イラク日本人青年殺害事件とは? わかりやすく解説

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イラク日本人青年殺害事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/25 22:27 UTC 版)

イラク日本人青年殺害事件
場所 イラク
標的 日本人1名
日付 2004年10月29日
概要 日本人を人質にし、自衛隊の撤退を要求したが拒否したため殺害
武器 ナイフ
死亡者 1人
犯人 イラクの聖戦アルカーイダ組織
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イラク日本人青年殺害事件(イラクにほんじんせいねんさつがいじけん)は2004年10月に発生した、国際的テロ集団アルカーイダの関連組織、アブー=ムスアブ・アッ=ザルカーウィー率いるイラクの聖戦アルカーイダ組織日本人男性が殺された事件[1][2][3][4]

事件当時のイラク情勢と日本

2003年5月1日イラク戦争終結宣言が行われたもののイラク国内の治安は悪く、フセイン政権の残存勢力やイスラーム過激派によるテロが繰り返された。 日本の小泉内閣イラク特措法を定めて自衛隊を派遣するなどイラクの復興支援を行った。2003年11月29日には日本人もテロリストの標的になり奥克彦駐英参事官と井ノ上正盛駐イラク三等書記官が射殺された。2003年12月13日サッダーム・フセイン大統領逮捕されたものの不安定な情勢が続き2004年4月7日にはイラク日本人人質事件が発生した。

事件の概要

2004年10月27日午前2時、「イラクの聖戦アルカイダ組織」を名乗るグループが、インターネット日本人男性A(当時24歳)を人質にしたと犯行声明を出し、日本政府が48時間以内に、イラクからの自衛隊撤退に応じなければ殺害すると脅迫してきた[5][6]。それに対し日本政府は、25カ国及びイスラム教の聖職者達に協力要請を行いAの解放を求めたが、テロリストに屈しないとの立場から、自衛隊は撤退しないとし要求は拒否した[7]

同日、警察庁国際テロリズム緊急展開班(TRT-2)を現地へ向かわせた。現地機関などと連携し、犯行グループの組織的な背景や身柄拘束場所などの情報収集を進めた[8][9]

その後、Aはグループにナイフによって首を切断され殺害された。遺体は10月30日未明にバグダード市内で発見された[10][11]10月31日小泉純一郎首相は「人質解放のため、可能な限りのあらゆる努力を尽くしたにもかかわらず、Aさんがテロの犠牲になられたことは、痛恨の極みであります。(中略)我が国は、引き続き、国際社会と協調し、イラクの人々のために自衛隊による人道復興支援を行っていくとともに、断固たる姿勢でテロとの闘いを継続してまいります。」と声明を発表した[12]

11月2日には犯行グループが犯行声明とともに、Aを星条旗の上で殺害する場面をネット上で動画配信した[13]

11月4日漆間巌警察庁長官は「アブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィー率いるグループの犯行の可能性が非常に高い」と述べた[14]。TRT-2は、現地情報機関と連携して情報収集を進めた結果、犯行声明がザルカーウィーのグループによる過去の人質事件と同じ形態と判断した。さらに、TRT-2はAがイラクで身代金目当てに外国人を誘拐する犯罪集団に捕捉され、犯行グループに身柄を引き渡された可能性が高いとの情報も入手した[15]

福岡県警察はAの遺体を司法解剖し、殺人容疑で捜査を始めた[16][17]

犯行グループのその後

2006年2月、別の殺人事件で取り調べを受けていた元イラク陸軍兵のザルカーウィー派テロリストのフセイン・ファハミ・バドル容疑者(当時26歳)が、バグダードにあるスンニ派モスクの付属施設に監禁されていたAを殺害したと自供した。この元兵士には無差別爆弾テロ等で70件にも及ぶ余罪があり約400人を殺害していた。11月22日バグダードの中央刑事裁判所は、イラク人男性1人の殺害について有罪と認定し、バドルに死刑の判決を下した。A殺害を含む他の事件については時間や金銭の無駄として省略された[18]

供述によると、Aの拉致、殺害にかかわったのは計6人。イラク内務省はこのうち4人を逮捕2006年6月8日、アメリカ軍F-16の爆撃でアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーを殺害した[19]

