フアン・ウリーベとは? わかりやすく解説

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フアン・ウリーベ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 16:58 UTC 版)

フアン・ウリーベ
Juan Uribe
ニューヨーク・メッツでの現役時代
(2015年8月19日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 ペラビア州バニ英語版
生年月日 (1979-07-22) 1979年7月22日(45歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手遊撃手二塁手
プロ入り 1997年 アマチュアFA
初出場 2001年4月8日
最終出場 2016年7月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

フアン・セスペデス・ウリーベ・テーニャJuan Cespedes Uribe Tena, 1979年3月22日[1] - )は、ドミニカ共和国ペラビア州バニ英語版出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

姓の発音記号に基づく正しい読みはooh RE bay であり、原音に忠実な日本語表記は「ウーリベイ」である。

同じくプロ野球選手(内野手)となったホセ・テナにあたる[2]

経歴

プロ入りとロッキーズ時代

1997年にアマチュア・フリーエージェントでコロラド・ロッキーズと契約してプロ入り。

2001年4月8日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビューを果たし、この年は打率.300を記録。

ホワイトソックス時代

2003年12月2日にアーロン・マイルズとのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍した。

2004年23本塁打を記録した。高い守備力も含め、ホワイトソックスに欠かせない選手となった。

2006年のシーズンオフに、故郷のドミニカに帰国した際に、発砲事件を起こして逮捕されている。しかし、ウリーベ自身が発砲したかどうかは定かではない。

2008年は、前年オフに右腕エース、ジョン・ガーランドとのトレードで、メジャー屈指の好守の遊撃手であるオーランド・カブレラが加入した。その煽りを受け、前年の井口資仁の放出以来、空席となっていた二塁手へコンバートされた。しかし、開幕から不振に陥ったのと故障、またアレクセイ・ラミレスの台頭もあり、内野のユーティリティへと格下げとなった。だが、後半戦からは、故障したジョー・クリーディの代わりに三塁を守るなど、一塁以外の内野をこなしてチームに貢献した。オフの10月30日にFAとなった。

ジャイアンツ時代

2009年1月29日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、4月4日にメジャー昇格した。オフの11月5日にFAとなったが、2010年1月4日にジャイアンツと1年325万ドルで再契約した。

2010年は遊撃のレギュラーとしてチーム56年ぶりのワールドシリーズ制覇に貢献した。オフの11月1日にFAとなった。

ドジャース時代

2010年11月30日にロサンゼルス・ドジャースと3年総額2100万ドルの契約で合意した。

2013年10月31日にFAとなったが、12月14日にドジャースと2年総額1500万ドルで契約に合意したことを報道され[3]、12月24日に球団が発表した[4]

2014年9月28日に行われたレギュラーシーズン最終戦のロッキーズ戦、ポストシーズンに向けて休養を取った監督のドン・マッティングリーより監督代行に指名されてチームの指揮をとり、チームを勝利に導いた。なお、本人の選手としての出場はなかった。

2015年は、移籍するまでに29試合に出場したが、打率.247、1本塁打、6打点、1盗塁という成績に終わったていた。

ブレーブス時代

2015年5月27日にアルベルト・カヤスポエリック・スタルツイアン・トーマスフアン・ハイメとのトレードで、クリス・ウィズロウと共にアトランタ・ブレーブスへ移籍した[5]。5月25日から27日はドジャースの本拠地ドジャー・スタジアムでの3連戦だったが、25日はドジャースの選手として、27日にはブレーブスの選手として試合に出場した。ブレーブスでは三塁手のレギュラー格となり、46試合に出場した。ドジャース時代からは一転して調子を上げ、打率.285、7本塁打、17打点、1盗塁、OPS0.817という好成績をマークした。三塁の守備は、持ち前の高い守備力が影を潜め、42試合で守って6失策守備率.942、DRS -1という成績だった。

メッツ時代

2015年7月24日にジョン・ガントロブ・ウェイレンとのトレードで、ケリー・ジョンソンと共にニューヨーク・メッツへ移籍した[6]。メッツでは44試合に出場し、9二塁打と6本塁打を放ってパワーを発揮したが、打率.219と再不振になった。三塁の守備は好転し、26試合でDRS +2を記録した。また、二塁手でも7試合で無失策だった。ドジャース時代からの通算成績は、119試合の出場で打率.253・14本塁打・43打点・2盗塁・OPS0.737という内容であり、2年ぶりの二桁本塁打クリアとなった。ポストシーズンでは、ディビジョンシリーズリーグチャンピオンシップシリーズとも出番はなかったが、カンザスシティ・ロイヤルズとのワールドシリーズでは、1試合に出場し、1打席、1打数、1安打、1打点、1得点を記録した。同年11月2日にFAとなった[7]

