主な退団・引退選手とは? わかりやすく解説

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主な退団・引退選手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 02:28 UTC 版)

ロッテ・ジャイアンツ」の記事における「主な退団・引退選手」の解説

崔東原(チェ・ドンウォン、在籍年度1983-1988) ロッテ草創期エース球威コントロール併せ持った彼はアマチュア時代から『鋼鉄豪腕』と呼ばれた1984年公式戦27勝、韓国シリーズ一人で4勝を挙げる大活躍で、チーム優勝に導く。この年打撃三冠王の李萬洙イ・マンス)を押し退けてシーズンMVP受賞韓国シリーズでの4勝は2017年まで唯一の記録である。しかし戦力彼に大きく依存したチーム事情のために多投強いられ続けたこと、さらに毎年のように契約更改球団揉めたためシーズンオフトレーニング専念できなかった事情重なった結果、やがて実力を落とすこととなる。1988年シーズンオフ選手会創設向けて主導的役割果たしたが、プロ野球興行廃業するという球団側の脅し屈して頓挫半ば報復的な措置として1989年シーズン前、三星ライオンズトレードされる三星ライオンズ移籍後精彩欠き1990年シーズン後32歳という若さ現役引退したハンファ・イーグルス二軍監督経て韓国野球委員会個別試合開始中止の決定審判団監督などを務め試合監督に就いていたが、癌により2011年逝去享年53歳)。彼の死後ロッテ現役時代背番号11を、2012年シーズンより永久欠番指定した。 尹學吉(ユン・ハッキル、在籍年度1986-1997) 崔東原続いて1980年代後半から1990年代前半掛けて活躍したロッテエース打線援護にも恵まれず崩壊した投手陣一人支えた活躍は、チーム屋台骨支え続けた皇帝たとえられた)崔東原後継者という意味で「孤独皇太子」という別名がつけられた。韓国プロ野球通算最多完投100試合)および完投勝利74完投勝利)の記録持っているタフネス目立った引退後指導者となり、ロッテのみならず尚武ヒーローズLGツインズ投手コーチ歴任し2011年シーズンから1軍首席コーチとしてロッテ復帰2012年より二軍監督となった同年限りロッテ退団朴東煕(パク・ドンヒ、在籍年度1990-1996高麗大学時代から時速150km/hを超える速球鳴らし1989年オフ地域優先ドラフト入団入団当時崔東原後を継ぐ将来エースとして注目された。デビュー戦当時韓国プロ野球最速時速153km/hの速球披露し、6者連続三振を奪う。しかしストレート中心単調な投球術制球難で伸び悩み当初期待には応えられなかった。新人の年は10勝7セーブ翌年14勝を挙げたが、内容的に物足りなく闘争心の不足を指摘されたりした。結局2ケタ勝利を挙げたのは2年目最後で、3年目1992年は7勝に留まった。しかしその年の韓国シリーズでは優勝貢献しシリーズMVPにも選ばれた。持ち味速球生かすため1993年からはリリーフ転向し1994年まで抑え務めたが、これも制球難がネックとなったその後度重なる故障思ったような活躍はできなくなり現役時代終盤崔東原と同様、三星ライオンズトレードされた。2002年現役引退引退後野球界から離れ個人事業営んでいたが、2007年シーズン開幕直前交通事故により死去正泰(パク・チョンテ、在籍年度1991-2004) バット片手だけで握るバッティングフォーム知られた。1990年代後半チームリーダー務めた1993年シーズンスライディング途中負った両足首の複合骨折という大怪我克服1999年プレイオフ最終戦後述の「大邱大乱闘」でプレー再開された際、敵地観客罵声飛び交わる中でナインに向け「今日何が何でも勝つのみ」と鼓舞激励したと言われる。