2017年バルセロナテロ攻撃事件とは? わかりやすく解説

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2017年バルセロナテロ攻撃事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/07 00:24 UTC 版)

2017年バルセロナテロ攻撃事件
場所 スペイン
バルセロナ
座標 北緯41度22分52秒 東経2度10分24秒 / 北緯41.381187度 東経2.173251度 / 41.381187; 2.173251座標: 北緯41度22分52秒 東経2度10分24秒 / 北緯41.381187度 東経2.173251度 / 41.381187; 2.173251
日付 2017年8月17日 (2017-08-17)
16時50分頃CEST
攻撃手段 自動車による無差別襲撃
死亡者 13名
負傷者 100名
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2017年バルセロナテロ攻撃事件(2017ねんバルセロナテロこうげきじけん)は、2017年8月17日スペインカタルーニャ州バルセロナと、その後、同州カンブリスで発生した2件の、ISILの影響を受けたモロッコ系在住者によるイスラムテロ車両突入襲撃である。広い意味では、同州での16日から21日までに起こった一連の事件を指す[1][2][3]

概要

この事件の中心は、2017年8月17日16時50分(CEST)ごろ、バルセロナ市の観光スポットとして知られるランブラス通りにて、突然車両が突入し、遊歩道を歩いていた観光客らを次々となぎ倒しながら500メートルを暴走した出来事である[4]。この暴走により、州民や観光客ら14人が死亡し、133人が負傷した[5]。この前後に、犯人グループが基地として使っていた住宅が誤爆発により崩壊(16日)、実行犯の逃走と殺人(17から18日)、同州南方のカンブリスでの海岸歩道での車両突入事件(18日深夜)と犯人らの射殺[6]、実行犯の包囲と射殺(21日)、事件の解明へと展開した。一連の出来事で、人的被害は死者16人、負傷者は155人ほど、犯人グループでは死者8人、負傷者1人となった。この後にISILが犯行声明を出している[7]

背景

欧州におけるイスラムテロ

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件は、2003年のイラク戦争の原因となった。その後、欧州では、その協力国への報復とみられる2004年のマドリード列車爆破テロ事件、2005年7月7日のロンドン同時爆破事件が発生した。2007年ごろから情報機関からの警告として、スペインの第二の都市であるバルセロナも、移民が累積する中、地中海沿岸の組織から狙われる場所として指摘されていた[8]

2011年シリア内戦が始まると、2014年にISILが勃興し、欧州諸国への新たなテロが実行された。2016年ニーストラックテロ事件ブリュッセル連続テロ事件2017年ロンドンテロ事件(ウェストミンスター橋近辺)、2017年6月ロンドンテロ事件と発生した。犯行には、あまり準備を必要としないナイフによる殺傷、簡易な爆発物、車両による突入攻撃を用いる傾向があった。

カタルーニャ州における背景

カタルーニャ州では、2012年から2016年までの期間、イスラム過激派関連で31件の摘発が行われ、62人が逮捕されていた。これは、スペイン国内の186人の逮捕者の約3分の1にあたる。その中で、バルセロナとその周辺では22件の摘発で50人逮捕となっていた。ISIL設立以前でも、同州はイスラム過激派が定着しているところでもあった[9]

国内には1,260か所のイスラム礼拝施設があるが、その中のサラフィー主義系は100か所ほどあり、そのうち80か所はカタルーニャ州にある。個人の家や倉庫などで行われる集会などは、警察の観察が難しい場である[10]

カタルーニャ州では、2012年よりスペインからの分離独立の気運が高まり、州政府は2017年秋に州民への諮問投票を実施しようと努力を傾注していた。2014年時、フェルナンデス内務大臣は「カタルーニャが独立すれば、聖戦主義者や組織犯罪の温床となる」と警告していた[11]

米国情報局CIAは、カタルーニャ州がテロの優先標的になっているという見解に基づき、2015年には在バルセロナ米国領事館と共同で、同州バルセロナ市とタラゴナ市を対象として要員の演習を行った。また、ISILも2016年夏、サグラダ・ファミリア教会を標的にする宣伝ビデオを作成し、脅しを行った[12]

