげられない中で、所属選手を殴る傷害事件を起こし物議を醸した。これが引き金になって、2004年シーズン途中、監督職から退任。 その後は母校の郡山商高の監督を経て、現在は韓国のスポーツ専門ケーブルチャンネルのMBC-ESPNで解説を務めた。 2009年、ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表のヘッドコーチを務めた。2013年より2014年までハンファ・イーグルスの首席コーチ。 金茂宗(キム・ムジョン、在籍年度1983 - 1988) 日本名は木本茂美。広島東洋カープに在籍していた在日韓国人選手。 1983年から88年まで捕手として在籍し、3度の韓国シリーズに出場し優勝に貢献。 5度のオールスター戦に出場し、1986年オールスター戦ではMVPを受賞。 朱東植(チュ・ドンシク、在籍年度1983 - 1984) 日本名は宇田東植。日本ハムファイターズ、阪神タイガースに在籍していた在日韓国人投手。 1983年から84年まで在籍し、通算16勝をあげた。 李順喆(イ・スンチョル、在籍年度1985 - 1997) 俊足巧打のリードオフマンとしてヘテの全盛期を支えた選手。 1985年入団。同じ年に入団した宣銅烈を押しのけてその年の新人王に選ばれる。 タイトルは最多盗塁3回。李鍾範の台頭とともに影を潜め、現役最後の年は三星にトレードされた。 その後、三星ライオンズ、LGツインズのコーチを経て、2004年LGのチームの監督に就任。 結局、2年連続6位の後、2006年は最下位に沈み、シーズン途中の6月で辞任の形式で退団。 2007年は金城漢とともにMBC-ESPNの解説者として活躍した。 2008年はウリ・ヒーローズのヘッドコーチに就任したが、同年限りで退団。 2009年、ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表の打撃コーチを務めた。 2012年より2014年まで起亜タイガースの首席コーチ。 宣銅烈(在籍年度1985 - 1995) 元中日ドラゴンズ、前身のヘテ時代に在籍。 金正洙(キム・ジョンス、在籍年度1986 - 1999) レギュラーシーズンでの活躍に比べて、韓国シリーズで強かったいわゆるシリーズ男の左腕投手。 現在まで韓国シリーズ最多勝利記録保持者で、その活躍ぶりから、「秋のカササギ」というニックネームをつけられた。 SKワイバーンズ在籍時の2003年には韓国シリーズに出場し、41歳での韓国シリーズ最年長登板記録を保持している。同年限りで現役引退。 韓大化(ハン・デファ、在籍年度1986 - 1993) 大学を卒業してプロ入り後3年間はOBベアーズに在籍していた。強打の三塁手として活躍。 金大鉉(キム・デヒョン、在籍年度1986 - 1988) かつて先発ローテーションを担っていたが、交通事故で死亡。 李強喆(イ・ガンチョル、在籍年度1989 - 1998、2001 - 2005) 宣銅烈の高校の後輩で、宣銅烈とともにチームを支えてきたサイドスロー投手。 安定感が抜群で、10年連続二ケタ勝利の記録は先輩の宣銅烈でさえできなかった離れ業であり、今も韓国プロ野球記録として残っている。 1999年フリーエージェントで三星ライオンズに移籍したが、故障でヘテ時代のような投球ができず、精彩を欠く。 2001年シーズン途中、トレードで古巣に復帰。以後は中継ぎで2005年まで現役を続けた。現役引退後は指導者になり、ネクセン、起亜で投手コーチを歴任し、2019年よりKTウィズの監督。 趙啓顯(チョ・ゲヒョン、在籍年度1989 - 1997) 高校時代は剛速球投手として名を馳せたが、プロに入ってからは、多種の変化球を駆使する技巧派投手に転身。 1990年代前半は抑えに転身した宣銅烈に代わり、ローテーションのエースになる。 1993年、1994年2年連続最多勝利、1995年は最優秀防御率のタイトルを獲得。 正面から相手打者を睨みながらワインドアップに入る投球姿勢から「闘鶏」というニックネームがつけられた。 またLGツインズと相性がよく、「LGキラー」の別名も持つ。 1994年、チームはLGツインズ相手に7勝11敗と負け越したが、7勝のうち6勝を一人で挙げたこともあった。 1997年シーズン終了後、三星ライオンズにトレードされた。その後、2000年、斗山ベアーズに移籍。2001年、現役引退した。 その後、指導者の道を歩み、三星ライオンズ、斗山ベアーズなどの投手コーチを歴任している。 2008年北京オリンピック韓国代表の投手コーチを務めた。 李昊星(イ・ホソン、在籍年度1990 - 2001) ファンから「人差し指で釘を打ち込める怪力を持つ」と称された打撃で、主力打者として活躍。 また、2001年にはプロ野球選手協議会の2代目会長としても活動。 引退後は実業家として結婚式事業や競馬関連の事業を行うも失敗に終わり、2005年には不動産投資に絡む詐欺容疑で逮捕された。 2008年2月、内縁関係にあった女性と3人の娘が失踪する事件に関与したとして指名手配されたのち、同年3月10日に漢江で入水自殺を遂げた。 金相辰(キム・サンジン、在籍年度1996 - 1998) 将来のエース候補で1996 - 1997年韓国シリーズ連覇に貢献した投手だったが、1999年に胃癌のため22歳の若さで死去。 張盛好(チャン・ソンホ、在籍年度1996 - 2010) 入団1年目から主力打者として活躍し、独特の一本足打法で、2002年には首位打者となる。 2005年FAを行使し残留したが、その後出場機会が減り、2009年オフ2度目のFAを行使したものの、高額年俸がネックとなり起亜に残留となった。 