李炳圭とは? わかりやすく解説

李炳圭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/23 13:24 UTC 版)

李 炳圭(イ・ビョンギュ)
Byung-Kyu Lee
LGツインズ 二軍監督 #70
基本情報
国籍  大韓民国
出身地 全羅北道金堤市
生年月日 (1974-10-25) 1974年10月25日(50歳)
身長
体重
185 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1996年 KBO1次ドラフト
初出場 KBO / 1997年4月12日
NPB / 2007年3月30日
最終出場 KBO / 2016年10月8日
NPB / 2009年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
国際大会
代表チーム 大韓民国
五輪 1996年2000年
WBC 2006年
オリンピック
男子 野球
 大韓民国
2000 野球
イ・ビョンギュ
各種表記
ハングル 이병규
漢字 李炳圭
発音: イビョンギュ
英語表記: Lee Byung-Kyu
テンプレートを表示

李 炳圭(イ・ビョンギュ、: 이병규1974年10月25日 - )は、大韓民国全羅北道金堤市出身、ソウル特別市育ちの元プロ野球選手外野手)、野球指導者。

経歴

第一次LG時代

1997年から2006年まで10年間LGツインズでプレー。LGでは主将も務めており、当時は応援歌があまり作られていなかったにもかかわらず、個人応援歌まで作成されるほど愛されていた。2006年のWBC韓国代表に選出され、主に1番・左翼手として起用された。

1999年には、李鍾範に次いでKBO史上2人目のトリプルスリー(打率.349、30本塁打、31盗塁)を達成している。左打者の達成はKBO史上初だった。

広さで日本の球場と比べても遜色の無い蚕室総合運動場野球場をホーム球場とし、2003年ごろまでは走攻守三拍子揃った5ツールプレイヤーとして知られた。同年オフの左膝手術の影響で、翌2004年からは長打力を捨てて広角に打ち分けるアベレージヒッタースタイルへ転換し、2005年には首位打者を獲得した。

2006年オフにFA宣言し、NPB中日ドラゴンズ千葉ロッテマリーンズが関心を示した[1]。LGとの友好球団であり[1]、同年限りで退団したアレックス・オチョアの代役を探していた中日がアレックスを走攻守全てにおいて上回る存在として期待をかけ、同年12月10日に2年契約(3年目は球団オプション)を結んだ[2]

中日時代

2007年は当初、本人は中堅手志望で打順にはこだわりがないと発言[3]。開幕戦では希望通り「5番・中堅手」で起用された[4]。4月15日に来日初本塁打を放つ[5]。開幕から9試合連続安打を記録するなど序盤は打撃好調だったが[6]、シーズンが進むにつれ徹底的にマークされ徐々に不調に陥っていった。7月18日の対ヤクルト戦では猛打賞をマークし、日韓通算1500安打を達成[7]。9月4日の対巨人戦で、高橋尚成から来日初となる満塁本塁打を放つ[8]。韓国では走攻守揃った選手という評価だったが、レギュラーシーズンでは打率.262の割に低い出塁率.295で、三振は100を越え、盗塁は0、守備でも補殺0に終わる。

しかしクライマックスシリーズに入ると豹変し、阪神との第1ステージ第2戦で上園啓史から試合を決定づける3点本塁打を放った[9]。巨人との第2ステージ第2戦においても西村健太朗から2点適時三塁打を放ち、次の打席では上原浩治からソロ本塁打を放つ[10]。続く日本シリーズ日本ハムとの第2戦では2点本塁打を放ち[11]、さらに第3戦では武田勝を初回1/3でKOに追い込む2点二塁打を放った[12][13]。また、日本シリーズではチーム最高の5打点をマークし、日本一に貢献[14]。短期決戦での勝負強さを見せた。アジアシリーズSKワイバーンズとの決勝戦で金廣鉉から2点本塁打を放ち[15]、チームはアジアシリーズを制覇した[16]。12月に台湾で開催された北京オリンピックアジア地区予選に韓国代表として出場。初戦の台湾戦に6番・右翼手で先発出場した。