事件の展開

アルカナーの住宅の誤爆発事件(8月16日)

17日の暴走事件の前日である16日の23時17分、同州南部のタラゴナアルカナー(バルセロナ市からは海岸沿いに南西に107キロメートル)郊外の一軒家で爆発事故が起こった。爆発の威力が強かったために、住宅はほとんど崩壊し、近隣の住宅にも被害を与えた。これは当初、家庭用ガスボンベのガス充満による爆発、あるいは麻薬関係の精製場所とみなされ、1人死亡、1人重傷、近隣の住民7人が負傷と報道された。この数か月住んでいたらしい住人2人はモロッコ人で、負傷者1人は病院に運ばれたが証言を拒否していた[13]。この辺りは海岸にある避暑地で、空き家であったこの住宅を彼らが不法占拠していた。

また、翌日午後16時50分、始末作業が行われ重機が作動しているとき、再び爆発が起こった。この時に作業員1人、州警察6人、消防隊員2人が負傷した。この爆発で所持品などが表面に噴出してきた。ここでの死者は1人と考えられていたが、分断された身体の発見で、もう1人の死者がいるようであった。17日の23時、州警察長官は「アルカナーの爆発事件は突入攻撃事件と関係がある」と発表した[14]

17日の車両突入攻撃後の18日、この住宅から102個ほどのガスボンベが発見された。後の捜査では、化学物質(アセトン500リットル、過酸化水素水ソーダなど)、準備された自爆用ベルト、殺傷力を高めるための金釘などが発見された。また、住宅の近くにはプジョー車と別の1台が停められていた[3]

その後、この死者は同州のジローナ県リポイ(Ripoll)のイスラム指導者で組織の中心であったアブデル・エス・サティ(Abdelbaki Es Satty)とユスフ・アージャ( Youseff Aalla)、負傷者はモハメド・ホウリ( Mohamed Houli )であると断定された[15]。最終的に捜査作業が終了したのは9月3日であった[3]

車両突入攻撃

アルカナーの住宅の外に止めてあった車は実行犯ヨーネス・アボウヤーコブ( Younes Abouyaaqoub)の長兄の車で、彼がバンを借りに行くために置いていったものであった。17日の時点で事情の判っていなかった州警察では、犯行グループとは関係のない長兄に電話をし、「爆発現場に止めてあった車」の件を知らせた。この経過で、弟ヨーネスは15時ごろまでに、この誤爆発の件を知ることになった[3]。犯行グループは、その知らせで統率の取れない方向に行動し始めていた。そのころ、彼はバンを運転していてバルセロナ市から1時間の距離にいたが、進路を変えて市内に入り、カタルーニャ広場に到着した。

16時50分ごろ、彼はバンをランブラス通り向けて車両を突入させ、遊歩道を歩いていた人々を次々となぎ倒しつつジグザクに進みながら500メートルを暴走した。しかし、衝突のショックでエアーバッグが作動したか、もしくは障害物のため、途中で車を動かせなくなった。そして、彼は車を降り、混乱の中、人込みに紛れて徒歩で逃走を始めた。

州警察はただちに「テロによる犯行」と断定し、交通規制や実行犯の包囲作戦を開始した[16]。車の中からは、モロッコ系の人物のスペインのパスポートが発見された。捜査側では、実行犯はモッサ・オーキバル(17歳)であって、後述のようにカンブリルスで射殺されたものと考えていた。しかし、18日夜には、実行犯はヨーネス・アボウヤーコブと断定された[17]。このバンはバルセロナ県のサンタ・ペルペトゥア・デ・モグダ(Santa Perpetua de Moguda、バルセロナ市からは東に18キロメートル)のレンタカー会社、Telefurgoから借りられたフィアット社製ものであることが判った[18]

2台目のバン

16日、アルカナーから200キロメートル離れたレンタカー会社に、グループの年長者の3人、ヨーネス、モハメド・ヒチャミ、ダリス・オーカビルが出かけた[3]。会社の情報では2台のバンが同時に借りられたということで、捜査側ではもう1台を探していた。このバンは、突入事件後1時間半後に内陸部のビック市(バルセロナ県、バルセロナからは69キロメートル北)で発見された。バンはファーストフード店の駐車場にあり、市民が警察に通報したことで発見された[19]

実行犯の逃走

車を運転していた男は犯行後に車を降りてサングラスをかけ、ランブラス通りの周辺の脇道、ボケリア市場の中を通りぬけ、現場から逃れる人々に紛れて、西方向に逃走した。後に、この様子は監視カメラで捉えられていたことが判った。男は長身の若者であった[20]

車の強奪と殺人

ラバル区に入ると、やや早歩きで大学地区に入った。突入現場から6キロメートルほどある地点に来て、18時半前後に、たまたま路上で駐車しようとしていたか、あるいは車で居合わせた男性をナイフで刺して後部座席に入れ、車を奪って逃走を継続した。この男性は胸部を深く刺されており、出血多量で死亡し、後日、14人目の死者と断定された。捜査側は、この辺の足取りや経緯を解明するのに3日を要した[21]

関門の突破

突入攻撃の後、州警察は市内全般に囲い込み警戒網を敷いていた。攻撃から2時間後の19時30分ごろ、バルセロナ市内を東西に走るディアゴナル通りの西の終わり地点に敷かれていた州警察の警戒関門に、フォード社製フォーカスが近づいた。警官らは静止させようとしたが、車はそこに向かって突入してきた。これにより警官2人が負傷した。警官らは車に向けて発砲したが、この車は走行を続けた。後に、この車は3キロメートルの先のサンジュスト・デスヴェルン地区(バルセロナ県、バルセロナ市から西に約10キロメートル)にある、ワルデンビル近辺に乗り捨てられた[22]

この車はしばらくして発見されたが、爆発物処理班が検査をして安全性を確認するまで2時間を必要とした。事件後の混乱で、捜査側には「車内の死者はテロ犯人なのか」、「車に爆発物が仕掛けてられていないか」、「死者は警察の発砲で死んだのか」などの懐疑があった。これ以降、主犯の行方は21日になるまで手がかりがなかった[23]

カンブリスでの車両突入攻撃

17日午後には、国道7号線のカンブリスに近い地点で2台の車による事故があり、相手側の市民が事故処置のために警察に電話しようとしたところ、運転していた者は徒歩で逃走した。後に判ったことには、これは犯人グループが別に借りていたルノー社の商用ミニバン、カングー車であった。この事故があったため、彼らは仲間の兄のアウディ車を使用することになった。

17日から18日の深夜1時15分に、同州カンブリスの海岸遊歩道に入るロータリーにて、州警察によって置かれていた関門に猛スピードで市街側から向かってきた車(アウディ車)があり、置かれていたパトカーに突入した。それで、警察官1人と近辺にいた一般人の5人が負傷した[24]

車は衝撃により近くで止まり、乗っていた5人が出てきた。4人が車を降りたところで州警察は長銃を使い、4人を射殺した。そのときに徒歩で逃げた1人は100メートル東に進んで通りかかりの人々に切りつけ、1人が顔に負傷した。その犯人1人は別の平服警官によって射殺された。数時間後に、顔を切られた女性1人が死亡した。ここでは1人死亡、8人負傷、犯人5人死亡となった。犯人らはこの4時間前に、安売り店でナイフ4本、斧1本を購入した映像が残っている[25]

射殺された者たちは胸に自爆ベルトのようなものを付けていたが、これは偽物であった[3]。彼らは17歳から24歳のモロッコ系の若者で、車中からは斧とナイフが1本ずつ発見された[26]。州警察は、彼らは警官を意図的に狙っており、市民も巻き添えにして最大の被害を与えて自死する意図で行動していたと推察した。

