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金相賢 (内野手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 07:00 UTC 版)

金 相賢(キム・サンヒョン)
Kim-Sang Hyeon
金相賢ベースボールアカデミー
基本情報
国籍 韓国
出身地 全羅北道群山市
生年月日 (1980-11-12) 1980年11月12日(44歳)
身長
体重
186 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手外野手
プロ入り 2000年 2次ドラフト6巡目
初出場 KBO / 2001年7月3日
最終出場 KBO / 2016年7月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
金相賢
各種表記
ハングル 김상현
漢字 金相賢
発音: キム・サンヒョン
ローマ字 Kim Sang-Hyeon
本人表記: Kim, Sang-Hyeon
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金 相賢(キム・サンヒョン、ハングル:김상현1980年11月12日 - )は大韓民国出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は金相賢ベースボールアカデミーの代表兼任監督。

経歴

ヘテ・第一次起亜時代

群山商業高等学校卒業後、ヘテ・タイガース2001年7月起亜へ球団譲渡)に入団した。

同じ三塁手鄭成勲の活躍で1軍での活躍の場はなく、2002年7月LGツインズへトレードされた。

LG時代

LGでは2004年100試合に出場するなど、3塁のポジションを確保していったが、2005年から軍に入隊し国軍体育部隊の尚武に所属した。

尚武ではプロ野球2軍リーグの本塁打王となるなど、その長打力は目を見張るものがあった。

2007年にLGに復帰した後は3塁のレギュラーとして活躍した。しかし守備に難点があり首脳陣の信頼を得られず、2008年オフにかつてヘテでの競争相手だった鄭成勲ヒーローズからFAで移籍してきたこともあり、ポジションを失った。

そして2009年シーズン開幕後の4月19日、古巣起亜へとトレードされた。

第二次起亜時代

当時起亜は内野手の層が薄く、LGである程度の実績がある金相賢は三塁の先発メンバーで起用されるようになった。すると水を得た魚のようにチャンス本塁打やタイムリーヒットを打ち続け、特に満塁本塁打4本とその勝負強さは光っていた。そしてシーズン後半になるとますますその打撃は勢いを得て、チームが首位に立った8月には15本塁打を記録した。

起亜が公式戦優勝を決めた9月24日ヒーローズ戦は、偶然にも出身地の群山で行われ、36号本塁打を含む3打点と活躍し、故郷に錦を飾ることとなった。

最終的には打率.315、長打率.632、36本塁打、127打点を記録し、本塁打、打点、長打率部門で打撃3冠王となり自身初の個人タイトルも獲得した。2008年までの過去9年間の通算本塁打数は33本に過ぎず、2009年の活躍がいかに予想外のものだったかがわかる。そして起亜の12年ぶりの韓国シリーズに貢献したとして、2009年シーズンMVP(最優秀選手)を受賞し、一躍プロ野球界の主役となった。

なお、この年鄭成勲は打撃面で金相賢を上回る活躍はできず、代わりに獲得した姜喆珉は1軍登板できずLGは7位に終わり、金相賢を放出したことはここ5年以上の低迷を象徴しているかのようであった。

2010年シーズンの契約更改では、前年比1億8800万ウォン増の2億4000万ウォンと、5倍近い大幅増額を勝ち取った。だが同年は昨年の活躍から激しく警戒され、自身も故障により夏場に長期戦線離脱した結果79試合しか出場できず21本塁打、53打点と前年より大幅に成績を落とし、起亜も優勝を逃し5位にとどまった。

2011年も故障で離脱していた期間が長く、100試合程度の出場数にとどまった。

2012年はたった32試合の出場と、年々成績が下降している。なお、2011年以降は外野での出場機会が増えてきた。

SK時代

2013年5月6日、宋恩範などとの2対2トレードでSKワイバーンズへ移籍した。

SKでは主力三塁手の崔廷のバックアップとして主に活動した。

KT時代

2014年11月28日、KTウィズより特別指名(他球団より1名ずつ20名の保護選手以外を指名)を受け移籍することになった。

2015年3月28日、同年より一軍に参入したKT初の公式戦となるロッテ・ジャイアンツ戦の1回表、球団史上初本塁打・初打点を記録。オフに初めてFAの権利を行使し、4年17億ウォンの条件で残留した[1]