2008年の開幕戦は「3番・右翼手」で起用される[17]。5月4日の対阪神戦で藤川球児から来日初のサヨナラ本塁打を放った[18]。5月17日対横浜戦で先制打と満塁本塁打を放った[19]。しかし、右手親指を痛めて6月10日に登録抹消される[20]。6月30日に一軍登録され[21]、7月1日からの阪神との3連戦にスタメン出場するも12打数2安打4三振と結果を残すことが出来ず、三連戦終了後に再び二軍降格となった[22]。更に北京オリンピック韓国代表からも外れてしまう。再登録となった8月12日に先制の3点本塁打、勝ち越しのソロ本塁打と2本の本塁打を放った[23]。10月2日の対横浜戦では8回に三浦大輔から同点2点本塁打、延長10回には寺原隼人から勝ち越しの3点本塁打を放ち、チームの5連勝に導いた[24]。本塁打と打点は前年度より上昇したものの、打率は低下、前年に匹敵する三振を喫し併殺打も増加、また四球も少なかった。結局打率・出塁率はそれぞれリーグワースト3位・2位という結果となった。

阪神とのクライマックスシリーズ第1ステージ第3戦では岩田稔から死球を受け退場したが[25]、巨人との第2ステージ初戦ではセス・グライシンガーから先頭打者本塁打を放った[26]。しかしチームは敗退した[27]

2009年は来日早々「3割20本」の目標を掲げるものの[28]、オープン戦で打率.146と大不振に陥り開幕を二軍で迎えることになった[29]。5月25日に一軍登録され、平田良介や野本の不調により出場機会を得たが、得点圏打率は1割台にまで落ち込み、打率も2割1分8厘と結果を出す事が出来なかった。シーズン終了後、来季の契約を結ばないことを通告され[30]11月2日付で自由契約となった。

第二次LG時代

2010年1月8日、2年総額9億ウォンの契約で4年ぶりに古巣LGツインズに復帰。背番号も9に決定。このシーズンは打率.290、9本塁打の成績でシーズンを終え、韓国通算1500安打も達成した。

2011年シーズンでは16本のホームランを放つ活躍を見せ、打率も.338と首位打者ランキングで3位となった。

2012年シーズンでは本塁打数こそ5本と昨季より減少したものの日韓通算2000本安打を達成し、打率.300フラットという堅調な成績を残した。

2013年7月5日、ネクセン戦で韓国プロ野球史上最年長(38歳8ヶ月)となるサイクルヒットを達成。同年7月10日、NCダイノス戦で韓国プロ野球新記録となる10打席連続安打を達成。同年はNCダイノスが一軍リーグに新規加入したため各チームの試合数が128に減少したこともあり、シーズン終盤の10月初旬に規定打席へ到達することに成功した。最終成績は打率.348で韓国プロ野球では8年ぶり2度目となる首位打者のタイトルを獲得し、ゴールデングラブ賞指名打者部門(韓国プロ野球ゴールデングラブ賞は守備を評価して表彰するものではない)を受賞した。

2014年5月6日、ハンファ戦で韓国プロ野球史上4人目となる韓国通算2000本安打を達成。

だが2014年以降出場機会が減り、2016年限りで現役を引退した。

引退後

2017年3月より韓国のスポーツ専門ケーブルテレビ局・スカイスポーツの野球解説者となった。現役引退時につけていたLGツインズの背番号9は永久欠番となった。

2017年7月9日、蚕室野球場にて引退セレモニー、永久欠番の表彰式が行われた。

2017年11月、古巣LGの二軍コーチとして復帰した。

2018年3月よりLGの一軍打撃コーチとなった。

2022年よりLGの二軍打撃コーチとなった。また2022-2023シーズンよりオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)の韓国人中心のチーム、ジーロング・コリアの監督になった[31]