実行犯の足取りと射殺

捜査側は実行犯をヨーネス・アボウヤーコブと断定し、18日には、防犯カメラからの犯人の映像を国内や欧州のメディアに公開した。彼はバルセロナ市から西方の地域を徒歩で逃走したとみられ、その後の足取りは次の点が判明している。

  • 8月20日22時30分、セルベジョ(車を乗り捨てたサンジュスト・デスヴェルンから13キロメートル)のガソリンスタンドのゴミコンテナの蓋を開けて、食べ物を物色している様子が防犯カメラに捉えられていた。
  • 20キロメートル離れた別の地点のガソリンスタンドでも防犯カメラに写っていた。
  • 21日の10時40分ごろ、オレルドラの工業地帯にて女性の車を盗もうとしたが、女性は逃げた。
  • サン・パウ・デオルドルの農家の屋敷に入って物色をしていたことが判った。

その後、21日(月曜)になって、スビラッツ(バルセロナ県、Subirats、バルセロナ市からは西に44キロメートルにある)の近隣の居住者から、警察に「犯人がいた」との通報がもたらされた。これに基づき、州警察はパトカーと人員を派遣した。午後5時ごろ、実行犯はガソリンスタンドの近くのブドウ畑の中にいたところを警察に囲まれ、驚いた様子であった。彼は腰部に自爆装置様なものを付けており、シャツをめくりあげる動作をし、「アラーは偉大なり」と叫んで走り寄ったことで自爆が予想された。その行動により、規定に従って州警察官による発砲があり、彼は射殺された。自爆装置は偽のものであり、彼はナイフ数本と手に付ける武器を持っていた。後に、突入襲撃のバンで採取された指紋と彼のものが一致した[27][20]

事件の全容

誤爆発による計画の変更

彼らはアセトンなどの化学物質を8月1日、8月2日に入手していた。また、16日に3人の男がバンを7日間の予定で借りた。18日の午後の時点では、アルカナーの誤爆発で2人死亡、1人負傷、5人が射殺され、1人が逃亡、関連者4人が逮捕されたという状況であった[28]

さらに、アルカナーの爆発現場で大量のガスボンベが発見されると、捜査側では、犯人グループがその家で爆発物を準備し、2-3台のバンを使って車両爆発物を数日中に市内に仕掛ける準備をしていたのではないかという見解に達した。しかし、誤爆発が起こったことで急に計画を変えざるを得ず、車両による突入攻撃となったと推察された[28]

攻撃目標

バルセロナとパリでの同時爆発計画

事件後の数か月間の捜査で、アルカナーの爆発現場で発見されたビデオカメラの分析がされると、グループの2人、ヨーネス・アボウヤーコブとオマル・ヒチャミは、17日の前にアウディ車(カンブリルスで使用された車)で、11日・12日にパリに旅行していたのが判明した。カメラもパリで購入したものであった。この旅行で過激派グループの間で接触があった可能性もあったが、フランス当局の防犯カメラの細かい分析では、彼らが誰かと会った痕跡はなかった。映像は人並みの多い場所が多数撮影されており、どこに車爆発物を置いたら効果があるかを検証していたと判明した。

誤爆発で負傷したモハメド・チェメラルはさほど中心的な立場ではなかったようで、明確な計画は知らされていなかったと考えられているが、彼らからは、バルセロナ市では「車両を有名な場所、例えばサグラダ・ファミリア教会に置く計画していた」という証言が得られていた。その結果、借りられた3台のバンのうち、2台はバルセロナ市のサグラダ・ファミリア教会で、1台はパリでエッフェル塔にて仕掛ける立案があったとみられる。この計画は爆発物を仕掛けるもので、自爆攻撃は考えられていなかった。また、彼によれば、250キログラム近くの爆発物を製造し、パイプに詰めて枕カバーに分け入れて使用し、群衆に投げつける爆発物として使うつもりであったという[29]

スペインの複数のメディアによると、バルセロナの象徴ともいえるアントニ・ガウディによるサグラダ・ファミリア教会爆破する計画もあったとし、今回のテロは大量殺人以外にも文化浄化ヴァンダリズム)も画策していた可能性が示唆されている[30]

他の標的

また、彼らの携帯電話のグーグルマップでは、サクラダ・ファミリア教会とFCバルセロナ(フットボール・クラブ)のベースであるカンプ・ノウ・サッカー場がマークされていた[2]。8月20日には、そこでリーグの第1戦が行われる予定であった。彼らのネット使用の痕跡によると、40数回検索されていた。ほかに、バルセロナ市内のディスコ、コンサート・ホールなども標的になっていた[3]

死傷者

ランブラス通りでの当日の死者は13人で、その10日後には重傷のドイツ人女性が死亡したので、ランブラスの死者は14人となった。また、負傷者は34か国の133人(当日で16人は重篤、46人は軽傷)とされている。ランブラスでは、怪我や打撲など300人ほどが何らかの形で巻き込まれたと考えられる。さらに、主要実行犯の逃走時には死者1人、2人が負傷した。カンブリルスでは1人死亡、6人負傷。アルカナルーでは2回の爆発で負傷者が16人。犯人側は総じて死者8人、負傷者1人である。死者の国籍はスペイン6、イタリア3、ポルトガル2で、ベルギー、カナダ、アメリカ、ドイツ、イギリス、オーストラリアが1人ずつとなっている[2]

主要な犯人

宗教指導者

犯人グループは、同州内陸部のリポイ市(人口約11,000人)在住の若者たちで構成されていた。中心者は、イスラム宗教指導者のエス・サティで、彼らに影響を与え、短期間の間に過激思想に引き入れていったとみられている。

  • アブデルバキ・エス・サティ(1973年生まれ)は事件の主導者であって、アルカナーで死亡した。モロッコ生まれで、2010年にセウタ市(アフリカ北岸スペイン領)で麻薬を120キログラム運んでいたことで逮捕された。妻がカタルーニャ州に在住ということで、本土の刑務所に4年間収監された。このころ、マドリード列車テロ事件の関連者と時を同じくし、影響を受けたともいわれる。出獄時には、検事側からは本国送還を申請されたが、担当判事の判断で送還されなかった。2012年に同州に移動し、宗教指導者の道に至り、2015年にリポイの指導者となった。2016年初頭、一時ベルギーに職探しに行き、イスラム国ISILとの接触があり過激化していったらしい。また、過去には、シリアの紛争地域へ戦闘員を送る組織の捜査上で名前が挙がっていたことがあった[2][31]

若者たち

若者の中では、住宅で爆死したユスフ・アージャーが最もエス・サティに従順で、過激思想に傾倒していたとされている。1人を除いてモロッコ生まれで、後に家族と共に移住し、同州で育った者たちである。関連者は10人とされており、その中には4組の兄弟が関連している。兄の影響で弟を仲間に引き入れたことが考えられる。彼らは同じ学校や環境で育っていた。若者たちの多くは、社会に適応できているかの観察のソシアルサービスを受けており、良好または完全に社会に適応していると評価されていた。親に気づかれることなく行動しており、嘘をついて気づかれないようにしていた。

  • アボウヤーコブ兄弟:兄のヨーネス(22歳)は主要実行犯であって、弟フサイン(17歳)は、カンブリルスで射殺された1人。
  • オーカビル兄弟:兄ドリス(28歳、18日逮捕)は、より世俗的な生活をしていた。警察への証言では「弟のモッサ(18歳)が自分の運転免許証を持ち出して、レンタカーでバンを借りた」と証言したが、後に「引っ越しのために、バンを借りるということで借りる当人になった」と証言を変更した。グループには協力はしたが、そこまで熱心ではなく、最後には身を引いたらしい[32]。モッサはカンブリルスで射殺された。
  • アージャー兄弟:兄ユスフは、後にDNA鑑定で、アルカナーで死亡した1人と断定された。弟のサイド(19歳)はカンブリルスで射殺された[33]
  • ヒチャミイ兄弟:兄モハメッド(24歳)、弟オマル(21歳)はカンブリルスで車を運転していて、射殺された。モハメッドもヨーネスと同じ会社で働いており、十分な給料を得ていた[34]
  • モハメド・チェムラル(20歳):16日の誤爆発で負傷。化学の知識があり、爆発物製造を担当していた。16日には屋外で夕食の片づけをしていたときに爆発が起こり、壁が倒れたことで負傷し、後に判決を受けた。小犯罪をしていた。
  • サイド・ベン・ラッザ(24歳):彼はグループに免許や車を貸しており、グループは化学薬品の購入に利用していた。しかし、行動に協力していたという確かな証拠はなかった。

