1978年アジア競技大会とは? わかりやすく解説

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1978年アジア競技大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 03:28 UTC 版)

第8回アジア競技大会
VIII Asian Games
開催都市 タイバンコク
参加国・地域数 27ヶ国
参加人数 2,876人
競技種目数 19競技
開会式 1978年12月9日
閉会式 1978年12月20日
開会宣言 ラーマ国王
主競技場 スパチャラサイ国立競技場
Portal:オリンピック
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1978年アジア競技大会(1978ねんアジアきょうぎたいかい、VIII Asian Games 1978)は1978年12月9日から12月20日タイ王国バンコクで行われた第8回アジア競技大会

開催地の選定は1972年8月にドイツミュンヘンで行われたアジア競技連盟(AGF)評議委員会において行われ、日本の福岡市シンガポールが立候補した。この時点ではシンガポールに開催地が決定したが、1973年10月に財政上の理由から開催を返上した。そこで、1974年9月にはパキスタンイスラマバードが代替地として立候補し決定したが、1975年6月には再び財政上の理由から(又はバングラデシュインドとの紛争を理由に)開催を返上した。そこで福岡市に開催が打診されたが熱が冷めていて受け入れられず、そのため更に1966年大会1970年大会を開催しているタイ王国バンコクに開催を打診し、1977年7月に開催地が決定した。このような経緯を理由として開催の費用は参加国のうち15カ国が分担した。政治的な対立からイスラエルは招待されなかった。

27カ国、2876人の選手が参加し、アーチェリー競技、ボウリング競技が初実施された。

参加国・地域

参加国・地域人数

IOC 参加国・地域 人数

実施競技

各国・地域の獲得メダル数

国・地域
1 日本 70 59 49 178
2 中国 51 54 45 150
3 韓国 18 20 32 70
4 北朝鮮 15 13 15 43
5 タイ 11 12 19 42
6 インド 11 10 6 27
7 インドネシア 8 9 18 35
8 パキスタン 4 4 9 17
9 フィリピン 4 4 6 14
10 イラク 2 4 6 12
11 マレーシア 2 1 3 6
12 シンガポール 2 0 4 6
13 モンゴル 1 3 5 9
14 レバノン 1 1 0 2
15 シリア 1 0 0 1
16 ビルマ 0 3 3 6
17 イギリス領香港 0 2 3 5
18 スリランカ 0 2 2 4
19 クウェート 0 0 1 1

脚注





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