2023年よりサムスンライオンズの一軍首席コーチになった[32]。2024年は二軍監督を務めたが、オフに再契約不可の通知を受け退団した。

2025年からは、古巣LGに再び復帰し、二軍監督を務める。

エピソード

在籍していたLGには2006年以降、同姓同名の「イ・ビョンギュ(李柄奎)」が在籍している。その影響で、スコアボードなどでは両者とも背番号を付した表記がされていた。

LGツインズ復帰後の2014年4月24日の試合では、前日に突如としてLGの監督を辞任した金杞泰の背番号91を書き込んだ打撃用ヘルメットで登場した。そのヘルメットには自身の家族のイニシャルや、直前に起こった国内でのフェリー事故に巻き込まれた人々へのメッセージ(희망(希望) 기적(奇跡))が刻まれていたこともあり、国内外で話題となった[33]

家族

子息の李承珉は2024年よりSSGランダース所属のプロ野球選手(外野手)となっている。2024年7月5日、父母が観戦していたフューチャースオールスター戦で、父のニックネーム「赤兎馬」にちなみ馬の仮装で打席に入った[34]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 LG 126 550 495 82 151 31 8 7 219 69 23 5 1 3 43 3 8 50 6 .305 .368 .442 .810
1998 124 544 499 75 139 31 5 9 207 67 11 6 3 3 36 1 3 47 13 .279 .329 .415 .744
1999 131 599 550 117 192 43 8 30 341 99 31 3 2 4 34 6 9 65 11 .349 .394 .620 1.014
2000 129 595 527 99 170 28 1 18 254 99 14 8 2 9 52 4 5 91 15 .323 .383 .482 .865
2001 133 607 542 107 167 30 4 12 241 83 24 8 4 3 54 6 4 69 10 .308 .373 .445 .818
2002 109 444 389 54 114 25 0 12 175 43 9 6 1 2 50 12 2 57 6 .293 .375 .450 .825
2003 44 178 154 20 43 9 2 5 71 30 1 3 0 2 21 4 1 23 0 .279 .365 .461 .826
2004 129 562 496 95 160 26 2 14 232 64 8 4 3 1 50 1 12 72 14 .323 .397 .468 .865
2005 119 517 466 62 157 24 2 9 212 75 10 6 1 7 34 1 9 62 10 .337 .388 .455 .843
2006 120 515 478 51 142 29 1 7 194 55 3 2 1 1 31 5 4 65 8 .297 .344 .406 .750
2007 中日 132 508 478 43 125 23 1 9 177 46 0 2 3 3 23 3 1 108 8 .262 .295 .370 .665
2008 105 448 418 40 106 16 2 16 174 65 1 2 5 1 23 0 1 93 13 .254 .293 .416 .709
2009 28 107 101 14 22 3 0 3 34 8 0 0 1 0 5 0 0 33 4 .218 .255 .337 .592
2010 LG 117 451 404 49 117 14 1 9 160 65 3 4 4 6 36 5 1 53 11 .290 .345 .396 .741
2011 127 519 485 64 164 24 0 16 236 75 2 1 5 2 28 1 2 47 10 .338 .375 .487 .862
2012 118 455 420 52 126 25 1 5 168 41 5 7 0 6 22 1 2 58 18 .300 .333 .400 .733
2013 98 401 374 39 130 19 3 5 170 74 2 2 0 3 22 2 2 40 10 .348 .384 .455 .839
2014 62 207 195 23 49 6 0 2 61 25 1 1 2 0 8 0 2 21 5 .251 .288 .313 .601
2015 54 102 96 3 21 7 0 1 31 9 0 0 0 1 5 0 0 18 4 .219 .255 .323 .578
2016 1 1 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
KBO:17年 1741 7247 6571 992 2043 371 38 161 2972 972 147 66 31 53 526 52 66 838 151 .311 .365 .452 .818
NPB:3年 265 1063 997 97 253 42 3 28 385 119 1 4 9 4 51 3 2 234 25 .254 .290 .386 .676
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

KBO
  • 最多安打朝鮮語版:4回 - 1999年(192本)、2000年(170本)、2001年(167本)、2005年(157本)
  • 最多得点朝鮮語版:1回 - 2001年(107得点)
  • 首位打者:2回(2005年、2013年)