ISILとの関連

爆発のあった住宅から、後に発見されたエス・サティの手帳には「イスラム国のアル・アンダルスの地の兵隊」とアラビア語で書かれていた。17日のカンブリルスの事件の前、テレグラムにISILの宣伝機関「Amaq News Agency」が「バルセロナでのテロを実行したのは、イスラム国の兵隊であり、それは(対ISILの)連合国に攻撃するようにとの呼びかけに応じた行動である」と投稿していた[2]

また、23日にはISIL系のサイトで、スペイン語を話す人物により、バルセロナ襲撃を祝うビデオが掲載された。その後も、この襲撃をISILの成果とする宣伝がたびたび行われた。しかし、それらの内容には実行犯の名前を公表するなどの具体性や整合性がなく、ISILからの直接の指示やコンタクトがあった犯行かどうかは明らかでない[2]

事件後の反応

代表者

8月17日、本事件を受けてフェリペ6世は、ネット上に事件を非難するメッセージを掲載し、「全スペイン(の心)はバルセロナにある。ラス・ランブラスは皆のものに回復するだろう」と表現した。スペイン首相マリアーノ・ラホイ・ブレイは急遽首都マドリードから現場があるバルセロナに駆けつけ、「イスラムの過激思想に基づいたテロだ」「(我々は)痛恨の中で、しかし何にもまして、この理由のない残虐な行為をやめさせようという意思で一つになっている」と団結を強調した[35][36]

また、各国の首脳から声明が寄せられた。日本の安倍晋三内閣総理大臣首相官邸を通じて「心からの連帯を表明する」とラホイ首相にメッセージを送信した[37]

市民の反応

一方、事件後はグラナダ市、セビリヤ市、ログローニョ市などで、イスラム教施設に爆竹が投げられたり、嫌がらせのペンキ書きがあった[38]。20日にはサグラダ・ファミリア教会にて、政界代表などを中心にミサが行われた。8月26日にはバルセロナ市において、「恐れない」という標語でデモが行われ、約50万人が参加した。このときに国王と首相が参加したことで、分離独立主義者による彼らへの拒否を表す場ともなった[39]

裁判

犯人グループの中で生存した者は、モハメッド・チェムラル、ドリス・オーカビル、サイド・ベン・ラッザの3人で、高等裁判所では2021年5月27日、それぞれ、懲役53年、48年、8年の判決を下した[40]。しかし、テロ犠牲者の会ではこれを不服としていた[41]

しかし、最高裁では2023年11月27日、実行犯ではなかったとの理由でそれぞれ減刑となり、43年、36年、18か月となった。サイド・ベン・ラッザは2021年に条件付き釈放となっていた。公判では、アルカナーの現場でエス・サッティの携帯電話、銀行カードなどが発見されていなかったこと、家族から遺体の引き取り要請もなかったことで、生存説もあった。

また、弁護側では、スペイン政府の情報局(CNI)がカタルーニャ分離独立を阻止するために、独立主義の州政府の評判を悪くするために起こしたという主張もあった。しかし、裁判ではこのような考え方は退けられた[42]。それまでには、いくつかの野党では事件の調査委員会を国会で立ち上げるよう働きかける動きもあった。