2016年6月16日、二軍へ降格していて二軍の本拠地球場がある益山市に滞在していた際、女性に公然猥褻を犯した疑惑で捜査を受けて書類送検されるも不起訴となり、一軍へ復帰し試合に出続けていた。その後7月12日のネクセン・ヒーローズ戦に先発出場している最中、実名で事件が報道されたこともあり3回に金淵訓と交代した。翌7月13日、任意脱退選手としてKTを退団した。

2017年1月25日、韓国野球委員会(KBO)の賞罰委員会により500万ウォンの罰金が科せられた。

独立リーグ時代

2017年よりジャーニーマン外人球団に所属した。同年7月17日、前所属球団のKTウィズより任意脱退選手としての処分を解かれ、ウェーバー公示された。

2018年よりジャーニーマン外人球団が韓国独立野球連盟下のコリアドリームリーグに所属するのに伴い、選手兼監督になったが同年中に退団した。

引退後

その後は仁川でベースボールアカデミーを運営している。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2001 ヘテ
KIA
16 20 20 2 3 0 0 1 6 4 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .150 .150 .150 .300
2002 26 34 25 7 8 0 1 1 13 4 0 0 0 0 6 1 3 13 0 .320 .500 .520 1.020
LG 5 8 7 0 2 0 0 0 2 2 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .286 .375 .286 .661
'02計 31 42 32 7 10 0 1 1 15 6 0 0 0 0 7 1 3 18 0 .313 .476 .469 .945
2003 55 209 182 24 49 9 1 7 81 28 7 1 1 3 16 0 7 50 1 .269 .346 .445 .791
2004 100 316 277 37 67 10 2 9 108 35 7 5 3 1 28 2 7 77 11 .242 .326 .390 .716
2007 121 434 378 44 89 27 0 7 137 41 6 0 10 3 33 0 10 85 12 .235 .311 .362 .673
2008 75 243 214 28 52 9 2 8 89 18 2 3 5 2 19 0 3 55 8 .243 .311 .416 .727
2009 2 8 7 1 1 0 0 0 1 1 1 0 0 0 1 0 0 1 0 .143 .250 .143 .393
KIA 119 488 441 76 140 30 2 36 282 126 6 5 0 1 40 1 6 102 11 .317 .381 .639 1.020
'09計 121 496 448 77 141 30 2 36 283 127 7 5 0 1 41 1 6 103 11 .315 .379 .632 1.413
2010 79 330 288 44 62 5 1 21 132 53 3 1 0 1 33 1 8 85 10 .215 .312 .458 .770
2011 101 405 357 38 91 15 0 14 148 64 8 0 0 2 37 1 9 83 12 .255 .338 .415 .753
2012 32 126 116 17 30 9 0 4 51 17 1 2 1 0 6 0 3 26 3 .259 .312 .440 .752
2013 24 86 72 11 16 4 0 2 26 10 3 1 0 0 13 0 1 21 4 .222 .349 .361 .710
SK 89 274 250 28 60 13 0 5 88 27 5 0 1 4 16 1 3 63 13 .240 .289 .352 .641
'13計 113 360 322 39 76 17 0 7 114 37 8 1 1 4 29 1 4 84 17 .236 .304 .354 .658
2014 42 87 80 8 21 3 1 5 41 20 1 1 0 1 5 0 1 22 2 .263 .310 .513 .823
2015 KT 134 539 475 71 133 20 0 27 234 88 4 5 0 6 50 4 8 115 21 .280 .354 .493 .847
2016 62 246 222 29 50 5 0 11 88 32 0 1 0 2 20 0 2 48 10 .225 .293 .396 .689
KBO:14年 1082 3853 3411 465 874 159 10 158 1527 570 54 25 21 26 324 11 71 857 118 .256 .331 .448 .779
  • 太字はリーグ最高

背番号

  • 46 (2000年 - 2002年途中)
  • 59 (2002年途中 - 2004年)
  • 7 (2007年 - 2008年)
  • 26 (2009年 - 同年途中)
  • 27 (2009年途中 - 2014年)
  • 19 (2015年 - 2016年途中)

タイトル

脚注

外部リンク




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