李炯哲とは? わかりやすく解説

李炯哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 05:44 UTC 版)

李 炯哲
基本情報
階級 スーパーフライ級
身長 167cm
国籍  大韓民国
誕生日 (1969-12-13) 1969年12月13日(55歳)
出身地  大韓民国
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 25
勝ち 19
KO勝ち 15
敗け 6
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李 炯哲イ・ヒョンチョルHyung-Chul Lee1969年12月13日 - )は、韓国プロボクサー。元WBA世界スーパーフライ級王者。

来歴

1987年10月24日、プロデビュー(4回判定負け)。その後、1988年10月までに通算4戦を戦い、1勝3敗。

1990年8月11日、現役の世界ランカーで後にWBA世界フライ級王者となるデビッド・グリマンベネズエラ)と対戦し、10回判定負け。

1991年4月6日、13戦目で韓国スーパーフライ級王座を獲得。その後、1度防衛に成功。

1994年4月3日にWBA世界スーパーフライ級王者鬼塚勝也に挑戦する予定であったが、父親の病気を理由にキャンセル(鬼塚は同じ韓国人の李承九と対戦し、12回判定勝ち)。9月18日、改めて鬼塚に挑戦し9回TKO勝ち。22戦目で世界王者となった[1]。翌1995年2月25日には田村知範を12回KOに降し、初防衛に成功した[1]

1995年7月22日、2度目の防衛戦でアリミ・ゴイチア(ベネズエラ)と対戦し、4回KO負けで王座陥落(KOパンチがラウンド終了のゴング後に放ったとされ、「疑惑のKO」と称された)。

1996年2月24日、ゴイチアと再戦したが、12回KO負けで王座奪回ならず。結局、この試合を最後に引退した。

獲得タイトル

地域タイトル

世界タイトル

脚注

  1. ^ a b ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年

関連項目

外部リンク

前王者
鬼塚勝也
WBA世界スーパーフライ級王者

1994年9月18日 - 1995年7月22日

次王者
アリミ・ゴイチア




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