表彰

KBO

記録

NPB

背番号

  • 9 (1997年 - 2006年、2010年 - 2016年、2019年 - 2022年)
  • 7 (2007年 - 2009年)
  • 91 (2018年)
  • 79 (2023年)
  • 99 (2024年)
  • 70 (2025年 - )

脚注

  1. ^ a b 中日、大物外野手2人をリストアップ」『中日スポーツ中日新聞社、2006年11月22日。オリジナルの2006年11月24日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ 中日が“韓国のイチロー”を獲得
  3. ^ 李炳圭にカラオケの勧め ソウルで竜入団会見
  4. ^ 中日 対 ヤクルト【試合終了】 中日1勝0敗0分け
  5. ^ 李炳圭、来日1号 技あり!!左へ
  6. ^ <野球>9試合連続安打の李炳圭、猛打の秘訣は?
  7. ^ 李炳圭、日韓通算1500安打 久々の3安打
  8. ^ 李炳圭、来日初満塁ダ~ン 天王山第1R竜快勝さぁ今夜奪首だ~
  9. ^ 待ってろ巨人!! 竜、連勝で第2S進出
  10. ^ 李3打点 7回2点三塁打!9回上原撃ちソロ
  11. ^ 中日が大勝、1勝1敗のタイに 日本シリーズ第2戦
  12. ^ スコア速報(10月30日)2007年10月30日22時14分22秒更新 中日 対 日本ハム
  13. ^ 初回で決めた!オレ竜地元Vへイッキ
  14. ^ <野球>中日、53年ぶりに優勝…李炳圭も初優勝
  15. ^ 李が雪辱の2ラン
  16. ^ オレ竜執念V 激戦制し日本勢3連覇
  17. ^ スコア速報 中日対広島
  18. ^ 李炳圭サヨナラ弾 阪神に3-2で逆転勝ち
  19. ^ ビョン様が先制打&満塁弾 和田に並んだチームトップタイの29打点
  20. ^ 李、抹消 平田が1軍昇格
  21. ^ 中日・李炳圭「球児撃ち任せ」きょうスタメン濃厚
  22. ^ 李炳圭不振変わらず、今季2度目2軍降格
  23. ^ バンザ~李!2発 先制3ラン&同点直後の9回起死回生V弾
  24. ^ 李炳圭が連発「「完ぺきに打てた」…中日CSへM2
  25. ^ 中日の斬り込み隊長が死球退場
  26. ^ 【中日】李、ウッズのアーチで先制/CS
  27. ^ 竜夢散…力負け セCS第2ステージ第4戦
  28. ^ 中日李外野手が来日も困った?
  29. ^ 李炳圭、初の「開幕2軍」濃厚…打率・146に終わる
  30. ^ 中日が李炳圭と来季契約せず
  31. ^ https://geelongkorea.com.au/roster[名無しリンク]
  32. ^ https://sports.news.naver.com/news?oid=657&aid=0000011179[名無しリンク]
  33. ^ [1][名無しリンク]
  34. ^ https://www.xportsnews.com/article/1878425#google_vignette[名無しリンク]

関連項目

外部リンク


李炳圭(イ・ビョンギュ、在籍年度1997 - 2006、2010 - 2016)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:19 UTC 版)

LGツインズ」の記事における「李炳圭(イ・ビョンギュ在籍年度1997 - 20062010 - 2016)」の解説

元中ドラゴンズ現役時代背負った背番号9はチーム永久欠番

※この「李炳圭(イ・ビョンギュ、在籍年度1997 - 2006、2010 - 2016)」の解説は、「LGツインズ」の解説の一部です。
「李炳圭(イ・ビョンギュ、在籍年度1997 - 2006、2010 - 2016)」を含む「LGツインズ」の記事については、「LGツインズ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「李炳圭」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李炳圭」の関連用語

李炳圭のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李炳圭のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李炳圭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのLGツインズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS