ドン・ラーセンとは? わかりやすく解説

ドン・ラーセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 06:25 UTC 版)

ドン・ラーセン
Don Larsen
1954年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州ミシガンシティ
生年月日 (1929-08-07) 1929年8月7日
没年月日 (2020-01-01) 2020年1月1日(90歳没)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1947年
初出場 1953年4月18日
最終出場 1967年7月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ドナルド・ジェームズ・ラーセンDonald James Larsen1929年8月7日 - 2020年1月1日[1])は、 アメリカ合衆国インディアナ州ミシガンシティ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

ニューヨーク・ヤンキース時代、1956年のワールドシリーズ第5戦(対ブルックリン・ドジャース)でワールドシリーズ史上初のパーフェクト・ゲームを達成した(2022年現在ポストシーズン唯一の完全試合であり、ワールドシリーズのノーヒッターとしても唯一)選手[2]

経歴

1953年セントルイス・ブラウンズでメジャーデビュー。「夜遊び」が好きで、このためかなかなか好成績はあげられなかった。翌1954年にチームはボルチモアに移転しオリオールズとなったが、この年3勝21敗の成績でア・リーグ最多敗戦を記録。この年のオフ、史上最多の17名が関与したトレードニューヨーク・ヤンキースに移籍(オリオールズ7人対ヤンキース10人)。ただしこれで行状があらたまったわけではなく、移籍初年度の1955年にはスプリング・トレーニング中に早朝5時に車を電信柱にぶつけている。監督のケーシー・ステンゲルは「電報でも出しに行ったんだろう。(時間が)早すぎるというか、遅すぎるというか。」と語っていたという。

1956年には自己最多の11勝(7敗)をあげてチームのリーグ優勝に貢献。その年のワールドシリーズはヤンキースとブルックリン・ドジャース(当時はニューヨーク)の「地下鉄シリーズ」となった。ドジャースの本拠地エベッツ・フィールドで開幕し、ドジャースがまず連勝。ヤンキー・スタジアムに移った第3・4戦はヤンキースが連勝し、迎えた第5戦。先発したラーセンはドジャース打線相手にワールドシリーズ史上初の完全試合を達成した[3]。2023年終了時点で唯一の記録である。シリーズは最終戦までもつれたがヤンキースが勝ち、ラーセンはシリーズMVP及びベーブ・ルース賞に選ばれた。

1957年も10勝をあげるが、二桁勝利はその2シーズンのみ。ヤンキースには1959年まで在籍し、その後は1960年カンザスシティ・アスレチックス(そのときの交換相手の一人にロジャー・マリスがいる)、1961年途中にシカゴ・ホワイトソックス1962年サンフランシスコ・ジャイアンツ1964年途中にヒューストン・コルト45's1965年よりアストロズに名称変更)、1967年シカゴ・カブスに移籍し、1967年限りで現役引退。

1999年7月18日には、ヤンキー・スタジアムで始球式を行っているが、この試合ではデビッド・コーン(ニューヨーク・ヤンキース)がモントリオール・エクスポズを相手に完全試合を達成している[4]

晩年は2018年6月17日にヤンキー・スタジアムで開催されたオールドタイマーズ・デー英語版に登場し、その際には日本のマスコミに大谷翔平ロサンゼルス・エンゼルス)を激励するコメントを残している[5]

