1981年のヤクルトスワローズ (1981ねんのヤクルトスワローズ)では、1981年のヤクルトスワローズ の動向をまとめる。
この年のヤクルトスワローズは、武上四郎 監督の2年目のシーズンである。
概要
1979年 ・1980年 と近鉄 のリーグ連覇に大きく貢献したチャーリー・マニエル が3年ぶりにチームに復帰。外野陣は主力打者の若松勉 、俊足好守のジョン・スコット そしてマニエルがレギュラーとなり、外野陣からあふれた杉浦享 は一塁で大杉勝男 と併用という贅沢な悩みを抱えた。しかし開幕を迎えると、肝心のマニエルの調子が一向に上がらず、4月24日の15試合目にようやく1号本塁打が出るなど、12本塁打にとどまり期待を裏切った。また、若松が4月22日に右肩の靭帯を損傷し戦列を離脱、さらにスコットも5月26日の阪神 戦で甲子園のフェンスに激突し左膝の靭帯を損傷しこれまた離脱となり、外野陣は大幅に戦力ダウン。代わりに出番が大幅に増えた控え外野手の青木実 が盗塁王に輝き、大杉も自己ベストの打率.343をマークし2000本安打も達成するなど活躍したが、7月と9月に6引き分けするなど接戦に弱いチームは一度も優勝争いに絡めず4位で終了(16引き分けはリーグ1位)。シーズン終了後に安田猛 が現役を引退した。投手陣はベテラン松岡弘 が12勝をあげたものの、前年2位躍進の原動力となった鈴木康二朗 と井原慎一朗 が9勝止まりで、梶間健一 と尾花高夫 もそれぞれ6勝に終わった。
ヤクルトスワローズの当年及び近年のシーズン成績
年
成績
リーグ
勝
敗
分
率
平均得点
打率
本塁打
本塁打率
盗塁
防御率
平均失点
開幕時監督
1981
レギュラー敗退
4位
56
58
16
.491
.
4.62
武上四郎
1980
レギュラー敗退
2位
68
52
10
.567
.
3.55
武上四郎
1979
レギュラー敗退
6位
48
69
13
.410
.
4.97
広岡達朗
1978
日本一
優勝
68
46
16
.596
.
4.87
広岡達朗
1977
レギュラー敗退
2位
62
58
10
.517
.
4.25
広岡達朗
1976
レギュラー敗退
5位
52
68
10
.433
.
4.27
荒川博
1975
レギュラー敗退
4位
57
64
9
.471
.
3.82
荒川博
1974
レギュラー敗退
3位
60
63
7
.488
.
荒川博
1973
レギュラー敗退
4位
62
65
3
.488
.
三原脩
1972
レギュラー敗退
4位
60
67
3
.472
.
三原脩
1971
レギュラー敗退
6位
52
72
6
.419
.
三原脩
レギュラーシーズン
1981年セントラル・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
最終成績
1位
中日
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
巨人
--
2位
巨人
1.5
中日
6.0
ヤクルト
7.5
阪神
9.0
ヤクルト
9.0
広島
6.0
3位
広島
6.0
広島
6.5
阪神
8.5
ヤクルト
12.0
阪神
11.5
阪神
8.0
4位
ヤクルト
8.0
ヤクルト
9.0
広島
9.0
中日
12.5
広島
12.5
ヤクルト
13.5
5位
阪神
8.0
阪神
10.0
中日
10.0
広島
12.5
中日
13.5
中日
16.0
6位
大洋
9.5
大洋
13.5
大洋
大洋
17.0
大洋
22.5
大洋
31.5
オールスターゲーム1981
選手・スタッフ
監督
一軍コーチ
二軍監督・コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
[ 2]
表彰選手
リーグ・リーダー
選手名
タイトル
成績
回数
青木実
盗塁王
34個
初受賞
ドラフト
出典
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代