崔東原とは? わかりやすく解説

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崔東原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 15:40 UTC 版)

崔 東原(チェ・ドンウォン)
Choi Dong-won
基本情報
国籍  大韓民国
出身地 釜山広域市
生年月日 (1958-05-24) 1958年5月24日
没年月日 (2011-09-14) 2011年9月14日(53歳没)
身長
体重
179 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1983年 1次ドラフト
初出場 1983年
最終出場 1990年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
チェ・ドンウォン
各種表記
ハングル 최동원
漢字 崔東原
発音: チェドンウォン
ローマ字 Choi Dong-won
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崔 東原(チェ・ドンウォン、朝鮮語: 최동원1958年5月24日 - 2011年9月14日)は、大韓民国釜山広域市出身の元プロ野球選手(投手)。ロッテ・ジャイアンツサムスン・ライオンズでプレーし、ロッテで背負った背番号11は永久欠番となっている。韓国野球のレジェンドとされ、「鉄腕」のニックネームを持つ。150km/h台を超える速球と優れた球のコントロールで有名。

来歴

釜山の野球名門高校であった慶南高等学校に入学した。高校2年生の時、青龍旗全国高校野球選手権大会(日本の甲子園大会に相当)に出場し、大邱の強豪、慶北高校相手にノーヒットノーランを記録。その年の優勝校である善隣高校に対しては8回までノーヒットノーランを記録し話題になった。高校3年生の時は、靑龍旗大会の決勝戦で9回20奪三振で完封勝をあげ、MVPとなった。

1981年、韓国の野球史上初めてメジャーリーグからオファー(トロント・ブルージェイズ)を受けたが、兵役を終えていなかったため、メジャー入りを諦めさせられた[1]

1982年までアマチュア選手として活動した。

1983年、当時26歳で、釜山を縁故にしたロッテ・ジャイアンツに入団した。1年目は9勝16敗と大きく負け越した。

1984年、入団2年目は51試合に登板、27勝13敗、6セーブ、14完投、223奪三振、防御率2.40を記録し、最優秀選手に選ばれる。同年の韓国シリーズでは5試合に登板、4勝を挙げる活躍をみせてチームを初優勝に導き、「鉄腕」と呼ばれるようになった(韓国シリーズの4勝は唯一の記録である)。この年のシーズン奪三振数(223)は2021年にアリエル・ミランダが更新するまで韓国プロ野球のリーグ記録だった。

1987年まで、四年連続二桁勝利をあげた。

1988年、プロ野球選手の待遇改善のため、自ら選手協会をつくり活動した。ヘテ・タイガースの投手金大鉉(キム・デヒョン)が不意の事故で死んだが、球団から何の援助も受けず、家族が経済難に陥っていることに驚いたという。当時、年俸トップの彼が選手協会を作り、選手たちの待遇の改善のために砕身したのは異例のことであった。これには反発も多く、韓国プロ野球連盟からは選手としての引退勧告を受けるなどした。

1989年サムソンライオンズに移籍したがあまり活躍できず、翌1990年32歳で引退した。

1991年にアメリカに渡り、指導者研修を受けた。同年に民主党公認で釜山市議会議員選挙に出馬したが、落選した[2]

2001年ハンファ・イーグルスの投手コーチに就任したが1シーズンで退任。

2005年にハンファのコーチへ復帰。投手コーチや二軍監督を務め、2008年に退団。

ロッテ・ジャイアンツの永久欠番(11)

2011年9月14日、大腸がんのため死去[3]。同年9月30日、ロッテ時代に着けていた背番号11ロッテ・ジャイアンツ永久欠番に指定された(当時背番号11は李貞旼がつけていた)。2015年3月28日、ロッテ・ジャイアンツのシーズン開幕戦で崔東原の母親が始球式を務めた。

亡くなった直後の2011年12月21日、かつてのライバル・宣銅烈との戦いを映画化した「パーフェクトゲーム朝鮮語版」が公開される。崔東原役はチョ・スンウが務めた。

2014年、その年のKBOリーグで最も活躍した投手に贈られる賞として、その名を冠した崔東原賞が創設された。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1983 ロッテ 38 21 16 1 2 9 16 4 0 .360 863 208.2 202 17 51 2 8 148 3 0 89 67 2.89 1.21
1984 51 20 14 1 2 27 13 6 0 .675 1132 284.2 228 18 68 1 14 223 3 0 91 76 2.40 1.04
1985 42 17 14 4 3 20 9 8 0 .690 865 225.0 170 7 41 2 8 161 4 1 60 48 1.92 0.94
1986 39 21 17 4 4 19 14 2 0 .576 1039 267.0 204 7 55 5 6 208 3 0 60 46 1.55 0.97
1987 32 22 15 4 1 14 12 2 0 .538 920 224.0 218 6 61 2 7 163 3 0 80 70 2.81 1.25
1988 16 4 3 1 0 7 3 3 0 .700 349 83.1 77 4 24 3 1 83 1 1 24 19 2.05 1.21
1989 ロッテ 8 4 0 0 0 1 2 0 0 .333 138 30.0 36 2 18 0 1 9 1 0 12 7 2.10 1.80
1990 22 15 2 0 0 6 5 1 0 .545 424 92.0 113 9 54 0 2 24 2 0 62 54 5.28 1.82
KBO:8年 248 124 81 15 12 103 74 26 0 .582 5730 1414.2 1248 70 372 15 47 1019 20 2 478 387 2.46 1.15
  • 太字はリーグ最高

タイトル・表彰

ロッテ・ジャイアンツ永久欠番である崔東原の背番号11

背番号

  • 11(1983年 - 1990年)
  • 75(2001年、2005年 - 2008年)

脚注

外部リンク




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