省察と対応

政治事情の問題

国内の安全機関には、国の内務省に所属する国家警察と警備隊がある。また、カタルーニャ州にはそれに属する州警察があり、バルセロナ市には市警察がある。それぞれ捜査対象が異なる点もあれば、重複する点もある。カタルーニャ州では2012年からの分離独立機運が高まっており、州政府では州内における中央政府の安全機関を排除したい意向があった。また、州警察の中には独立主義支持の傾向が存在し、中央政府の機関を敵対視するか、それに従わない状況もあった。対テロ機関は国家警察、警備隊、州警察にあり、それを中央機関(対テロ・組織犯罪情報センター、CITCO)がまとめる立場にあったが、このような状況で意思疎通、協力体制がうまくいかなかった点があった[2]。事件後、州政府から中央政府への批判が起こり、トラペロ州警察長官はユーロポールCIAなどの「国際的な対テロ情報はマドリード(中央政府)からは流れて来ず、州警察に届かない」と述べていた。しかし、これは事実と異なることが後に明らかになった[43]

市行政の問題

アダ・コラウ・バルセロナ市長は、ニースでの事件(2016年ニーストラックテロ事件)の後、市の要所に車両侵入阻止のブロックを敷く提案があったものの、「自由な都市」を標榜して実施しなかった[44]。また、ベルリンのクリスマスでの事件(2016年)もあり、内務省と国家警察では、州や市に何らかの安全策を繰り返し要請した[45]。事件当日も市長は「至るところにブロックは置けない」と弁明していたが、市の安全対策局はこの意見に賛成ではなく、何らかのブロックを設置する方針を公表した[46]。この事件後、国内の主要市でも、遊歩道では花壇やブロック、地中に埋め込み式の可動柱などが設置されていった。

安全機構の問題

米国からの事前情報

事件後、米国の国家テロ対策センター(NCTC)は州警察、国家警察、警備隊に向けて、同年5月にISILが夏の間観光地、特にランブラス通りを狙うという情報を伝達していたという報道があった。事件後、州警察は「このような情報は受け取っていない」としていたが、後にこの情報は信頼性が低いと見なしていて、具体策を取らなかったことが明らかになった[47]

10月26日に、州警察のバンとパトカー2台がバルセロナ近郊の焼却場に来て、重要書類を焼却するところであったが、そこに20人ほどの国家警察が来てすべての文書を引き渡すことになり、一時緊張が走った。しかし、司法令があったことで州警察はそれに従い、36箱が国家警察に押収されたが、その中には米国からの警告の原文などが発見された[48]

ベルギーからの情報

エス・サティが滞在していたベルギーからの情報で、彼の同居者はマドリード列車テロに関係していた人物たちであり、過激思想に傾倒した可能性があるという情報が2016年に州警察に通知されていたが、これには対処がなされず、国の機関に伝達されることもなかった[49]

化学薬品に対する規制

2013年から欧州連合では爆発物製造可能な物質に関しての規制が各国に対して推進されたが、スペインでは適正に施行されておらず、犯行グループがアセトンを周辺地域で購入するのに制限がなかった[2]

出典

  1. ^ Nota informativa sobre los atentados en Barcelona y Cambrils | DSN”. www.dsn.gob.es. 2024年8月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Un análisis de los atentados terroristas en Barcelona y Cambrils” (スペイン語). Real Instituto Elcano. 2024年8月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g García, Jesús (2020年8月15日). “17-A: la explosión de Alcanar, génesis de un atentado imprevisto” (スペイン語). EL PAÍS. 2024年8月19日閲覧。
  4. ^ “バルセロナで車暴走テロ、はねられて「宙に舞う」観光客”. ニューズウィーク日本版. (2017年8月18日). https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-8241.php 2017年8月18日閲覧。 
  5. ^ “バルセロナでテロ 110人以上が死傷 男2人拘束”. NHK. (2017年8月18日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170818/k10011102991000.html 2017年8月18日閲覧。 
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2017年バルセロナテロ攻撃事件

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バスク紛争」の記事における「2017年バルセロナテロ攻撃事件」の解説

死亡者13名、負傷者100名。犯行組織ISIL

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