2002_FIFAワールドカップ日本代表とは? わかりやすく解説

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2002 FIFAワールドカップ日本代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/01 15:44 UTC 版)

2002 FIFAワールドカップ日本代表(2002フィファワールドカップにほんだいひょう)は、2002年5月31日から6月30日日本大韓民国で開催された2002 FIFAワールドカップ日本代表メンバーである。

概説

開催国である日本は、大会規定により予選が免除されて本大会からの出場となった。初出場した4年前のフランス大会で果たせなかったワールドカップ初勝利を達成するとともに、「過去の開催国はすべてグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出している」というジンクス[1] に挑むことになった。

監督はフランス人のフィリップ・トルシエが務めた。トルシエはフランス大会直後の1998年9月に就任して以降、1999年の ナイジェリアワールドユース代表・2000年のシドニーオリンピック代表監督を兼任し、若い世代の選手達の育成に尽力した。予選のない4年間に多数の選手をテストし、年齢や実績に関係なく自らの戦術に適うタレントを選抜した。

本大会のメンバーは、シドニー五輪世代で25歳の中田英寿松田直樹宮本恒靖らを中心に据え、22歳の小野伸二稲本潤一中田浩二ら「黄金世代」とも呼ばれる1979年度生まれが5人を占めており、若手が多く起用された。長く代表から離れていた中山雅史秋田豊の両ベテランをサプライズ選出する一方、国内有数のゲームメーカーである中村俊輔を選考外にしたことは大きな波紋を呼んだ。エースストライカーとして期待されていた高原直泰は、4月にエコノミークラス症候群(肺血栓塞栓症)を発症し出場を断念している。

23人中フランス大会経験者は8人。ヨーロッパのクラブに所属する選手(海外組)が4人。平均年齢はフランス大会と同じ25.3歳[2]

基本布陣は3-4-1-2。正GK楢﨑正剛。トルシエの代名詞「フラット3DF」は左から中田浩二、森岡隆三、松田直樹を並べたが、初戦ベルギー戦で負傷した森岡に代わり、宮本恒靖がDF中央に定着した。WBは右に守備的な明神智和、左に攻撃的な小野伸二。中盤の2ボランチは稲本潤一と戸田和幸。ゲームメーカー中田英寿の前に2トップの柳沢敦と鈴木隆行が位置する。

大会経過

グループリーグ

グループHではヨーロッパの古豪ベルギーロシア、北アフリカのチュニジアと同組に入った。日本が地元開催のアドバンテージを得ているとはいえ、過去のワールドカップの成績は日本が一番低い(出場1回・0勝3敗)。

6月4日 グループH ベルギー戦(さいたま
初戦ベルギー戦は、膠着状態の後半12分にマルク・ヴィルモッツにオーバーヘッドシュートを決められ先制される。その2分後、小野が送ったロビングボールに鈴木がDFと競り合いながら追いつき、爪先でゴールに流し込んで同点とした。8分後にも稲本が中盤でのパスカットから持ち上がり、逆転ゴールを決めた。しかし、後半30分にオフサイドトラップ崩れから失点し、2-2の引き分けで終了。日本にとってワールドカップ初の勝ち点1を手にした。
6月9日 グループH ロシア戦(横浜
第2戦はグループ首位のロシアと対戦。後半5分、左からの低いクロスを柳沢がワンタッチで繋ぎ、稲本が冷静に先制点を決めた。稲本は2試合連続得点でラッキーボーイ的存在となる。守っては初戦の反省からDFラインを下げ、ロシアの攻めを完封して1-0で記念すべきワールドカップ初勝利を手にした。他会場でベルギーとチュニジアが引き分けたため、日本は勝ち点4でグループ首位に立った。
フジテレビが中継した日本対ロシア戦の平均視聴率は66.1%を記録し、国内サッカー中継歴代1位、スポーツ全体でも1964年東京オリンピック女子バレー決勝日本対ソビエト連邦戦の66.8%に次ぐ歴代2位となった[3]
6月14日 グループH チュニジア戦(大阪
第3戦チュニジア戦は、引き分けでも2点差以内の負けでもグループ突破という有利な条件で臨んだ。試合は後半開始から森島と市川を投入する積極采配が的中。後半2分に森島がミドルシュートを決めて先制し、後半30分には市川のクロスを中田英寿がダイビングヘッドでゴール。2-0で快勝し、勝ち点7によりグループHを1位で通過した。

決勝トーナメント

6月18日 ベスト16 トルコ戦(宮城
グループH1位の日本はグループC2位のトルコと対戦した。トルシエはグループリーグ3戦で先発してきた柳沢と鈴木の2トップを変更し、ワントップに西澤明訓、やや後方に三都主アレサンドロを配置するフォーメーションを採用した。
前半12分、バックパスの連携ミスからトルコにコーナーキックを与え、ウミト・ダヴァラに強烈なヘディングゴールを決められた。同点に追いつこうとするも新布陣が上手く機能せず、前半41分の三都主のフリーキックがゴールポストに嫌われるなどツキにも見放された。後半開始から三都主に代え鈴木を投入して2トップに戻したが、トルコの守備陣を崩すことが出来ず、0-1のまま試合終了。決勝トーナメント進出というノルマを果たしたものの、不完全燃焼という印象を残して大会を終えた[4]