インディアンス時代

2016年2月28日にクリーブランド・インディアンスと1年400万ドルで契約を結んだ[8]。開幕から三塁手のレギュラー格として起用されてきたが、8月1日にDFAとなり、5日に自由契約となった[9]

プレースタイル

パンチ力と広い守備範囲と強肩が魅力であった。

ポジションは本職は遊撃手だが、晩年は三塁手での出場が多い。他に二塁手中堅手としてのプレー経験がある。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2001 COL 72 283 273 32 82 15 11 8 143 53 3 0 0 0 8 1 2 55 6 .300 .325 .524 .849
2002 155 618 566 69 136 25 7 6 193 49 9 2 7 6 34 1 5 120 17 .240 .286 .341 .627
2003 87 343 316 45 80 19 3 10 135 33 7 2 6 1 17 0 3 60 3 .253 .297 .427 .724
2004 CWS 134 553 502 82 142 31 6 23 254 74 9 11 11 5 32 1 3 96 10 .283 .327 .506 .833
2005 146 540 481 58 121 23 3 16 198 71 4 6 11 10 34 0 4 77 7 .252 .301 .412 .712
2006 132 495 463 53 109 28 2 21 204 71 1 1 9 7 13 1 3 82 10 .235 .257 .441 .698
2007 150 563 513 55 120 18 2 20 202 68 1 9 7 5 34 2 4 112 6 .234 .284 .394 .678
2008 110 353 324 38 80 22 1 7 125 40 1 3 5 1 22 0 1 64 5 .247 .296 .386 .682
2009 SF 122 432 398 50 115 26 4 16 197 55 3 1 3 5 25 2 1 82 7 .289 .329 .495 .824
2010 148 575 521 64 129 24 2 24 229 85 1 2 0 5 45 6 4 92 20 .248 .310 .440 .749
2011 LAD 77 295 270 21 55 12 0 4 79 28 2 0 0 2 17 2 6 60 12 .204 .264 .293 .557
2012 66 179 162 15 31 9 0 2 46 17 0 1 1 1 13 0 2 37 6 .191 .258 .284 .542
2013 132 426 388 47 108 22 2 12 170 50 5 0 3 3 30 3 2 81 12 .278 .331 .438 .769
2014 103 404 386 36 120 23 0 9 170 54 0 1 0 2 15 2 1 77 15 .311 .337 .440 .777
2015 29 87 81 6 20 2 0 1 25 6 1 0 0 1 5 0 0 9 5 .247 .287 .309 .596
ATL 46 167 151 17 43 6 0 7 70 17 1 0 0 0 15 2 1 37 5 .285 .353 .464 .817
NYM 44 143 128 17 28 9 0 6 55 20 0 0 0 0 14 1 1 34 2 .219 .301 .430 .730
'15計 119 397 360 40 91 17 0 14 150 43 2 0 0 1 34 3 2 80 12 .253 .320 .417 .737
2016 CLE 73 259 238 19 49 9 0 7 79 25 0 0 0 3 15 1 3 49 6 .206 .259 .332 .591
MLB:16年 1826 6715 6161 724 1568 323 43 199 2574 816 48 39 63 57 388 25 46 1224 154 .255 .301 .418 .719

背番号

  • 4(2001年 - 2003年、2016年)
  • 5(2004年 - 2008年、2009年途中 - 2015年途中)
  • 23(2009年 - 同年途中)
  • 2(2015年途中 - 同年終了)

脚注

  1. ^ https://www.mlb.com/player/juan-uribe-346874
  2. ^ Paul Hoynes (2021年12月14日). “Cleveland Guardians’ Jose Tena awakens: 40-man roster review and podcast” (英語). Cleveland.com. 2025年5月27日閲覧。
  3. ^ Uribe agrees to two-year contract with Dodgers MLB.com
  4. ^ Dodgers sign Juan Uribe MLB.com
  5. ^ Braves and Dodgers Complete Six-Player Trade MLB.com 英語 (2015年5月27日) 2015年5月28日閲覧
  6. ^ Joel Sherman (2015年7月24日). “Offense-needy Mets land Juan Uribe, Kelly Johnson from Braves” (英語). New York Post. 2016年2月29日閲覧。
  7. ^ Transactions | mets.com” (英語). MLB.com (2015年11月2日). 2015年11月4日閲覧。
  8. ^ Paul Hoynes (2016年2月28日). “Cleveland Indians officially sign Juan Uribe to a 1-year $4 million deal” (英語). Advance Ohio. https://www.cleveland.com/tribe/index.ssf/2016/02/cleveland_indians_officially_s_2.html 2016年2月29日閲覧。 
  9. ^ MLB公式プロフィール参照。2016年8月7日閲覧。

関連項目

外部リンク




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