韓大化とは? わかりやすく解説

韓大化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 04:28 UTC 版)

韓 大化(ハン・デファ)
Han Dae-Hwa
基本情報
国籍  大韓民国
出身地 大田広域市
生年月日 (1960-07-08) 1960年7月8日(63歳)
身長
体重
176 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1983年 1次ドラフト
初出場 1983年
最終出場 1997年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

韓 大化ハン・デファ한대화1960年7月8日 - )は、韓国の元プロ野球選手(三塁手)、野球指導者。

韓国プロ野球ゴールデングラブ賞(三塁手部門)8回受賞、オールスター戦11回出場はいずれも歴代最多。

経歴

現役時代

東国大学校時代の1982年世界野球選手権大会に出場し、決勝の日本戦でサヨナラホームランを放つなど活躍。

卒業後、OBベアーズへ入団。初出場の試合で3打点を挙げ、鮮烈なデビューを飾った。しかし、結果を残せず肝炎を患ったり、当時の金星根監督と不仲になるなど散々だった。

1986年からヘテ・タイガースへ移籍[1]。すると、勝負強い打撃で4番へ抜擢され、ヘテ4連覇へ貢献。本人が在籍時のヘテは、6度の優勝を果たすなど当時の最高の打線とも言われた。また、勝負どころに強く、短い在籍期間の中でも、幾多の決勝打を放ち、「解決士」のあだ名を得ていた。

1993年12月4日に、3対2のトレードでLGツインズへ移籍。サードのレギュラーとして活躍し、2度の優勝を経験し自身も史上最多の通算8度目となるゴールデングラブ賞も1994年に受賞。

1997年サンバンウル・レイダースへ3たび移籍。OB時代から仲が悪かった金星根監督と再び揉め、43試合しか出場できず現役を引退。史上最多となるファン投票選出の3塁手部門で11回オールスター戦にも出場した。

引退後

母校東国大学校野球部の監督に就任。プロ野球選手の中で彼の門下生は、朴漢伊朴正権など。

2004年は、ヘテ時代からの旧知の仲でもある宣銅烈率いる三星ライオンズの打撃コーチに就任し、翌2005年にヘッドコーチへ昇格。

2009年シーズンオフ、金寅植の後継者としてハンファ第8代監督に選任され、本人も承諾。ハンファの本拠地、大田広域市出身者が監督を務めるのは球団初のことであった。チーム内から高く期待され、他球団からは上位進出とも囁かれた。だが、主力級の選手が昨年オフから兵役に就いたこともあって、苦戦を余儀なくされる。結局、2010年は球団史上初の2年連続最下位に終わる。

2011年も最下位は当然だと開幕前の評価は低かったが、カリーム・ガルシアデニー・ボーティスタといった外国人選手の活躍もあり、LGと同率6位でシーズンを終え上昇の兆しを見せた。

だが2012年は序盤からずっと最下位のままで、シーズン途中ながら成績不振で8月28日に辞任した。

2013年より起亜の2軍監督に就任し、ヘテ時代以来20年ぶりの古巣復帰となった。

2014年より起亜の首席コーチとなったが同年限りで退団。

2015年より韓国野球委員会(KBO)の運営委員としてプロ野球の試合進行などにかかわっている。

詳細情報

年度別打撃成績







































O
P
S
1983 OB 88 313 85 17 5 5 44 39 4 1 19 43 7 12 .272 .313 .406 .719
1984 74 189 45 8 1 1 16 22 5 1 29 26 3 4 .238 .339 .307 .646
1985 38 53 12 1 0 2 7 5 0 0 1 4 1 0 .226 .241 .358 .599
1986 ヘテ 103 342 102 24 2 14 66 50 8 7 42 40 13 10 .298 .375 .503 .878
1987 94 301 71 16 0 13 36 39 5 2 52 38 9 5 .236 .348 .419 .767
1988 101 356 114 18 1 18 57 51 6 4 51 35 8 7 .320 .405 .528 .933
1989 106 358 100 14 2 13 63 52 15 9 81 42 7 4 .279 .412 .439 .851
1990 119 418 140 20 3 15 86 73 10 4 76 53 10 6 .335 .437 .505 .942
1991 92 336 101 17 3 22 73 62 8 8 55 45 10 7 .301 .399 .565 .964
1992 110 362 97 16 1 20 74 69 8 8 67 53 10 7 .268 .382 .483 .865
1993 107 335 89 13 1 13 46 46 4 5 53 46 10 6 .266 .366 .427 .793
1994 LG 106 357 106 15 1 10 67 49 3 1 53 48 11 4 .297 .388 .429 .817
1995 98 295 71 13 0 8 37 25 1 1 26 51 9 3 .241 .302 .366 .668
1996 52 138 32 5 0 5 16 12 1 1 16 24 5 0 .232 .312 .377 .689
1997 サンバンウル 43 111 25 2 0 4 24 16 1 0 20 19 5 1 .225 .344 .351 .695
通算成績:15年 1331 4264 1190 199 20 163 712 610 79 52 641 567 118 76 .279 .373 .450 .823

背番号

  • 5 (1983年 - 1985年)
  • 8 (1986年 - 1993年、1997年)
  • 9 (1994年 - 1996年)
  • 86 (2004年 - 2009年)
  • 80 (2010年 - 2012年)
  • 89 (2013年 - 2014年)

韓国での獲得タイトル・記録

脚注


韓大化(ハン・デファ、在籍年度1994 - 1995)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:19 UTC 版)

LGツインズ」の記事における「韓大化(ハン・デファ、在籍年度1994 - 1995)」の解説

強打三塁手として活躍した

※この「韓大化(ハン・デファ、在籍年度1994 - 1995)」の解説は、「LGツインズ」の解説の一部です。
「韓大化(ハン・デファ、在籍年度1994 - 1995)」を含む「LGツインズ」の記事については、「LGツインズ」の概要を参照ください。


韓大化(ハン・デファ、在籍年度1986 - 1993)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:11 UTC 版)

起亜タイガース」の記事における「韓大化(ハン・デファ、在籍年度1986 - 1993)」の解説

大学卒業してプロ入り3年間はOBベアーズ在籍していた。強打三塁手として活躍

※この「韓大化(ハン・デファ、在籍年度1986 - 1993)」の解説は、「起亜タイガース」の解説の一部です。
「韓大化(ハン・デファ、在籍年度1986 - 1993)」を含む「起亜タイガース」の記事については、「起亜タイガース」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「韓大化」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「韓大化」の関連用語

韓大化のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



韓大化のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの韓大化 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのLGツインズ (改訂履歴)、起亜タイガース (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS