1980年の南海ホークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/08 03:39 UTC 版)
| 1980年の南海ホークス | |
|---|---|
| 成績 | |
| パシフィック・リーグ6位 年間6位:48勝77敗5分 勝率.384 後期6位:20勝43敗2分 勝率.317 前期5位:28勝34敗3分 勝率.452 |
|
| 本拠地 | |
| 都市 | 大阪府大阪市浪速区 |
| 球場 | 大阪球場 |
|
|
|
| 球団組織 | |
| オーナー | 川勝傳 |
| 経営母体 | 南海電気鉄道 |
| 監督 | 広瀬叔功 |
|
« 1979
1981 »
|
|
1980年の南海ホークス(1980ねんのなんかいホークス)では、1980年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
このシーズンの南海ホークスは、広瀬叔功監督の3年目のシーズンである。
概要
| 年 | 成績 | リーグ | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 平均得点 | 平均失点 | 開幕時監督 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1980 | レギュラー敗退 | 6位 | 48 | 77 | 5 | .384 | 広瀬叔功 | ||||
| 1979 | レギュラー敗退 | 5位 | 46 | 73 | 11 | .387 | 広瀬叔功 | ||||
| 1978 | レギュラー敗退 | 6位 | 42 | 77 | 11 | .353 | 広瀬叔功 | ||||
| 1977 | レギュラー敗退 | 2位 | 63 | 55 | 12 | .534 | 野村克也 | ||||
| 1976 | レギュラー敗退 | 2位 | 71 | 56 | 3 | .559 | 野村克也 | ||||
| 1975 | レギュラー敗退 | 5位 | 57 | 65 | 8 | .467 | 野村克也 | ||||
| 1974 | レギュラー敗退 | 3位 | 59 | 55 | 16 | .518 | 野村克也 | ||||
| 1973 | 日本シリーズ敗退 | 優勝 | 68 | 58 | 4 | .540 | 野村克也 | ||||
| 1972 | レギュラー敗退 | 3位 | 65 | 61 | 4 | .516 | 野村克也 | ||||
| 1971 | レギュラー敗退 | 4位 | 61 | 65 | 4 | .484 | 野村克也 | ||||
| 1970 | レギュラー敗退 | 2位 | 69 | 57 | 4 | .548 | 野村克也 | ||||
前年アキレス腱断裂で離脱していた門田博光が復帰し、開幕直後は門田とカルロス・メイが牽引役となってチームは好スタートを切り4月を首位で終えるが、4月30日から7連敗を喫し一気に借金生活に突入すると、5月下旬から4連敗・5連敗と負けが込みチームは5位に転落。後期に入ると開幕8試合で1勝7敗と早々と最下位が定位置となり、大混戦の優勝争いを尻目に南海だけが蚊帳の外に置かれ、結局2年ぶりの年間最下位。チーム打率はリーグ3位と健闘したが、チーム防御率は5点台後半と、広瀬監督就任以降悪化する一方で、チームの低迷を食い止められなかった広瀬は責任を取り辞任。日程消化の都合で11月に行われた前期最終戦に勝利し、前期5位だけは確保し、広瀬は26年間在籍したチームを去った。カード別成績では後期に優勝争いを演じた西武に11勝14敗1分と健闘し、5位の阪急にも12勝14敗と互角だったが、2位ロッテには7勝17敗2分と大きく負け越した。広瀬監督辞任を受け、この年まで阪神タイガースの監督を務めたドン・ブレイザーが後任の監督に就任し、ブレイザー監督は「考える野球」でチームの立て直しを図ることになる。
チーム成績
レギュラーシーズン
| 1 | 三 | 藤原満 |
|---|---|---|
| 2 | 中 | 久保寺雄二 |
| 3 | 一 | 小田義人 |
| 4 | 左 | メイ |
| 5 | 二 | 河埜敬幸 |
| 6 | 指 | 門田博光 |
| 7 | 右 | 王天上 |
| 8 | 遊 | 定岡智秋 |
| 9 | 捕 | 黒田正宏 |
| 投手 | 山内新一 | |
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
| 優勝 | 近鉄バファローズ | 68 | 54 | 8 | .5574 | -- |
| 2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 51 | 15 | .5565 | 0.5 |
| 3位 | 日本ハムファイターズ | 66 | 53 | 11 | .555 | 0.5 |
| 4位 | 西武ライオンズ | 62 | 64 | 4 | .492 | 8.0 |
| 5位 | 阪急ブレーブス | 58 | 67 | 5 | .464 | 11.5 |
| 6位 | 南海ホークス | 48 | 77 | 5 | .384 | 21.5 |
*優勝は前後期優勝チームによるプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1980
- 選出選手及びスタッフ
| ファン投票 | 監督推薦 |
|---|---|
| 選出なし | 山内新一 片平晋作 門田博光 |
できごと
- 7月5日 - 監督の広瀬叔功、コーチの新山隆史、選手の片平晋作が対阪急戦で退場処分となる。一度に3人退場は史上初[1]。
- 7月9日 - 王天上(フランク・オーテンジオ)が退団。これに伴い、この年李来発と共に入団しながら、王天上とカルロス・メイ在籍のため「練習生」(当時の外国人は1球団あたり2名まで)扱いだった高英傑が選手登録される。
選手・スタッフ
表彰選手
| リーグ・リーダー | |||
|---|---|---|---|
| 選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
| 金城基泰 | 最優秀救援投手 | 19SP | 2年連続2度目 |
| その他 | |||
| 選手名 | タイトル | ||
| 門田博光 | カムバック賞 | ||
| ベストナイン |
|---|
| 選出なし |
| ダイヤモンドグラブ賞 |
| 選出なし |
ドラフト
| 順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 1位 | 山内和宏 | 投手 | リッカー | 入団 |
| 2位 | 井上祐二 | 投手 | 都城高 | 入団 |
| 3位 | 刀根剛 | 外野手 | 敦賀高 | 入団 |
| 4位 | 山田勉 | 外野手 | 松下電器 | 入団 |
出典
- ^ ベースボール・マガジン社 編 編『HAWKS the 70th ホークス栄光の軌跡』ベースボール・マガジン社、2008年、104頁。ISBN 9784583101194。
| セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 広島東洋カープ | 2位 | ヤクルトスワローズ | 優勝 | 近鉄バファローズ | 2位 | ロッテオリオンズ |
| 3位 | 読売ジャイアンツ | 4位 | 横浜大洋ホエールズ | 3位 | 日本ハムファイターズ | 4位 | 西武ライオンズ |
| 5位 | 阪神タイガース | 6位 | 中日ドラゴンズ | 5位 | 阪急ブレーブス | 6位 | 南海ホークス |
| :日本一 :後期優勝・日本シリーズ出場 :前期優勝(パ・リーグ) | |||||||
- 1980年の南海ホークスのページへのリンク