追悼

  • 陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマーワで、2004年11月5日、イスラム教の金曜礼拝が行われた。シーア派の有力聖職者マード・アルワイリ師はAが武装グループに拉致され、殺害されたことについて哀悼の意を表した。そして、イスラム教徒ではないのにイラクの復興に尽くしてくれる日本人達に感謝すべきであると信徒に諭した[20]

脚注

  1. ^ Aさんなぜ今、イラクに」『読売新聞読売新聞社、2004年10月27日。オリジナルの2004年10月29日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  2. ^ 日本人?遺体「間違いであって」…祈るAさん家族」『読売新聞』読売新聞社、2004年10月30日。オリジナルの2004年11月1日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  3. ^ Aさん遺体、チグリス川沿いヤシ林に…殺害後放置か」『読売新聞』読売新聞社、2004年10月31日。オリジナルの2004年11月2日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  4. ^ Aさん遺体、早急な搬送をクウェートに要請」『読売新聞』読売新聞社、2004年11月1日。オリジナルの2004年11月1日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  5. ^ イラクで日本人人質 自衛隊撤退を要求」『東京新聞中日新聞東京本社、2004年10月27日。オリジナルの2004年10月29日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  6. ^ 『なぜ息子を…』両親悲痛」『東京新聞』中日新聞東京本社、2004年10月28日。オリジナルの2004年10月29日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  7. ^ 25カ国、聖職者に協力要請 政府、人質事件で」『47NEWS』全国新聞ネット、2004年10月27日。オリジナルの2015年2月23日時点におけるアーカイブ。2015年2月23日閲覧。
  8. ^ 警察庁、テロリズム緊急展開班を派遣 イラク日本人拘束」『朝日新聞朝日新聞社、2004年10月27日。オリジナルの2025年3月25日時点におけるアーカイブ。2024年5月24日閲覧。
  9. ^ 国内潜伏?過激派把握急ぐ 日本人人質事件で警察当局」『東京新聞』中日新聞東京本社、2004年10月28日。オリジナルの2004年10月29日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  10. ^ Aさんか 遺体発見 身体特徴が一致」『東京新聞』中日新聞東京本社、2004年10月30日。オリジナルの2004年10月31日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  11. ^ Aさん遺体で発見 日本人人質初の犠牲 政府確認」『東京新聞』中日新聞東京本社、2004年11月1日。オリジナルの2004年11月4日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  12. ^ 内閣総理大臣声明”. 首相官邸 (2004年10月31日). 2016年9月15日閲覧。
  13. ^ Aさん殺害 犯行声明 ザルカウィ派、映像も公開」『東京新聞』中日新聞東京本社、2004年11月3日。オリジナルの2004年11月7日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  14. ^ イスラム過激派情報蓄積がテロ対策の課題…警察庁長官」『読売新聞』読売新聞社、2004年11月4日。オリジナルの2004年11月8日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  15. ^ ザルカウィ幹部が指示か Aさん殺害で警察庁」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年11月4日。オリジナルの2025年3月25日時点におけるアーカイブ。2024年5月24日閲覧。
  16. ^ Aさんの司法解剖始まる 福岡県警が殺人容疑で捜査」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年11月4日。オリジナルの2025年3月25日時点におけるアーカイブ。2019年2月24日閲覧。
  17. ^ Aさんの遺体を司法解剖」『読売新聞』読売新聞社、2004年11月4日。オリジナルの2004年11月6日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  18. ^ イラクAさん殺害 被告に死刑判決」『日テレNEWS24日本テレビ放送網、2006年11月23日。オリジナルの2011年6月19日時点におけるアーカイブ。2015年2月23日閲覧。
  19. ^ ザルカウィ幹部を殺害 米イラク合同空爆で」『朝日新聞』朝日新聞社、2006年6月8日。オリジナルの2006年6月13日時点におけるアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
  20. ^ サマワでシーア派宗教指導者哀悼の意 Aさん殺害で」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年11月6日。オリジナルの2025年3月25日時点におけるアーカイブ。2015年2月23日閲覧。

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参考文献

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