2020年1月1日食道がんのため、アイダホ州ヘイデン英語版の緩和ケア施設で死去した[6]。90歳没。

備考

早稲田実業高等学校時代の王貞治は投手としてプレーしていたが、コントロールに難のあるところがあった。そこで早実の総監督的立場だった久保田高行のアドバイスなどでノーワインドアップ投法にフォームを矯正することになり、王はフォーム固めの参考とするために荒川博(当時=毎日オリオンズ)の家で、ノーワインドアップで投げていたドン・ラーセンの投球フォームの映像を見ていたことを語っている[7]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1953 SLB 38 22 7 2 0 7 12 2 -- .368 828 192.2 201 11 64 -- 4 96 3 0 99 89 4.16 1.38
1954 29 28 12 1 0 3 21 0 -- .125 892 201.2 213 18 89 -- 1 80 2 0 106 98 4.37 1.50
1955 NYY 19 13 5 1 0 9 2 2 -- .818 412 97.0 81 8 51 3 2 44 1 0 38 33 3.06 1.36
1956 38 20 6 1 0 11 5 1 -- .688 759 179.2 133 19 96 0 7 107 3 0 72 65 3.26 1.27
1957 27 20 4 1 1 10 4 0 -- .714 605 139.2 113 12 87 0 0 81 6 0 68 58 3.74 1.43
1958 19 19 5 3 0 9 6 0 -- .600 491 114.1 100 4 52 3 4 55 0 0 43 39 3.07 1.33
1959 25 18 3 1 0 6 7 0 -- .462 560 124.2 122 14 76 2 2 69 7 0 65 60 4.33 1.59
1960 KCA 22 15 0 0 0 1 10 0 -- .091 381 83.2 97 11 42 1 0 43 2 0 55 50 5.38 1.66
1961 8 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 75 15.0 21 2 11 0 1 13 2 0 9 7 4.20 2.13
CWS 25 3 0 0 0 7 2 2 -- .778 315 74.1 64 5 29 2 1 53 2 0 36 34 4.20 1.25
'61計 33 4 0 0 0 8 2 2 -- .800 390 89.1 85 7 40 2 2 66 4 0 45 41 4.13 1.40
1962 SF 49 0 0 0 0 5 4 11 -- .556 380 86.1 83 9 47 7 2 58 6 0 44 42 4.38 1.51
1963 46 0 0 0 0 7 7 3 -- .500 261 62.0 46 8 30 9 0 44 4 0 23 21 3.05 1.23
1964 6 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 46 10.1 10 0 6 1 0 6 0 0 5 5 4.35 1.55
HOU 30 10 2 1 0 4 8 1 -- .333 424 103.1 92 4 20 4 1 58 1 0 36 26 2.26 1.08
'64計 36 10 2 1 0 4 9 1 -- .308 470 113.2 102 4 26 5 1 64 1 0 41 31 2.45 1.13
1965 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 27 5.1 8 0 3 1 0 1 0 0 3 3 5.06 2.06
BAL 27 1 0 0 0 1 2 1 -- .333 234 54.0 53 4 20 2 1 40 0 0 22 16 2.67 1.35
'65計 28 2 0 0 0 1 2 1 -- .333 261 59.1 61 4 23 3 1 41 0 0 25 19 2.88 1.42
1967 CHC 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 18 4.0 5 1 2 0 0 1 0 0 4 4 9.00 1.75
通算:14年 412 171 44 11 1 81 91 23 -- .471 6708 1548.0 1442 130 725 35 26 849 39 0 728 650 3.78 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • SLA(セントルイス・ブラウンズ)は、1954年にBAL(ボルチモア・オリオールズ)に球団名を変更

表彰

記録

完全試合内容

打順 打者 1回 2回 3回 4回 5回 6回 7回 8回 9回
1 ギリアム 三振 二ゴ 遊ゴ
2 リース 三振 二飛 中飛
3 スナイダー 右直 三振 左飛
4 ロビンソン 遊ゴ 右飛 投ゴ
5 ホッジス 三振 中飛 三飛
6 アモロス 二飛 二ゴ 中飛
7 フリロ 右飛 二飛 右飛
8 キャンパネラ 三振 二飛 二ゴ
9 マグリー 中飛 三振
代打 ミッチェル 三振

※ゴ:ゴロの略

  • 総投球数:97球

脚注

  1. ^ “Don Larsen, only pitcher to throw a perfect game in World Series, dies at 90”. Los Angels Times. Los Angeles Times. 1 January 2020. 2020年7月30日閲覧.
  2. ^ WSで唯一の完全試合…元ヤンキース、ドン・ラーセン氏死去
  3. ^ Don Larsen's Perfect Game”. bleacherreport.com (2010年11月8日). 2010年12月4日閲覧。
  4. ^ PERFECTION AGAIN!”. yankeetradition.com. 2010年12月4日閲覧。
  5. ^ “ドン・ラーセン氏、大谷へ二刀流「頑張ってほしい」”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 18 June 2018. 2020年1月2日閲覧.
  6. ^ “Don Larsen, only pitcher to throw a perfect game in World Series, dies at 90”. Los Angels Times. Los Angeles Times. 1 January 2020. 2020年1月2日閲覧.
  7. ^ “野球の国から ノーワインドで制球難を解消/王貞治5”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 22 January 2019. 2020年1月2日閲覧.