そして、チーム延長戦の末、1勝3敗の劣勢覆しプレイオフ制し韓国シリーズ進出果たした2009年11月から2年ロッテ二軍監督務め2011年11月1軍打撃コーチ就任した田埈昊(チョン・ジュンホ、在籍年度1991-1995) 正泰と入団同期1992年優勝主役1人アマチュア時代無名だったが俊足巧打生かして1年目からレギュラーの座を奪い取った文東煥ムン・ドンファン)の社会人野球チーム現代フェニックスとの契約の解除条件現代ユニコーンズ無償トレードされ、4度韓国シリーズ優勝貢献した現代解散後2008年から現代選手大半移籍した球団ヒーローズプレーし同年史上初の2000試合出場史上2人目の2000本安打の記録達成2009年自由契約となりそのまま現役引退し、すぐにSKワイバーンズ走塁コーチ就任2010年シーズン終了時点で、韓国プロ野球史上最多盗塁550)、最多三塁打100)の記録保持者。 廉鍾錫(ヨム・ジョンソク、在籍年度1992-2008) 高卒ルーキーだった1992年17勝で新人王獲得してチーム優勝貢献したが、以後故障悩まされ思うよう成績あげられなかった。100勝を目前にした2008年シーズン終了後球団勧告受けて引退2009年日本千葉ロッテマリーンズコーチ研修を受け、帰国後は韓国ロッテ二軍コーチ就任炯光(チュ・ヒョングァン、在籍年度1994-2007) 14年ロッテ一筋プレーしたフランチャイズプレーヤー2008年には千葉ロッテマリーンズコーチ務めた馬海泳(マ・ヘヨン、在籍年度1995-2000、20081999年首位打者になるなど、1990年代後半チーム主砲として活躍した。しかしFA制度導入求め選手協会急先鋒だったこともあり、球団対立し2001年開幕前に三星ライオンズトレード出される三星でも主砲として活躍し2003年オフFA起亜タイガース移籍。しかし2004年以降成績急激に下降線をたどり始めた05オフLGツインズトレードされたが、ここでも活躍できず2007年オフ解雇された。LG解雇された後、現役引退危機直面したが、テスト経て2008年8年ぶりに古巣へと復帰。しかし年齢による衰えもあり結果を残すことができず、1年自由契約となった精彩欠いた技量復調気配見せずシーズン開幕直後二軍落ちこの年オールスター戦指名打者ファン投票選出され、3打点をあげる活躍見せたのが唯一の見せ場だった。 文東煥ムン・ドンファン在籍年度1997-2003) 社会人現代フェニックス経て1997年入団翌年からローテーション一角担ったが、以後故障出場機会減少した鄭守根FA移籍してきた時、補償選手として斗山ベアーズトレードされすかさずハンファ・イーグルスに再トレードされた。FA移籍に伴うトレードFA選手の元所属チームではなく、別チームに再トレードされたのはこれが初めてである。 フェリックス・ホセ在籍年度19992001、2006-2007) 1999年2001年2006年から2007年の計4年在籍した外国人打者1999年三星ライオンズとのプレーオフ第7戦の6回表に反撃口火を切る本塁打打った際、観客から物を投げつけられバット投げ返し後述の「大邱大乱闘」の引き金となった。その他暴言乱闘などによる退場何度も繰り返した。また2002年には大リーグモントリオール・エクスポズとの二重契約問題発覚しロッテからの契約打ち切られ韓国野球委員会から永久除名選手の処分受けたその後永久除名解除され何度ロッテへの復帰の話が持ち上がって消えていたが、2006年5年ぶりに復帰した2007年シーズンキャンプ中の故障出遅れ活躍できず、5月成績不振退団した盧長震ノ・ジャンジン在籍年度2004-2006剛速球を放る抑え投手であるが、私生活トラブル多く見られる三星ライオンズ在籍時、韓国シリーズ出場をかけたプレーオフ最終戦ロッテフェリックス・ホセから反撃ののろしとなるアーチ被弾、「大邱大乱闘」(試合の流れ変えられる一打逆転への不安を感じて暴徒化した観客ロッテ選手乱闘起こした事件)を引き起こした原因となる。この乱闘劇は鎮圧のために警官隊出動し米国CNNでも報道された。2004年シーズン途中ロッテ移籍し抑えとして活躍したチームから無断離脱するなど、トラブルメーカーぶりは相変わらずだった。2006年オフFA行使したが、ロッテを含むどの球団とも契約できず、2007年以降プロ野球選手としてどの球団にも所属していない。 鄭守根(チョン・スグン、在籍年度2004-200820092000年シドニーオリンピック韓国代表に選ばれ3位となり銅メダル授与された。 