ラシュカレ・タイバとは? わかりやすく解説

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ラシュカレ・タイバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 03:41 UTC 版)

ラシュカレ・タイバウルドゥー語: لشكرِ طيبہ翻字:laškar-ĕ ṯayyiba、英語: Lashkar-e-Taiba、略称:LeT、「敬虔な者の軍隊」の意[1])は、パキスタンに拠点を置く、イスラム過激派組織国際連合や多くの国からテロ組織と認定されている。ラシュカレトイバとも呼ばれる。

ラシュカレ・タイバ
لشکر طیبہ
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)
カシミール紛争
ジャンムー・カシミール州の反乱英語版に参加
ラシュカレ・タイバが使用する旗
活動期間 1990年–現在
活動目的 アフレ・ハディース派英語版
サラフィー・ジハード主義
イスラム主義
汎イスラム主義
イスラム原理主義
指導者 ハフィズ・サイード
本部 パキスタンパンジャーブ州ムリドケ英語版
活動地域 パキスタン、カイバル・パクトゥンクワ州
関連勢力 アフガニスタン
アルカーイダ
ターリバーン
ジャイシュ=エ=ムハンマド
ハルカトゥル・ムジャヒディン英語版
ヒズブル・ムジャーヒディーン
敵対勢力 インド
アメリカ合衆国
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概要

インドパキスタンの係争地域であるカシミール地方分離独立を掲げ南アジア地域で活動している。

母体であるマルカズ・ウッ=ダウア・ワル=イルシャード(Markaz-ud-Dawa-wal-Irshad、略称:MDI)は、1980年代後半[いつ?]アフガニスタン紛争においてソビエト連邦に対抗するために、ジャマート・ウッ=ダウア(Jamaat-ud-Dawa、略称:JuD)を合併し、ハフィズ・サイード英語版、アブドゥッラー・アッザーム、ザファル・イクバールによって設立された[2]。その際、アッザームの弟子であるウサーマ・ビン・ラディンの資金提供を受けたと言われている[3]。 その数年後の1990年、MDIの軍事部門としてラシュカレ・タイバ(Lashkar-e-Taiba、略称:LeT)が設立された[4]。それ以降、MDIは正式にはダウア(布教)を、LeTはジハードを担当するようになった。[4]

LeTの構成員は、本名を隠し、偽名で活動している。ビン=ラーディンは、彼らを「シェイフ・アル・アブドゥッラー」と呼んでいる。9月11日のテロ事件後、LeTの在米資産は凍結され、イギリスでは活動が禁止された(2000年)。2001年12月、アメリカ政府は、LeTをテロ組織に指定した。2002年1月、パキスタン政府も、LeTの活動を禁止し、資産を凍結した。LeTの活動禁止後、マルカズは、ジャマートゥッ=ダウアに改称した。

パキスタンのNews紙によれば、LeTは、パキスタン国内とカシミールに6カ所の軍事キャンプを保有している。その外、パキスタン国内には、約2,200人の構成員が存在するという。

南アジア全域を支配するべくイスラム帝国建設に邁進しており、かつてイスラム教徒のものであったのに、キリスト教十字軍によって奪われたヨーロッパを、イスラムの手に奪い返す使命と、ユダヤ教徒キリスト教徒に対するジハードは、すべてのイスラム教徒に与えられた義務であるとしている。[5]

活動

  • 2000年12月 - デリーレッド・フォートに対して自爆テロ。3人が死亡。
  • 2001年1月 - シンガポールの空港でインド人5人を殺害。
  • 2001年4月 - インド国境警備隊を襲撃。
  • 2001年12月13日 - インド議会を襲撃。インドとパキスタン間の関係が険悪化。
  • 2002年5月14日 - カルチャク市を襲撃。30人以上が死亡、48人が負傷。この襲撃後、パキスタン政府はハーフィズ・モハンマド・サイードを逮捕し、11ヶ月間拘禁した。
  • 2006年7月11日 - ムンバイ列車爆破事件。LeTの別働隊とされるラシュカレ・カッハール(Lashkar-e-Qahhar)が犯行声明を出した。
  • 2008年11月26日 - ムンバイ同時多発テロの関与が疑われている。
  • 2025年4月22日 - 2025年パハルガムテロ事件。観光客など少なくとも26人が死亡、10人以上が負傷した。

脚注

  1. ^ インド 出身国情報(COI) レポート” (2012年). 2025年5月1日閲覧。
  2. ^ LASHKAR-E TAIBA”. American Foreign Policy Council. 2025年5月2日閲覧。
  3. ^ LASHKAR-E-TOIBA: NEW THREATS POSED BY AN OLD ORGANIZATION”. Jamestown Foundation. 2025年5月2日閲覧。
  4. ^ a b Lashkar-e-Taiba: Past Operations and Future Prospects”. New America. 2025年5月2日閲覧。
  5. ^ ニューズウィーク』2010年3月31日号 p.42

外部リンク


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