本人のトレード要請により、2010年3対3の大型トレードでハンファ・イーグルスへ移籍。2012年2000本安打を達成。 馬海泳(マ・ヘヨン、在籍年度2004 - 2005) 通算200本塁打以上の大砲として2003年オフ三星ライオンズから巨額でFA移籍したが、年齢による衰えで期待に応えられなかった。 2005年シーズン終盤に2軍落ちすると首脳陣批判を繰り広げ、この年のオフ4年契約の2年目終了時点でLGツインズにトレードされた。 全炳斗(チョン・ビョンドゥ、在籍年度2005 - 2008) 2008年シーズン途中SKワイバーンズにトレードされる。 鄭珉台(チョン・ミンテ、在籍年度2008) 元読売ジャイアンツ。 かつては現代ユニコーンズのエースとして活躍。 同球団の解散後、新球団ウリ・ヒーローズとは契約せず、7000万ウォンと格安の年俸で起亜に入団した。 しかし、肩の手術やリハビリのため2005年以降1勝もあげられず力の衰えは顕著で、新天地でもほとんど2軍暮らしが続き、7月に突如現役引退を表明。 文鉉晶(ムン・ヒョンジョン、在籍年度2002 - 2010) 2007年は、チームの左のリリーフとして活躍していたが、2008年は結果を出せず登板機会が減り2010年シーズンオフに退団。 金炯哲(キム・ヒョンチョル、在籍年度2008 - 2010) 2007年オフにSKワイバーンズから移籍し、代走要員として起用される。 しかし、極度の打撃不振から抜け出せず、2010年10月6日に自由契約。 孫正勳(ソン・ジョンフン、在籍年度2009 - 2010) 2009年に鳴り物入りして入団したが、2年間で1度も1軍出場がなく退団。 金鍾国(キム・ジョングク、在籍年度1996 - 2010) ヘテ時代から、李鍾範と二遊間コンビを組み高い守備技術を中心に活躍。2010年オフに現役を引退。 李大振(イ・デジン、在籍年度1993 - 2011) 1990年代後半ヘテのエースとして活躍したが、2000年ごろから故障に悩まされ一時期打者にも転向した。2009年個人通算100勝を達成。2011年シーズン途中の7月にウェーバー公示され、LGツインズへと移籍し2012年に引退。2014年より投手コーチとして起亜に復帰。 朴相赫(パク・サンヒョク、在籍年度2009 - 2011) 外野手として入団するも一度も一軍出場できず解雇される。 李鍾範(イ・ジョンボム、在籍年度1993 - 1997、2001 - 2012) 元中日ドラゴンズ。 走攻守そろった大型内野手として活躍し、「風の子(パラメアドゥル)」と呼ばれた。 金相賢(キム・サンヒョン、在籍年度2009 - 2013) 2009年シーズン開幕後の4月にLGツインズより移籍し、この年本塁打・打点の打撃二冠王、シーズンMVPを受賞し起亜タイガースとしての初、ヘテ時代以来通算10度目の韓国シリーズ優勝に貢献。2013年5月トレードでSKワイバーンズへ、2015年より特別指名を受けてKTウィズへ移籍した。 李容圭(イ・ヨンギュ、在籍年度2005 - 2013) LGツインズから移籍し2005年より俊足好打の主力外野手として活躍。2013年11月、FAを行使してハンファ・イーグルスへ移籍。 宋恩範(ソン・ウンボム、在籍年度2013 - 2014) 金相賢などとのトレードで入団するも、2年後にFAを行使してハンファ・イーグルスに移籍した。 李大炯(イ・デヒョン、在籍年度2014) 2014年にLGツインズからFAで入団したが、同年オフにKTウィズから特別指名を受けてわずか1年で起亜を去った。 崔煕渉(チェ・ヒソプ、在籍年度2007 - 2015) 元メジャーリーガー。2015年限りで徐在応と共に現役引退。 徐在応(ソ・ジェウン、在籍年度2008 - 2015) 元メジャーリーガー。2015年限りで崔煕渉と共に現役引退。 林昌勇(イム・チャンヨン、在籍年度1995 - 1998,2016 - 2018) 元東京ヤクルトスワローズ。ヘテ・タイガース時代から在籍していた。 李杋浩(イ・ボムホ、在籍年度2011 - 2019) 元福岡ソフトバンクホークス。パワーヒッターとして活躍していたが、2019年7月に突然引退宣言。 朴倞兌(パク・ギョンテ、在籍年度2006 - 2019) 左腕の中継ぎとして活躍したが、2014年以降は成績を落とし一軍出場の機会がなかった2019年に解雇された。 徐東旭(ソ・ドンウク、在籍年度2003 - 2005・2016 - 2019) 両打ちで巧打の内野ユーティリティ。2005年にトレードで退団したが2016年にフリーエージェントで復帰した。 尹錫珉(ユン・ソンミン、在籍年度2005 - 2013・2015 - 2019) 先発、リリーフともに活躍した右腕。2011年に最多勝、最優秀防御率、最多奪三振などの個人タイトル、レギュラーシーズンMVPを受賞。 洪在浩(ホン・ジェホ、在籍年度2010 - 2013・2016 - 2019) 長年、内野のバックアップとして活動してきたが2019年に戦力外になり解雇される。 安致弘(アン・チホン、在籍年度2009 - 2014・2016 - 2019) レギュラー2塁手として活躍し2009年の優勝にも貢献したが、FAでロッテに移籍。 金周燦(キム・ジュチャン、在籍年度2013 - 2020) ロッテからFAで移籍し一塁、外野で活躍。2016年4月15日、球団史上初のサイクルヒットを達成。
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