現役時代は酒に関するトラブル多く2009年現役引退度重なる酒での乱行にも関わらず飲食店飲酒していたことを店員通報されことがきっかけだったデビッド・コルテス在籍年度20082008年抑え務めたメキシコ国家代表経験持っている孫敏漢(ソン・ミンハン、在籍年度1997-2011) 高い制球力機敏な守備技術とを武器とし2001年には最多勝2005年には最優秀防御率シーズンMVP獲得ロッテ慢性的に低迷する中、孤軍奮闘しチーム支えた国際大会にも縁があり、シドニー五輪2006 ワールド・ベースボール・クラシック2009 ワールド・ベースボール・クラシック代表選手選出されるいずれの大会際立った活躍はなかった。2009年ごろから怪我悩まされ2010年・2011年とも登板機会がなく生え抜き若い選手押される形にもなり、オフ自由契約2013年4月NCダイノス契約し4年ぶりの1軍登板果たした。現在はNCコーチ金周燦キム・ジュチャン在籍年度2001-2012) 2001年馬海泳とのトレード三星より移籍俊足生かし外野レギュラーとなり、2012年には通算300盗塁達成同年オフFA(フリーエージェント)で起亜移籍洪性炘(ホン・ソンフン、在籍年度2009-2012斗山ベアーズからFA(フリーエージェント)で移籍し2009年から2012年までクリーンアップ任され活躍した2013年より2度目FA斗山復帰スコット・リッチモンド在籍年度2013キャンプ中に膝を故障し一度登板しないまま3月退団趙晟桓チョ・ソンファン在籍年度1999-2014) キャプテンとして長くチーム貢献してきた。 朴基赫パク・キヒョク在籍年度2000-20102013-2014守備型ショートとして活躍2015年FAKTウィズ移籍した張元準(チャン・ウォンジュン、在籍年度2004-2011、20142004年入団し2006年から先発として活躍2014年オフFA権を行使して斗山ベアーズ移籍したシェーン・ユーマン在籍年度2012-2014) 主に先発として活躍2014年ハンファ移籍張盛好(チャン・ソンホ、在籍年度2013-2014強打ベテランとして入団する大きく期待裏切って2年退団黄載鈞ファン・ジェギュン在籍年度2010-2016) 元メジャーリーガー。現KTウィズ姜珉鎬カン・ミンホ在籍年度2004-2017) 国家代表常連キャッチャー。現三星ライオンズ孫勝洛(ソン・スンナク、在籍年度2016-2019) ネクセンから加入した抑えロッテでは過去三人かいない投手応援歌持っていた選手の一人だった。 ジョシュ・リンドブロム在籍年度2015-20162017) 現ミルウォーキー・ブリュワーズジム・アドゥチ在籍年度2015-2016) 1番打者として活躍する薬物服用発覚し解雇されるジャスティン・マックスウェル在籍年度2016) アドゥチの代役として入団する同年限り退団フェリックス・ドゥブロン在籍年度2018) 現統一ライオンズアンディ・バーンズ在籍年度2017-2018) 現ロサンゼルス・ドジャースジェイク・トンプソン在籍年度2019) 現ユカタン・ライオンズカルロス・アスアヘ在籍年度2019バーンズ代役として入団する活躍できず退団したブルックス・ラリー在籍年度2015-2019) 現ヒューストン・アストロズ裵莊鎬(ペ・ジャンホ、在籍年度2006-2020) サイドスロー中継ぎとして存在感発揮したエイドリアン・サンプソン在籍年度2020) 現シカゴ・カブス李柄奎在籍年度2018-2021) LGツインズから移籍、対右の代打として活躍した宋勝準在籍年度2007-2021) マイナーリーグ経験してから海外進出特別指名入団し15年間所属した孫児葉在籍年度2007-2021) 最多安打4度記録した好打者2021年球団史上初の個人通算2000安打達成閔炳憲在籍年度2018-2021) FA斗山ベアーズから移籍するも、脳動脈瘤治療専念の為、2021年シーズン途中で引退したディクソン・マチャド在籍年度2020-2021) 現シカゴ・カブスダン・ストレイリー在籍年度2020-20212020年チーム最多勝15勝)、KBOリーグ最多奪三振205)を記録DJ・ピーターズ在籍年度2022

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