1966年アジア競技大会とは? わかりやすく解説

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1966年アジア競技大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/06 14:38 UTC 版)

第5回アジア競技大会
V Asian Games
開催国・都市 タイバンコク
参加国・地域数 18ヶ国
参加人数 約2,000人
競技種目数 14競技
開会式 1966年12月9日
閉会式 1966年12月20日
開会宣言 ラーマ国王
主競技場 スパチャラサイ国立競技場
Portal:オリンピック
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1966年アジア競技大会(1966ねんアジアきょうぎたいかい、V Asian Games 1966)は、1966年12月9日から12月20日までタイバンコクで行われたアジア競技大会

バンコクにおける初の大規模な大会となったが、それゆえに運営がスムーズにいかず、競技ルールに統一性が無い、報道用の腕章が100人分・マラソン取材用のバスが1台不明になる、陸上競技の試技で回数を間違える・予選の記録を含めて順位を決定するなどの不手際が生じ、当時のタイ副首相がテレビを通じて陳謝した。この事態に対し、外国人記者から「アジア大会ではなくアニマル大会」であると皮肉られた[1]

水泳では競泳で23種目、飛び込みで4種目の合計27種目を日本が独占した[2]

12月17日に行われた男子バスケットボールの準決勝、タイ韓国戦ではタイが67-52とリードした時点で乱闘が起き、試合が中断されたが、翌18日に大会上訴審判委でタイの勝利が採決された[3]

参加国・地域

参加国・地域人数

IOC 参加国・地域 人数

実施競技

各国・地域の獲得メダル数

国・地域
1 日本 77 52 33 162
2 韓国 12 18 21 51
3 タイ 12 12 11 35
4 インド 8 4 11 23
5 マレーシア 7 5 7 19
6 イラン 6 8 16 30
7 台湾 5 4 10 19
8 イスラエル 3 5 3 11
9 インドネシア 3 4 10 17
10 フィリピン 2 15 24 41
11 パキスタン 2 4 2 8
12 ビルマ連邦 1 0 4 5
13 シンガポール 0 5 7 12
14 ベトナム共和国 0 2 0 2
15 セイロン 0 0 5 5
16 イギリス領香港 0 0 1 1
  合計 138 138 165 441

脚注

  1. ^ 毎日新聞 2014年9月22日朝刊
  2. ^ 水泳、全種目制す 二百個人メドレー 藤井、決勝も日本新 読売新聞 1966年12月18日朝刊9ページ
  3. ^ 上訴審、タイの勝ちを裁決 バスケット乱闘試合 読売新聞 1966年12月19日 朝刊11ページ


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