パキスタン‐タリバーン‐うんどう【パキスタン・タリバーン運動】
パキスタン・ターリバーン運動
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パキスタン・ターリバーン運動(パキスタン・ターリバーンうんどう、ウルドゥー語: تحریک طالبان پاکستان, 英語: Tehrik-i-Taliban Pakistan, TTP)は、パキスタンの連邦直轄部族地域(FATA)の南ワズィーリスターンを拠点にカイバル・パクトゥンクワ州などアフガニスタン国境地帯で活動するイスラム主義武装組織。ウルドゥー語の意味は「パキスタン学生運動」であるが、傘下に多くの武装集団(兵力推計35,000人)を抱える。日本のマスコミではターリバーンの呼称が「タリバン」、もしくは「タリバーン」で表現されることから「パキスタン・タリバン(タリバーン)運動」と呼称されることもある。
- ^ “Tehreek-e-Taliban Pakistan’s Discursive Shift From Global Jihadist Rhetoric to Pashtun-Centric Narratives”. Jamestown Foundation (2021年9月24日). 2021年10月18日閲覧。
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- ^ Fair, C. Christine (2011-01). "The Militant Challenge in Pakistan"
- ^ “Taliban wrong on girls’ education: Hekmatyar”. The Hindu 2013年1月3日閲覧。
- ^ “パキスタン民兵21人の遺体発見 武装勢力が殺害”. 47NEWS (共同通信). (2012年12月30日)
- ^ “ウクライナ人5人と中国人3人、ロシア人1人のほか現地ガイド1人の計10人殺害 パキスタン北部”. 産経新聞. (2013年6月23日) 2013年12月16日閲覧。
- ^ “米軍がパキスタンでタリバン幹部を拘束、国務省発表”. AFP (フランス通信社). (2013年10月12日) 2013年10月20日閲覧。
- ^ “タリバン運動最高指導者死亡-パキスタン 米無人機攻撃”. MSN産経ニュース. (2013年11月2日)
- ^ “パキスタンのタリバン運動、新指導者を選出 マララさん銃撃に関与”. AFPBB News. (2013年11月8日) 2013年11月9日閲覧。
- ^ “パキスタン:「最も勇敢な警察官」暗殺される”. 毎日新聞 (2014年1月10日). 2014年2月8日閲覧。
- ^ “カラチ空港襲撃、ウズベキスタン・イスラム運動が関与主張”. (2014年6月14日) 2014年6月15日閲覧。
- ^ “マララさん襲撃の武装勢力幹部が「イスラム国」参加を表明”. (2014年10月15日) 2014年10月23日閲覧。
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- ^ http://thepage.jp/detail/20141221-00000004-wordleaf
- ^ “マララさん襲撃首謀のタリバン指導者死亡、米軍攻撃で”. AFPBB News. (2018年6月16日8時6分) 2018年6月16日閲覧。
- ^ “パキスタンの市場で自爆攻撃、20人死亡 異端視される少数民族が標的か”. AFP (2019年4月12日). 2019年4月12日閲覧。
- ^ “中国大使が標的か、パキスタンの高級ホテルで爆発…イスラム武装勢力が犯行声明 : 国際 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2021年4月22日). 2021年8月16日閲覧。
- ^ “Kabul, i talebani prendono possesso del palazzo presidenziale” (イタリア語). Giornale di brescia (2021年8月16日). 2021年8月16日閲覧。
- ^ Ahmadi, M. Shabir (2021年12月9日). “What the TTP said?” (英語). Medium. 2021年12月9日閲覧。
- ^ “パキスタン軍がアフガン空爆 47人死亡”. AFP (2022年4月17日). 2022年4月18日閲覧。
- 1 パキスタン・ターリバーン運動とは
- 2 パキスタン・ターリバーン運動の概要
- 3 関連項目
パキスタン・ターリバーン運動
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「ターリバーン」の記事における「パキスタン・ターリバーン運動」の解説
パキスタン・ターリバーン運動は、主にアフガニスタンと国境を接するパキスタン領土内の連邦直轄部族地域並びにカイバル・パクトゥンクワ州で活動するパシュトゥーン人のイスラム主義組織である。パシュトゥーン人が多数を占める組織という点でターリバーンと類似しているものの、組織・指揮系統及び活動目的は大きく異なる。 パキスタン・ターリバーン運動は、彼ら自身とは民族の異なるパンジャーブ人が多数を占めるイスラマバード中央政府に対する敵意によって、複数のイスラム主義グループが連合して誕生したものであり、中央指導部の運動全体に対する統制力は低いとされる。ターリバーンは2010年代まで、最高指導者ムハンマド・オマルが絶対的な権威を持っており、オマルの死後には内紛が起きたものの、連合組織であるパキスタン・ターリバーン運動に比して現在でも指導者評議会の組織に対する統制力は強い。活動目的については、タリバーンはアフガニスタンをイスラム国家として復興させることであり、他方、パキスタン・ターリバーン運動はパキスタン政府を打倒してイスラム国家に改造することである。 パキスタン・ターリバーン運動はパキスタン政府とは強い敵対関係にあるものの、ターリバーンはパキスタンと親密な関係にあるとされている。 2009年、パキスタン・ターリバーン運動の指導者3人がターリバーンの最高指導者オマルの要請を受け、アフガニスタンで協力してジハードを行う事に合意したがすぐに破綻し内紛が起きた。 2013年には、タリバーンとパキスタン・ターリバーン運動が武力衝突して後者の司令官が戦死したとする報道があった。 2014年にパキスタン・ターリバーン運動が実行したペシャーワル軍事学校襲撃事件に対し、タリバーンは「非イスラム的だ」として非難した。 タリバーンはパキスタン・ターリバーン運動との間に何ら関係を持っていないと主張しているが、パキスタン・ダーリバーン運動の報道官は最高指導者マウラナ・ファズルッラーがアフガニスタン東部のクナル州でターリバーンにかくまわれていること、資金面でターリバーンから援助を受けている事を明らかにした。 2021年8月15日のターリバーンのアフガニスタン制圧に伴って、過去にパキスタン・ターリバーン運動の副指導者を務めていたファキール・ムハンマドがアフガニスタンの刑務所から解放された。ファキールがターリバーン又はパキスタン・ターリバーン運動の兵士を連ねてアフガニスタンの市街地を凱旋する映像が公開された。 2021年11月8日、ターリバーン政権の仲介でパキスタン・ターリバーン運動とパキスタン政府は1ヶ月の停戦合意を結んだ。
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