大会登録メンバー

  • 「出場状況」欄の「〇」はフル出場、「」は途中交代アウト、「」は途中交代イン、「」は獲得得点をそれぞれ示す。
  • 「所属クラブ」は、開会式が行われた2002年5月31日時点の所属クラブ。
背番号 選手名 Pos. 年齢 所属クラブ 出場状況 備考
ベルギー戦
6月4日
ロシア戦
6月9日
チュニジア戦
6月14日
トルコ戦
6月18日
1 川口能活 GK (1975-08-15)1975年8月15日(26歳) ポーツマス
2 秋田豊 DF (1970-08-06)1970年8月6日(31歳) 鹿島アントラーズ
3 松田直樹 (1977-03-14)1977年3月14日(25歳) 横浜F・マリノス  〇  〇  〇  〇
4 森岡隆三 (1975-10-07)1975年10月7日(26歳) 清水エスパルス   71分 主将
5 稲本潤一 MF (1979-09-18)1979年9月18日(22歳) アーセナル  〇   85分   46分   46分
6 服部年宏 (1973-09-23)1973年9月23日(28歳) ジュビロ磐田   75分
7 中田英寿 (1977-01-22)1977年1月22日(25歳) パルマ  〇  〇   84分  〇
8 森島寛晃 (1972-04-30)1972年4月30日(30歳) セレッソ大阪   68分   46分   86分
9 西澤明訓 FW (1976-06-18)1976年6月18日(25歳) セレッソ大阪  〇
10 中山雅史 (1967-09-23)1967年9月23日(34歳) ジュビロ磐田   72分
11 鈴木隆行 (1976-06-05)1976年6月5日(25歳) 鹿島アントラーズ   68分   72分  〇   46分
12 楢﨑正剛 GK (1976-04-15)1976年4月15日(26歳) 名古屋グランパスエイト  〇  〇  〇  〇
13 柳沢敦 FW (1977-05-27)1977年5月27日(25歳) 鹿島アントラーズ  〇  〇   46分
14 三都主アレサンドロ MF (1977-07-20)1977年7月20日(24歳) 清水エスパルス   64分   46分
15 福西崇史 (1976-09-01)1976年9月1日(25歳) ジュビロ磐田   85分
16 中田浩二 DF (1979-07-09)1979年7月9日(22歳) 鹿島アントラーズ  〇  〇  〇  〇
17 宮本恒靖 (1977-02-07)1977年2月7日(25歳) ガンバ大阪   71分  〇  〇  〇 主将代行
18 小野伸二 MF (1979-09-27)1979年9月27日(22歳) フェイエノールト   64分   75分  〇  〇
19 小笠原満男 (1979-04-05)1979年4月5日(23歳) 鹿島アントラーズ   84分
20 明神智和 (1978-01-24)1978年1月24日(24歳) 柏レイソル  〇  〇  〇
21 戸田和幸 (1977-12-30)1977年12月30日(24歳) 清水エスパルス  〇  〇  〇  〇
22 市川大祐 (1980-05-14)1980年5月14日(22歳) 清水エスパルス  〇   46分   46分 86分
23 曽ヶ端準 GK (1979-08-02)1979年8月2日(22歳) 鹿島アントラーズ

スタッフ

試合結果

グループリーグ・グループH

チーム 勝点 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
H1 日本 7 3 2 1 0 5 2 +3
H2 ベルギー 5 3 1 2 0 6 5 +1
H3 ロシア 3 3 1 0 2 4 4 0
H4 チュニジア 1 3 0 1 2 1 5 -4

日時はすべて日本時間(JST)


日本 2 - 2 ベルギー
鈴木隆行  59分
稲本潤一  67分
レポート ヴィルモッツ  57分
ファン・デル・ヘイデン  75分
埼玉スタジアム2002, さいたま
観客数: 55,256人
主審: ウィリアム・マトゥス (コスタリカ)

日本 1 - 0 ロシア
稲本潤一  51分 レポート

チュニジア 0 - 2 日本
レポート 森島寛晃  48分
中田英寿  75分
長居スタジアム, 大阪
観客数: 45,213人
主審: ジル・ヴェイシエール (フランス)


決勝トーナメント 1回戦

脚注

  1. ^ 2010年大会で開催国の南アフリカがグループ敗退してジンクスが途絶えた。
  2. ^ "【特集】ワールドカップ日本代表戦士たちのいま ". football webmagazine Qoly.(2013年1月6日)2013年10月1日閲覧。
  3. ^ "全局高世帯視聴率番組50". ビデオリサーチ. 2013年10月1日閲覧。
  4. ^ "'02根日韓W杯 決勝トーナメント1回戦 vs.トルコ". Number web. 2013年10月2日閲覧。

外部リンク


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