関連項目

外部リンク


ドン・ラーセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:33 UTC 版)

1956年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ドン・ラーセン」の解説

ドン・ラーセンは殿堂入りするほどの実績はなく、大リーグ14年間で7球団渡り歩いて通算8191敗の成績であった。彼は1947年サンディエゴポイント・ロマ高校卒業後、セントルイス・ブラウンズ契約してマイナーリーグ6年経験積んでから1953年メジャーデビューした。ブラウンズ選手として1年翌年ボルチモア移ってボルチモア・オリオールズ1年間プレーして3勝21敗の成績この年最多敗戦投手となった。それでもヤンキースケーシー・ステンゲル監督身長193センチ大型投手としてその素質見込んでヤンキーストレードされた。1955年は9勝2敗のまずまずの成績この年秋に日米野球ヤンキース一員として来日し予想外にいいとステンゲル思った。翌1956年の春のキャンプ地門限無視して飲み歩き酔っ払い運転で電柱にぶつかる事故起こしたステンゲル監督不問付した。そしてこの年シーズン11勝5敗の成績初め先発陣一翼担った。そしてワールドシリーズでは対ドジャース第2戦に先発した序盤6点リードしたがすぐに6点取られて2回で降板した。その後両チーム2勝2敗で迎えた重要な第5戦にラーセンマウンド託された。64519人の観客の前で、主砲マントル本塁打先制し7回に1点追加して2対0となり、あれよあれよと言っている間にラーセン完全試合達成した。この試合後半にはラーセン振り被らず投げノーワインドアップ投法切り替えたことも好結果つながったギリアム(二)リース(游)、スナイダー(中)、ロビンソン(左)、ホッジス(一)、アモロス(右)、フリロ(三)、キャンパネラ(補)、マクリー(投)のこの時期ブルックリン・ドジャース打線は強力であったラーセンその後1959年12月アスレチックスとの交換トレード(この時の交換相手ロジャー・マリスであった)でカンザスシティへ移りその後4球団渡り歩いて1967年レッズ最後にユニフォーム脱いだ引退後カリフォルニア州製紙会社働き、現在はアイダホ州隠居生活送っている。

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アメリカ合衆国の野球選手 レイ・ブーン  ドン・ニューカム  ドン・ラーセン  ジェイク・ベックリー  サム・ユーイング
ニューヨーク・ヤンキースの選手 マイク・パターソン  チャーリー・スパイクス  ドン・ラーセン  ロビンソン・カノ  グレッグ・ハリス
シカゴ・カブスの選手 マラカイ・キットリッジ  ベン・グリーブ  ドン・ラーセン  クレイグ・モンロー  ジム・タイロン
ボルチモア・オリオールズの選手 ドン・ベイラー  ジョー・クイン  ドン・ラーセン  ジョージ・シェリル  タイ・ウィギントン
オークランド・アスレチックスの選手 ベン・グリーブ  レイ・ブーン  ドン・ラーセン  マット・ホリデー  ビリー・コッチ
シカゴ・ホワイトソックスの選手 ジョッコ・コンラン  レイ・ブーン  ドン・ラーセン  サム・ユーイング  ビリー・コッチ
サンフランシスコ・ジャイアンツの選手 ダレル・エバンス  ベンジー・モリーナ  ドン・ラーセン  ジェイク・ベックリー  フアン・ウリーベ
ヒューストン・アストロズの選手 チャド・クオルズ  ランディ・ウルフ  ドン・ラーセン  ケン・カミニティ  マイク・ギャロ

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